第1話:俺の嫁が電脳人で娘で女子高生
―― 神崎葉佩という【主人公】の序章 ――
「暑い! 暑い、暑い、暑いぇっえっえゥぃぇぇううぉ――――!?」
夏休みになって以来数日ぶりに外出をした俺――神崎葉佩はいつの間にこの世はこんなにも温暖化が進み暑くなったのか……、いや寧ろこれは何処かの悪人の環境テロではないのか、とさえ錯覚するレベルの猛暑の中、発狂寸前の奇声を上げていた。
しかしこれほどの大声を出したところで暑さは微塵も軽減されることはなく、寧ろ余計にその暑さを意識させられる。
暑さを気合で吹き飛ばす――というのは日の最高気温がまだ50度以下だった頃の話。
今の時代は無心でクーラーの効いた安全地帯に避難し、一歩も外に出ないというのが正しい対処方だ。
とはいえ今はそれも許されず、それどころか街路樹の蝉は何が楽しいのか鳴き止むことを知らずにこの暑さを主張し続けていた。
馬鹿なの!? 死ぬの!?
などと考えたりもするが気晴らしにもなりはしない。
俺は額から流れる汗を掌で拭い、それを服の裾で払う。
そもそも、何故俺がこんな猛暑の中、外出をしているのかと言うと――
「葉佩、そうは言うけど夏休み中ずっと家に居ただろ? 偶にはこうして外に出ないと――」
偏に隣で俺を宥める父――神崎晴彦――お前の所為だ!
父は自称科学者であり、よくくだらない物を開発しては自宅でその実験を行う。
今日はそんな父の発明が切っ掛となるある事故が起きた所為で、俺と父は姉――燈華によってこの灼熱地獄の街へと放り出されていた。
その事故とは今から数時間前――早朝に起きたある一幕を指す。
◇ ◇ ◇
その日の朝――俺は起床後直ぐに起き上ることなく自室のベッドの上で横になったまま外の状況に意識を傾けていた。
今日の天気は、雲一つない晴天。外からは蝉の鳴き声が煩いほどよく聞こえる。窓を開ければ夏特有の熱気を含む生暖かい風が部屋を吹き抜けていく事だろう。
こんな日に活発な少年なら、せっかくの夏休みだからと朝から友達を連れて公園に行き、野球なりサッカーなりをして遊ぶのだろうが、俺――神崎葉佩は違った。
俺は窓から視線を外すとクーラーのスイッチを入れ、設定温度を最低にする。
俺は夏休みだからと夜更かしをし、朝はだらけるという皆誰しも学生時代に経験するであろう堕落した生活習慣を続ける側の人間であった。
時刻は九時を過ぎている――が、昨日は朝方までゲームをしていた事もあってまだ眠い。
だが同時に湧いてくる空腹感にこのまま二度寝は出来そうにないと考え、俺はベッドから起き上がると自室を出て一階のキッチンへ。
キッチンには父が買い溜めしているカップ麺があるので、それをひとつ拝借する事にした。
リビングには誰も居ない。父は昨日遅くまで実験をしていたようだし、姉は今日のバイトが休みだということもあって、二人ともまだ寝ている。
俺はお湯が出来るまでの間、ついでに顔も洗ってしまおうと洗面所に向かった。
鏡には見慣れた、自分の――まるで少女の様な顔が映し出される。
これは自分では汚点と思っているのだが、俺はおおよそ男らしいと呼べる容姿をしていない。
鏡に映った顔は透き通る程に肌が白く、無駄に整った鼻筋やシャープな顎のラインなど過去何度か女性と間違われた事がある。おまけに今はこの夏休みで元は短かった髪も随分と長くなり、男性服を着ていなければ男の娘に見えかねない。
「…………」
もう直ぐ始業式。俺の脳裏に何人かの級友たちの顔が過ぎる。
そろそろ髪を切りに行った方がいいだろうと、普通の男子高校生ではとても考えない様な理由で近日中に床屋に行くことを決意した。
数分後、お湯が沸き、リビングで朝食を済ませた俺は勢いよく立ちあがると自室へ。
食事をした事で思いのほか眠気も吹き飛んだ俺は自室に戻るなり――
「腹ごしらえ完了。眠気は、もうねぇ。宿題は……まァいいだろ。つもり、俺に今出来る事は何もない。従って俺はこれより……ゲームをする!」
張り切ってゲーム機の電源をオンに、テレビのチャンネルを変更する。
こうも俺が有頂天であるのには理由があり、俺はこの夏休み中夢中でプレイしているギャルゲーがあるのだが、そのヒロインとつい朝方デートの約束をすることに成功したのである。
そして万全の態勢でデートに望もうと一旦床に就いて今に至る俺はゲームのロード画面をルンルン気分で眺め、タイトルの表示を待っていた。が――
