VS 先輩(1)
今すぐに研究所に取って返して先輩に聞きたい気持ちもある。ただ、御使いの資料もシャテさんがせっかく持ってきてくれたので見たいし。……資料を借りれそうなら借りて家でゆっくり読むか。優先順位としては現状について確認する方が大事な気がする。
そして僕がシャテさんにお願いしてみたところ、資料の借り出しはあっさりと承認された。シャテさん的にはこの資料は単なる昔の出来事についてのもので、特に興味を引くものではないようだった。というか見ようとすらしなかった。「明日、私の部屋で一緒に見ましょう」と言っていた彼女の台詞が脳裏に蘇る。……やはりおかしい。すれ違う人も僕に握手を求めなかったところをみると同じ認識なんだろうか。これはちょっと確かめる必要があるな。
僕は資料の束を片手に、まずはシャテさんの隣、トアの部屋をノックして開けてみた。ところが彼女はどうやら留守のようで、ベッドにいつもの姿は見えなかった。……あら珍しい。まあここにいなかったら武器屋だろう。後でいいか。
次はえーっと、ロイとかあの辺りかな? 僕は教室まで移動し、そーっと入り口から中を覗いてみる。すると、中にはロイとその友人、それにクララさんという、先日僕と一緒に悲しい旅に出かけたメンツが揃っていた。……ちょうどいい。あそこに乱入したれ。
「おはようございます!」
「あらおはよう。今日も元気ねえ……本当に元気なの? 大丈夫?」
突然現れた僕にも動じず、クララさんが笑顔で返事をしてくれた。なぜ朝一から空元気を疑われているのかは、わかるけどわかりたくない。……でも少なくとも、一緒に冒険に行った記憶はあるのかな。さて、どうやって確認したらいいんだろう。
「いえいえ。この前は楽しかったですね。また一緒に行きたいです」
とりあえず探りの一手から。
「楽しかった……そうね……」
クララさんがふっと遠い目になった。あ、これ絶対記憶あるわ。……ということは、別に僕に関する記憶が全てなくなってるわけじゃないらしい。まあシャテさんもそうだったもんね。
次に問題になるのは、どういう記憶がなくなってるか、だけど。僕はなんとなく見当がつくような気がした。もしこれにルート先輩が関わっているのなら。――「私が何とかしてあげようか?」と先輩が言ってくれたのは、僕が御使いだからみんなが群がってくる、ということに対してだった。ってことは少なくともそこに関しての記憶はなくなってる……? あ、でもこの3人は僕が御使いだとか知らないっけ。なら全く変わりなしなのかな?
「また行きたい、って言ってくれて嬉しい! 俺が君を守ってみせる!」
「あ、はい。行けたら行きましょう……ん?」
「そうだよな。こいつの後ろに隠れてたら安心だ」
途中で乱入してきたロイとその友人が話しかけてくるのを流してたら、ちょっと気になった部分があった。……守るとか、隠れるとか。だって一緒に行った冒険では僕って石像とかバラバラにしたし。そもそもこの2人の前でドラゴンに殴り勝ったりしてるんだけど。いやひょっとしたら単に「女子は守る」的な発想なのかもしれん。
「えーっと、ちょっと変なこと聞いてしまってもいいですか? いえ、思ったままに答えてくれたらそれでいいんですけど。どう答えてもらっても別に構いません」
僕がどう聞いたものかと考えながらとりあえずロイに話しかけると、彼はなぜか狼狽した。その横で、友人がぐいっとロイの肩を掴んで耳打ちするのが聞こえた。
「いやお前、これたぶん違うぞ」
「いや失礼した。なんでも聞いてくれ!」
「あ、はい。ではお言葉に甘えて。……私とスノードラゴンだったら、どっちが勝つと思いますか?」
そうすると、しーん、とその場が一瞬静まり返った。僕は思わず周りをきょろきょろ見回してしまう。……いや、なんでこんな変なこと聞いた人みたいになってるの。
「それは可愛さで、とかそういう意味か?」
「いえ、単に素手で殴り合った場合の勝敗を聞いています」
「いや、殴り合うっていうか、なぁ……これ真剣な質問?」
「はい。お2人とも思ったままを答えてください」
「スノードラゴンに殴り合いで勝てる人間って世界のどこ探してもいねぇだろ……そんな奴がいるなら見てみたいぜ」
「俺もそう思う。申し訳ないんだが……」
今目の前にいて見れてるけど。……あれ? じゃあ僕と初めて会った時ってどういう処理になってるんだろう。
