第26話:解放――液鋼の獣魂
父と別れた俺は異能で強化した脚力を駆使して藪の中を駆け抜けていた。
目指すは頂上。道案内はない。ミアは父さんの方に残ったのだろう。今は俺一人だ。
目的地の研究所には俺が五歳の頃誘拐され、二年間監禁されていた過去を持つ。
その間に施設の外に出た事は一度もなく、場所の記憶もおぼろげで、普通なら道に迷ってもおかしくないのだろうが、俺は不思議とその場所を本能で覚えていたのか、まるで引き寄せられるかの様にその場所へと辿り着いた。
目の前に広がるのは人工的に樹木を刈り取られた平地。
その空間の中央に白鳥の片翼を螺旋状に捩じり上げたかの様に垂直に伸びる建造物が存在した。
それこそが【強欲の配達種】の旧研究所――【大地の翼】。
俺が改造人間にされた場所。
最後にこの施設の外観を見たのは【聖なる鎖】の【主人公】たちの救出劇に乗じて父と脱出をした時。
当時は研究所の周囲に破壊されたロボット兵が沢山転がっていたが、今はもうない。
精々放置され、伸び放題となった雑草くらいだ。
俺は生い茂る雑草を踏み締め、研究所まで歩み寄る。
一体如何なる技術によって建てられたのか。今の時代でも目にしない構造物。その歪な尖塔が十年の時を経ても風化せず、この場所に当時の姿のまま鎮座していた。
俺は外壁の前で立ち止まる。
見上げた先には巨大な扉。それが俺の存在を感知して自動で開く。
「…………へぇ」
意外にも通電していた。
施設内も不気味なほど整備されており、暁が手を回したのだろうか、廊下は照明によって何処までも照らされている。
そんな白を基調とした簡素な廊下を歩きつつ、俺は当時の記憶を思い出す。
十年前……人造人間に攫われ、この施設に連れてこられた百人近くいた子供たち。
何人かは親に対する人質の材料にされ、その親は父の様にここで兵器開発………改造人間の実験をさせられていた。
人質であった俺は最後まで施設に残されたが、そうでなかった子供たちは早々に実験の材料にされた。
一人……また一人と減っていく子供たち。
もしかしたら何人かは父の手によって改造人間にされた子も居たかもしれない。
そして体内に埋め込まれた【魔物の因子】によって変貌してしまった子供。死んでしまった子供。沢山見てきた。
そして最後は俺自身も実験台に掛けられ…………。
生き残った子が何人か居た事も覚えている。
だがそうした子も【主人公】たちの救出劇の際に離ればなれとなった。
彼らは今、どうしているのだろう?
死んでしまったのか。はたまたまだ何処かの組織に捕まっているのか。ひょっとしたら俺と同じ一般人に紛れて暮らしているのかもしれないが、もしかしたら……。
――と、俺は再び大きな扉の前に突き当たる。
今度は昇降機だ。
俺は迷わず伸縮式の柵を開け籠の中に入る。
そして制御盤を操作。籠を動かした。
向かう先は下。この研究所の地下だ。
そこには改造人間の評価試験用の巨大ホールが存在する。奴が居るのはきっとそこだ。
俺を乗せた籠はガイドローラーの軋む音と巻き上げ機の轟音を響かせながらゆっくりと降下して行く。
数秒後――籠は天井から階下を俯瞰する形でホールに入った。
俺はそこでホールの全容を見る。
そこはグラウンド程の広さがあり、床や壁は全て白のタイル張り。そしてまるでそれ自体が発光でもしているかの様にホール内は照明の類もないにも関わらず眩しい程に明るい。
俺がここに来るのは今日が初めて。
俺は改造手術を受けた直後に救出され、評価試験等は受けていない。
同時にこれまでこの力を完全な形で使用したこともなかった。
それが今になってこんな場所で使う事になるとは皮肉もいいところだろう。
俺は拳を固く握り、ホールの中央で佇む一人の男を見下ろす。
誰であるかは確認するまでもなかった。
「待ってたよ。時間通りだな」
――碑賀暁。
彼は昇降機が到着し柵が開くなりそう言った。
手には昨日使っていた拳銃とサーベルが握られている。
「姉さんは何処だ」
俺は怒気を孕む声音で暁に問いかける。
すると奴は視線を俺からは外すことなくある場所を指さした。
それはホールを見下ろす形で作られた観測室。