『馬鹿言ってるんじゃないですよ、御主人!』
「うぉァッ!」
突如テレビ画面いっぱいに表示された赤髪美少女。その顔に驚いた俺はたたらを踏んで転倒、そのままテーブルの角に背中を打った。
「グっ…いぃ……」
この突拍子のない出来事と背中の痛みに数秒間その場で悶絶する。
そして辛うじて上体を越こした俺は堪らずに叫んだ。
「痛って――なッ、ミア! 急に出てくんな!」
その視線の先――テレビ画面には赤毛をポニーテイルにした全面白地のセーラー服を着る3Dモデルの少女の姿が……。
彼女の名前は『ミア』――父が以前発明した『二次嫁創作アプリVer.1.0.0』の動作テスト時に俺がデザインしたモデルキャラである。
父は小遣い稼ぎにこのアプリを一般アプリストアで配信しようと考えていたのだが、ある理由からその話は流れ、現在このアプリを持っているのは世界中で俺一人となっている。
その理由については、まあ追々説明するとして……。
彼女は俺の怒号を前にしてもどこ吹く風とばかりに画面内を優雅に浮遊し、俺の悪態にひとしきり笑った後、今にも画面から飛び出てきそうなほど顔を近づけて悪戯っぽく微笑んだ。
『だってぇ……、御主人があまりにも怠惰なんですもん。このままじゃピザになっちゃいますよ?』
俺は溜息と共に姿勢を正すと彼女と向き合う。
「っ、なんだよそれは……。それで? 何の用だよ……」
彼女の登場がもっと他の理由からだと容易に判断できた俺はそう問うと、彼女はけろっとした態度でこう返した。
『宿題の件です』
「宿題? おいおい今日は休日だぞ。休ませてくれ」
『毎日休んでるじゃないですかぁ』
「今が夏休みだからな」
『でもそれもあと三日。終わります?』
「頑張ればなんとかな」
『それなのにこれからゲーム?』
「そうだよ。これからデート」
ミアが画面内を浮遊したまま呆れた風に、しかし何処となくつまらなそうに表情を曇らせる。
「何だ? まさか俺が他の子と仲良くするんで妬いてんの?」
『まさかぁ……。その子が好きになるのはゲームの主人公であって御主人じゃありませんよ?』
ミアはゲームのプレイヤーとしてはあまり聞きたくない事を平然と言う。
ただそれなら――
「なら別にいいだろ。宿題も午後にはやるし……他に問題でも?」
『そうですねぇ。じゃあそもそも御主人がその容姿でギャルゲーをしている姿が絵面的に腐女子にしか見えないというのを――――』
「はぁ!?」
突然何を言い出すんだ、こいつは……。
そしてミアは猫が笑うように目を細めると口から八重歯を覗かせながら続けた。
『それにデートってどうせまた巨乳の子とでしょ? 御主人好きですねぇ――ああいう子。あれですか? 俗に言う無いモノねだりというやつで――――』
「はぁア!? ちげ――し」
彼女の毒舌はいつもの事だが、今日は最初の登場といいついむきになり、テレビの電源を切る。途端彼女の声は途絶え、部屋は静かになった。
しかしこれで油断はできない。何故なら――
「――っ」
突如俺の背後、自室のパソコンの起動音が鳴る。無論俺はパソコンを操作などしていない。
勝手にパソコンがスリープモードから立ち上がったのだ。――と、
『も――ぅ、お話し中に消さないで下さいよぅ』
さっきまでテレビ画面にいたはずのミアがパソコン画面上へと移動していた。
べつに彼女の画像をデスクトップに設定していたわけではない。文字通り彼女は画面内を移動したのだ。
彼女――『二次嫁創作アプリVer.1.0.0』が一般に配信されなかった理由はここにある。
本来ならこんな機能は彼女には存在しなかった。
元は複数の肉体パーツを組み合わせて作った自分好み女の子とお喋りするだけのアプリ。
あの毒舌でお喋りアプリというのも信じられない話だが、父はそれだけの為に組み上げた彼女のAIを高性能にさせ過ぎた。
彼女は優秀過ぎる自我故に――自身で己のアプケーションを勝手にアップデートして進化。
変化は、ある日突然俺が学校にいる間に起きた。
その日――アプリを終了させても何故か彼女は俺のスマホの画面内に居座り、不審に思いつつも操作を続けていると、ホーム画面や他のアプリの起動中にも画面内をてくてく歩き回ったり、画面の隅から頭だけ覗かせてこちらを覗いてきたりと、本来プログラムにないはずの行動をとった。
