第21話:変人と奇人。擬人と亜人
「畜生――ッ。何だってんだあの変態はよゥ!」
顔面に樋口一葉のお面を張り付けた黒須玲はアドレナリンで火照る脳みそを震わせながら声を張り上げた。
目の前で展開する光景が理解できなかったのだ。
――いや、理解出来ると言えば出来るのだが……。
昔見たアクション映画にこんなシーンがあった。
主人公と悪党の集団がとある店で戦っていた時、店の店主が突然キレて第三勢力として参戦し、主人公や悪党共と互角に戦うというモノ。
今起きているのはまさしくそんな展開。しかし――
「些かキチ外すぎるだろ。こんな変態キャラ登場させやがて……。俺はもうどうなっても知らねぇぞッ!」
繰り広げられる仮面ナースの奇形蟲たちに対する蹂躙劇。見かねた黒須玲は立ち上がる。
「もういい。こうなったら…………俺が行く」
「正気か?」
翼が胡乱な瞳で見つめ返す。
「翼は逃げた二人を追え」
どうやら本気であの仮面ナースと戦つもりうらしい。
そしてーー翼は彼の意志を汲む。
「…………心得た」
そして二人は同時に別々の方向へと飛び出した。
◇ ◇ ◇
仮面ナースのおかげで病室を出た晴彦と橙華はそのまま走り続け、病院の外へと脱出した。
しかしそんな二人の前に敵は現れる。
それは病院を出た直後、上空から舞い降りた。
和ゴス姿の女ーー彼女は路樹の梢を背に晴彦と燈華を見下ろす形で滞空する。
顔を鴉の面で覆い、その半面は紫の蔦模様で飾られている。
日もないのに日傘をさす姿はまさに奇怪で、さしずめ夜の帳に降りし黒衣の怪異だった。
そんな女が此方に向ける視線。仮面から覗く酷く濁って見える瞳に見つめられ、二人は奇形蟲に睨まれた時とは違う悪寒に襲われて動けなくなる。
そしてひときわ強い風が吹き、彼女の纏う香りが鼻腔を掠めたその時――
女は傘を閉じ、瞬間――消えた。
「なっ!」
そして晴彦の目の前へと現れる。
晴彦が即座に反応し距離を取ろうとするも、同時に体に走る衝撃。
鳩尾傘で突かれたのだ。肺の中から空気が奪われ、一瞬で動きが止まる。
そのまま膝を着きかけるも、そうはならなかった。
頭が真っ白になり、浮遊感を味わう。
続けざまに顎に走った痛みで、自分が顎を蹴られたのだと悟った。
意識の追いつかぬ神速の攻撃に宙を舞う。
しかし、直ぐに左手を引っぱられる感覚と共に、背中から地面に落ちた。
燈華と手を繋いだままだったが為に二人揃って地面に倒れた。
そんな晴彦と燈華の許へ女は下駄の音を響かせながら近づいてくる。
迫る女の目を、晴彦ははっきりと見た。
瞳が曇っていたと感じたのは錯覚ではない。
彼はこういう目をした存在を昔誘拐され兵器開発をさせられていた時に見た事がある。
家族を人質に取られ、自分さえ何時殺されるかわからなかったあの日々。
彼女はそんな自分達によって生まれた被害者と同じ目をしていた。
あの時、あの研究所で自分達が行った研究――改造人間の製造。
そこで自分達が手に掛けた子供達の事を晴彦は今も忘れていない。
晴彦の中であの時の子供達と彼女の雰囲気が重なる。
きっと彼女も何処かでそうした類の経験をした被害者なのだと理解した。
そしてだからこそ、そんな彼女が口を開いた時――晴彦は目を瞠り、顔を強張らせる。
そんな彼女が一体自分に何を話すつもりなのかと。
「マットサイエンティストめ。人ならざるモノを作るのがそんなに楽しいのか?」
女の声は酷く嗄れて、所々擦り切れて声も小さかった。
だが確かに女はそう言った。
何だ? どういう意味だ?
確かに自分は過去にそうした罪を犯した。だがそれを何故今彼女に指摘されるのか。
言葉に窮していると女は目を細め、左手を服の袖から出して晴彦の後ろを指さす。
その爪は黒いマニキュアが塗られており、手の白さがやけに目立つ。
そして女が指さす先――そこには燈華の姿があった。
その場に沈黙が降りる。
「――ぇ?」
燈華の間の抜けた声。燈華は顔面を蒼白にして後退る、対して――
ま、さか……。
晴彦はこの女が言わんとする可能性を脳裏に過らせ、凍りつく。
女は続けてこう言った。
「その子はもう――――――――」
「やめろ、言うなぁああああ!」
晴彦は絶叫した。
この女にこれ以上喋らせてはいけない。晴彦は純粋にそう思った。
女の紫色の唇から八重歯が覗く。
晴彦はそれに本能的恐怖を感じ、立ち上がるなり女に殴りかかった。
それは晴彦が暁に救われてからの十年間、理性では否定しつつもずっと恐れていたある可能性……。
晴彦の拳が女の鼻先に触れる。だが、女はそれを躱す。
それも紙一重などという次元の回避ではない。その場からの消失。
そう見えるほどの速さだった――
「ぐゥ――ッ!?」
晴彦は今――その女に背後から日傘の持ち手を首に掛けられ、背中に扇子の先を突き付けられている。
背後にいた燈華は、気絶でもさせられたのか、その場に倒されていた。
それをこの女は、わずか一秒で実行してのける。
――糞ッ!
晴彦は脱出を試みるも、首に掛けられた傘と背中の扇子に動きを完全に封じられた。
背中に食い込む扇子は固さ的に鉄扇だろう。それが脊髄を通じて脳へと激痛を送り、同時にキリキリと骨が軋む不快な音が脳まで響く。
まるで木偶人形を万力に挟み、徐々に締めあげていくかの様な光景。
「がぁッ、 あッ、あぁあああああああああああああああ!」
そんな悲鳴が口を割いて体外へと溢れ出し、体は酸素を欲して口を開くも、肺に酸素は届かず、目は充血、視界は乱れ、徐々に意識は遠のき始める。
そして今――晴彦の意識が現界より切り離されようとしたその時――
「待てよッ!」
息子の声を聞いた。
続いて何かが空間を駆け抜ける音。
晴彦がそれを何かと認識するよりも早く、体が拘束から解放される。
急に体が自由になり、晴彦はまず肺いっぱいに空気を吸い込み、その場に膝を着く。
そして何度か咳き込み、未だチカチカする視界を無理やり凝らして今の状況を確認した。
女は晴彦から数歩離れた場所で右肩を押さえ、鬼の形相でこちらを見ている。
その視線の先――そこに居るのは晴彦ではなく、その前に立つ……。
「葉佩……」
それは先程聞いた声の主――神埼葉佩だった。
だがその姿は……。
「葉佩、何だよ……その……脚は……」
その光景に理解が追いつけなかった。
葉佩の両脚を覆う黒銀の装甲。それはまるで彼自身の肉体の一部であるかの様に彼の双脚を覆う。そしてその表面は幾重にも枝分かれした赤い線が、まるで蔦のように絡み合い不可思議な模様を形成していり。
晴彦は先ほど女が言いかけて遮った言葉から真実を確信する。
「葉佩……」
彼は誰にともなく呟く。
「やっぱりお前達、改造されてしまっていたのか……」
それは十年前に家族を人質に取られた晴彦が恐れていた悲劇だった。