ホール内の壁面はその一部だけガラス張りになっていた。
そのガラス板の向こうで眠らされている姉の姿を確認する。
「そうか……。ただ、このまま素直に返してくれる気はないだろ?」
「ここまで来てそんな展開が有り得るとでも?」
「だろうな……」
そして俺は歩き出す。
「――お前を倒して、奪い返す」
俺は覚悟を決めた。もう恐れない。
俺は己の内に潜む魔物を纏う決意を固める。
大切な家族を守る為に。
そして俺は瞳を閉じ意識を集中。内なる存在へと問いかける。
―― 来いッ! ――
瞬間――俺の脳裏に嘗て子供の頃、一度だけ見た事のある人狼の姿が蘇った。
同時に俺の瞳に閃光の如き輝きを宿す。
俺は叫んだ――
「第一思念解除【解放】――ッ!」
その力の名を――
「――――【液鋼の獣魂】!!」
解号と共に俺の中に眠る魔物が目を覚ます。
それはあたかも噴出する蒸気の様に俺の肉体から大気中へと放出された。
徐々に形を成していく俺の中の魔物の因子。
それらは数秒経たずして、黒銀に染まる液状の鋼としてこの世に顕現を、果たした。
液鋼はそれ自体が意思を持つ生物の様に蠢き俺の周囲を囲んでいく。
そして表面に真紅に輝く発光線を浮かび上がらせると、それらを葉脈の様に広げて複雑な紋様を描いた。
その線が脈打つ様はさながら血管。鋼は俺の意志に忠実に従って起動する。
それらは一瞬にして俺の四肢に絡み付くと既に装備している黒銀の双腕双脚をさらに強固な造りへと組み変え、禍々しき存在へと作り変える。
そして四肢そのものも常人から魔物のそれへと変性。
液鋼は俺の全身を覆うと鎧となって硬化した。
次第に俺の意識も魔物の意志と融合し同色の世界へと堕ちていく。
数秒後、暁が目にしたのは――
「GYAAAAAAAAAA!」
咆哮をあげる鋼の魔人だった。
俺の理性は珍泥の様な闇の中に沈み、そこで人狼の如き魔物と混わる。
その人狼の鉄面が今の俺の貌だ。
全身を覆う黒銀の装甲、それが生物の如き生々しさを放つ。
血管の様であった線は一部形を変え装甲を彩る紅蓮のトライバル模様と化す。
暁は静かにそれを見つめ、ホール内に吹き荒れる魔力の暴風を前にマフラーを靡かせる。
彼は呟く。
「【設計されし子供達計画】、か……」
【設計されし子供達計画】――それは父がこの研究所で行わされていた研究であり、俺と姉が施された実験の名前。
暁は鋭い視線を向けたまま苦笑交じりに続ける。
「嬉しいよ。お前みたいなのがまだ居てくれて」
「嬉しい……だと?」
俺は自分のモノであるのも信じられない程のダミ声を喉から発する。
それに暁はまるで世間話でもする様に返した。
「ぁぁ、本来なら――お前はこの世界から既に葬られていたはずの【悪役】。そしてそうする事が俺の【主人公】としての使命だった。しかし現実は違う」
「そうだな……」
【強欲の配達種】を滅ぼしたのは、結局全く関係ない【主人公】の集団。
父から話しは聞いている。
「俺はずっと許せなかった。あんな風に俺の【物語】に【終劇】が降ろされた事が。けど――」
暁の瞳に狂気の色が灯る。
「その生き残りがこうして現れてくれた。ようやく俺は己自身の手で、自分の業に【終劇】を迎えさせる事が出来るんだ。それが嬉しいんだよ」
そして口の端を吊りあげて歪に笑う。
「…………」
やはりこの男は父が話した通り【主人公】という役に憑りつかれている。
昨日秋葉原で起きた魔物の襲撃事件はこいつらの起こした【主人公劇】。
もう直ぐ東京の街で起こる本当の戦争をより苛烈にする為の戦力調節。
こいつらは永遠に争いの続く世界で永遠の【主人公】であり続ける事を望んでいる。
だが、それで成立するのは【主人公】であっても正義じゃない。
こいつらはこの世界の裏で暗躍する【主人公】という名の実害だ。
故にこいつらを許容する事など出来ない。だから――
「言いたい事はそれだけか?」
「ああそうだ。それじゃあ――【最終決戦】といこうか?」
嘗て【主人公】として悪の組織と戦った男――碑賀暁。
嘗て【悪役】として悪の組織に作られた男――神崎葉佩。
二人の主人公の戦いは、こうして始まった。