終いにはキーボード上まで歩いてきてエロいワードの文字入力まで妨害してきたので、邪魔だと思って画面外に摘まんで放り投げてみると他の電子機器の画面内へと移動した。
ここにきて初めて事の異常さに気付いた俺は帰宅するなり父に相談。父がアプリのバージョンをチェックした時、俺と父は戦慄した。
『二次嫁創作アプリVer.2067.06.08』
日付か!? 彼女は最早父が手を付けられない程に進化していた。
苦肉の策として俺はスマホ内から彼女のアプリをアンインストールするも、彼女の権限は既に端末の機能さえ凌駕しており、一旦消去されたふりをした彼女が数日後に起こした『メリーさんごっこ』と称するいたずらは今でも俺のトラウマだ。
ある日既に消えたものと思っていた彼女から送られてきた電話やメール。徐々に自分の居る場所に近づいてくる彼女が映った風景とのコラ画像。俺は彼女が具現化して復讐しに来たのではないかと数日間脅えて過ごしたものだ。
そんな彼女がその気になれば無視など出来るはずもなく、俺はパソコン前の椅子に腰かけ、片肘をついて話しかける。
「そりゃあお前がいらんことを言うからだ」
『はぁ、それは失礼しました』
――と、言ってはいるもののまるで悪びれた様子はない。
『まぁ熱心なのはいいですけどね。ただその前の日に御主人が別の巨乳キャラを攻略してるの、私知ってるんですよ。それなのに今日は別のヒロインの攻略って、まったく二股とかゲスいですねぇ~』
「別ルートだから二股じゃないぞ」
『分岐前にどちらにも行ける様、散々二人のフラグを立ててたじゃないですか。デートだってダブルブッキングしてたし』
「なんでそんな事まで知ってる。盗み見か!?」
『馬鹿ですねぇ。ゲームをしている最中の声がでか過ぎるんですよ、御主人は』
「ぇ、そうなのか!?」
『そうですよ。とりあえず一つ忠告するなら今日御主人が攻略しようとしてるキャラより後輩の巫女キャラの方が実は巨乳って事ですね。普段はサラシを巻いているんです、あの子は』
「ォいッ、何でそんな事まで知ってる!?」
『私がさっきそのキャラを攻略したからです』
「おまっ……俺が寝てる間にか……!?」
『そうですよ。2ch的にはこういうのNTRって言うんですか? ふひひサーセン?』
「何やってんだよ」
『御主人が寝る間も惜しんで攻略する子がどれ程のものか興味が湧いたんです。まぁ正直とんだ期待外れでしたけどね。もっと色々ベントとかなかったんですか? エロ同人みたいな、エロ同人みたな、……エロ同人みたいなぁ?』
「ねぇ、何で三回言った!?」
「よくもまぁ――あんなゲームっ娘に朝まで夢中になれますねぇ』
「そんなの個人の自由だろ。昨日はあの子が可愛いくて俺をなかなか寝かしてくれなくてだなぁ――」
『はぁ~、自分の愚行をヒロインの所為にするとか、とんだゲス貴族ですよ』
「べつに愚行じゃねぇし。あとゲス貴族って、勝手な名称つけンな!」
全くふざけた事を言うミア。だがそれはいつものこと。
ひとまず無視して、俺はテレビリモコンを拾い上げ、もう一度テレビの電源をオンにする。
テレビ画面ではミアが居なくなった事で本来表示されるはずだったゲームのタイトルロゴが映し出された。
「とにかく、もう邪魔しないでくれ。せっかく攻略を始めたんだからいっきに進めたい」
そうして俺は立ち上がりテレビへ。
しかし俺の行動はパソコンとテレビ間にある自室の扉によって阻まれた。と言うのも――
「聞いてくれ葉佩! とうとう完成したぞ!」
「ゥォわっ!?」
突如体を襲う衝撃。突然開いた扉のドアノブが腰にめり込み、苦悶に表情が歪む。
俺は前につんのめり、今度はテレビ画面に顔面から突っ込んだ。
「ふぐっ、ご……」
そしてそのまま動けなくなる。突然の部屋の訪問者が誰であるか、確認するまでもない。
今、俺はテレビ画面の女キャラと顔面を押し付け合う構図となっている。
「……何だ葉佩? 二次キャラとキスでもしてたか?」
「して、ねぇ……わ」
俺は未だ額に残る痛みに顔をしかめつつ、仏頂面で振り返る。
数歩先には一連の原因となった人物――
「何だよ? 父さん……」
俺の父――神崎晴彦が居た。
各所に皺の入った白衣を着ている所から朝から仕事でもしていたのだろう。そんな父が勢いよく自室に入ってきた時、一体これから何が起こるのか、俺はよく知っている。
「実験だァッ!」
やはりというべきか、父はその宣言と共に自室の机に一台の機械を置いた。