「あの、じゃあ! 私たちが初めて会った時って、覚えてますか……?」
そうすると、なぜかロイは再度狼狽した。再び友人がその肩をぐいっと掴んで耳打ちする。
「これが第一声ならお前の気持ちもわかるんだけどスノードラゴンからは無理だ」
「……失礼した。あれは、雪山の洞窟で」
「うんうん」
「……? あれ? いや、待ってくれ」
そう言って、ロイはしばらく考え込んだけど、結局会った時の詳しいことは思い出せないようだった。友人も同じく。うーん、ということは記憶が消えてるのは、御使いに関することだけ、じゃない? まあドラゴンを殴り倒すというのも強さに関する部分だから合わせ技でどうにかなってるのかも。それが確認できただけで充分である。では次に行くか。さらば忘れん坊2人組よ。
……しかし、ロイ友人の「すまん覚えてないわ!」という開き直りは清々しかった。世が世なら友人になれそう。いじっても許されそうな感じ。……よし、試しにちょっとやってみようかな。
「覚えてないんですね。……あーあ。私は覚えてるのになぁ。……悲しいなぁ」
そう言い残して僕がその場を後にすると、後ろで何かが崩れ落ちるような音がした。ナイスリアクション。大げさに呼び止められたらその瞬間に振り返ろうと思っていたけど、全然呼ばれないまま教室の出口まで来てしまった。まあいいか。よし、次。
僕が出口から出ようとすると、ちょうど教室にロランドが入ってきた。……お。僕を御使いと知ってるやつが来たぞ。どうだろう。僕は同じように問いかけてみる。
「まず私のこと、覚えてますか?」
「……お前は俺を馬鹿にしてるのか。当然だ」
胸を張ってそう自信満々に言う彼は、どっちとも取りがたかった。じゃあちょっと来て、と僕はロランドをテラスに無理やり引っ張ってくる。よし、誰もいない。
「で、なんだ」
「いや、僕が何だったか聞こうと思って」
「なんだと? そんなことも忘れたのか。お前は俺のメイドだろう」
そっちでしたか。……いやまだどっちかわからんぞ。
「いやほら、僕って御使いだったじゃない」
「自分で自分を天使という人間は初めて見た」
ごふっ。意外に客観的な意見が僕をえぐった。そしてロランドも会った時のこととか御使いのあたりはごっそりいってるっぽいね。彼はやれやれ、と肩をすくめて苦笑いした。
「単なる村娘が御使いとは大きく出たものだ」
くそう、ロランドのくせに生意気だぞ。お前を4つ折りにしてやろうか。
「じゃあ単なる村娘をメイドにしてるあなたは何なの……どうして僕がメイドになったのかとか、覚えてる?」
「ふん、身分や能力、詳しい経緯など関係ない。……ただ、お前は俺の味方だ、ということだけは知っている。それで十分だろう」
それだけを言って、ロランドはゆっくりとした足取りで去っていった。
しばらくして僕は気づく。……あ、これ結局、忘れてるのをかっこよく誤魔化されただけだ。うーん……。しかしどうしたものか。やはり研究所に行って直接ルート先輩に話を聞くのがいいかな。
そうして、僕は研究所に再びやってきた。魔法学校の敷地内に静かに佇む研究所は、いつもよりなんだかさらに不気味に見える。オオオォォォ、とどこからか地鳴りも聞こえる気がした。見上げると空もどこかどんよりと暗い。近づくにつれて、ちりちりと全身の毛が逆立つような気がした。
……いや。僕は無敵のはず、対魔法防御も完璧だし、物理耐性も最高。今回のおかしなことにも影響を受けていない。いけるはず。僕は思い切って研究所の扉を開けた。キィー……、と扉が立てる軋む音でさえ、耳にやたら大きく響いた。僕はそっと室内に潜り込む。と、すぐに声がした。
「……あれ? どうしたのー? 普通に入ってきたらいいのに」
「ひえっ」
普通に部屋のソファーに座っていたらしいルート先輩が声を掛けてきて、僕はその場で飛び上がってしまった。……なぜ入ってすぐのとこにいるんだ先輩。もっと奥に怪しい装置とか人体実験の跡とかがあって、そこにいるのかと思っちゃったよ。そんなんあるかも知らないけど。
僕は思いっきりそわそわしながら先輩の向かいのソファーに座る。しかしいかん、いきなり予定が狂った。心の準備が全然できてない。先輩はそんな僕を見て不思議そうな顔をした。
「なんだか汗がすごいけど……大丈夫? 何か飲み物入れてあげようかー?」