父の新しい発明品である。
『なんですか? これ』
事の全てをパソコン画面内から見ていたミアが未だ口元に笑みを残したまま、その機械を興味津々といった様子で覗き込む。
その外観はこれまで俺達が見てきた父の発明品とは些か趣の異なる形状をしていた。
それはまるで風水の羅盤を思わせる円盤型。どこか魔道具を連想させ、その外周には大小様々な反射鏡が複数個存在し、全ての脚部には角度調節用の関節と盤の中央には円錐型を模した青白く輝く結晶石が取り付けてあった。
「なに……この石?」
その石に何処となく見覚えのあった俺は盤上のそれを指さして尋ねる。――と、
「前に見せた魔晶石があっただろ? あれだよ」
「ぇ、ぁ、あれ、使ったの!?」
あれ、とはその昔――父はとある秘密組織に誘拐され、そこで兵器開発をさせられていた過去を持つのだが、数年後そこから【主人公】によって救出される際、組織の倉庫からこっそりくすねたという研究材料の一つだ。
俺が知る限りその石は兵器の核として使わるエネルギーの塊だったはず。であるなら――
「まさか――兵器でも作ったんじゃないよね?」
微かな不安と共にそんな言葉が口から洩れる。
しかし父は大仰に胸を張るとそれを否定した。
だが代わりに口にした言葉は殺戮兵器以上に荒唐無稽な品だった。
「聞いて驚くなよ? 半永久機関―――その試作機だ」
「半永久機関?」
「日の光さえあればこの小さな石と装置だけで、数十万キロワットもの生命エネルギーを生み出す事が出来る」
『マジでィえすか!?』
ミアが興奮した様に画面内から装置を俯瞰する。
確かにそれはすごい、それが本当ならだが。
『でも大丈夫です? 使った瞬間爆発、消滅都市――ってのは、イヤデスヨォ?』
「お前そっちの方が楽しそう、とか思ってないか?」
しかし父はそれを使って朝っぱらからどんな実験をしようというのか。
俺の疑問に父は直ぐに答える。
「あれに使う」
父が指さしたのは窓の外――庭。
そこには姉のガーデニングエリアの一角を占める植木鉢があった。
「…………ん?」
俺は目を凝らしてそれを見る。そこには今にも干からびて枯れてしまいそうな瓢箪型の実を宿す植物。……ヘチマがあった。
「ぇ……ぁれ?」
「この一週間、水をやるのを忘れていた」
「――はぁ!?」
水やり、とはこの一週間父が姉に頼まれていた仕事。
姉は先週から昨日までの一週間――友達と旅行に行っており、その間の植物への水やりを父に頼んでいたのだ。ただそれを忘れていただと?
「昨日の夜思い出して急いで水をやったんだが……あの様だよ」
言われて庭全体を見渡す。萎びているのはヘチマだけではなかった。庭全体の植物が心なしか元気がない。それどころかその横に生えるぺんぺん草等の雑草類の植物の方が心なしか生き生きとして見えた。
姉は昨日の深夜家に帰って来て今の時間まだ寝ている。この惨状にまだ気付いていない。
「早く何とかしないと」
しかし真夏に水やりを一週間も忘れるなど、植物にとっては死活問題。
「もう、手遅れじゃないのか?」
「いや、前に【プラントリンガル】を発明しただろ? あれを今朝使ってみたんだ」
【プラントリンガル】――とは父が以前発明した植物の声を聴くことが出来る装置。
ガーデニング好きの姉の為に父が作った物なのだが、試しに姉の大事にしていたアマリリスに使ってみたところ『あのクソババァ! 糞まずい水道水なんか飲ませやがって、ふざけんな。俺の綺麗な花がみたけりゃペリエをよこしなッ!』などとぬかす結果を招き、泣く泣くプレゼントは断念した一品。しかし――
「……それで?」
「ヘチマ以外は皆無事だ」
あのアマリリスは今も庭の隅でふてぶてしく生きているのか。だが――
「ヘチマ以外?」
「あれはもう死んでる」
「おい!」
ダメじゃん!
「死んでたらもうだめだろ」
「いや、大丈夫。この装置はあんなものでも生き返す」
「生き返すだぁ?」
ひとまずあんなもの呼ばわりしたのは聞き流すとして、『生き返す』――とはどういう意味か。
その意味深な発言に訝しむ俺を無視して父は不敵な笑いと共に一階へと降りていく。
数秒後――俺も父を追って部屋を出た。
そしてミアも俺のスマホ内に移動して同行する。
この時の俺はまだ、まさかその後庭にて繰り広げられる奇行によってあんな事態に陥るとは夢にも思っていなかった。