「いえ結構です!」
今飲み物を貰っても素直に飲める気がしない。なんか怪しいものに見えちゃいそうで。一方、えーいらないんだー、そうなのかー、と言ってぽすぽすとクッションを叩き、いじける先輩はいつも通りだった。怖いくらいに。
「あの!」
「なーに? あ、のどが渇いた、でしょ!」
「違います! 実は、皆が私のことを忘れてるんです」
「そうなの!? どうして!?」
あれ、普通にめっちゃびっくりされてしまったぞ。……え、これ違うのか。先輩はたまたま関係ありそうな会話を前日にしてただけってこと……? そんなことあるんだろうか。でも、口に手を当てて思いっきり驚いた表情の先輩は、嘘をついている様子はなかった。
「ごめんなさい、それで先輩が何か知ってるかなと思って来たんですけど……」
「むー、ひょっとして私疑われてたの!? そんなことする訳ないよ!」
こらー姉弟子を疑ったのかー、冤罪だぞー、と手を上げながら頬を膨らませて抗議する先輩は、普通にいつもの先輩だった。……これはいかん……。証拠もないのに人を疑ってしまった。ごめんなさい。
そして先輩は、不意に笑顔を止め、真剣な面持ちで僕の方に体を乗り出す。
「それにしても、皆が忘れてるってどういうこと?」
「いえ、実は、私が御使いだということを誰も覚えてなくてですね」
「……ああ、なんだ」
当然のことを聞いたように、先輩はふふっと笑って、ポンと両手を合わせた。見てるだけで安心するような笑みだった。
「私てっきり、あなたのことを皆が覚えてないのかと思っちゃったよ」
「いえ、そこまでではなかったです。ただ、私のことを覚えてるのに御使いのことだけ抜け落ちてまして……」
「ふふ、それは当たり前じゃない」
……え、そうなの? 今の流れで当たり前な要素ってあったかな? 御使いってそんなすぐ記憶から抜け落ちていくものなの? 世界史で出てくるやたら長い人の名前みたいに。
僕が首を傾げていると、先輩はあーなんだよかった、と胸をなでおろした後、不意に笑顔のままで「はい!」と手を上げた。とりあえず、どうぞ、と当ててみる。すると先輩は元気に胸を張った。
「私だったよ」
「……何がですか?」
「消しちゃった」
「何を……?」
「御使いの記憶。……邪魔だったんだよね?」
「いや、え? ……え? だってさっきそんなことしてないって」
「あなたのことを皆が覚えてない、って言ったから……。私が加減を間違えちゃったのかと思って。でもそんな失敗するわけないし……」
「ちょっと待って」
いったん手を突き出して、僕は情報を整理する。今、軽くなんかすごく重いことを言われた気がするぞ。そしてその間、先輩も律儀に体を静止して待ってくれた。しばらくして僕は再起動する。
「ルート先輩って記憶消せるんですか?」
「うん。距離が近ければ近いほど確実に消せるよ」
「ちなみに今回消したのは誰の記憶を……?」
「えーっと、国民全員かな?」
「距離が近ければとは……。あの? それで、どうして?」
「全員から記憶を消せばもう追いかけまわされないよね?」
ほらかんたーん、解決、と言って先輩はニッコリ笑う。ただ、僕は笑えなかった。
「いや、まあ、そう。そうなんですけど」
「……あれ? なにか、嫌だった?」
なにが駄目なのかわからない、という顔で先輩は首を傾げた。今まで普通に笑っていたのと同じようにニコニコ微笑んで。……それが怖い。だって、記憶をいじるって、それはきっと。
「……ルート君! どうなっているのかね!」
そんなとき、バターン! と扉が開いて、ウルタルが急に研究所に飛び込んできた。なんだか興奮しているみたいだった。
「他人の意識に手を入れるなと言ったろう!」
「先生、すみません……つい……」
まさか倫理的指導がウルタルからルート先輩に対してされてしまう日が来るとは。でも今日だけはウルタルが正しい。今ならまだ先輩も外れた道から戻れると思う。けど僕のためにやってくれたんだよね。申し訳ない。シュンとしている先輩を見ていると僕の胸にも罪悪感が芽生えてきた。あんまり怒り過ぎないであげてほしい。
「あるがままを観測すべきだ。外から手は極力入れるべきではない。それは前も言った通りだ」
……なんか、叱ってる内容が合ってるようで合ってないような……。しかも先輩、再犯だった。はい、と静かに頷いた先輩を満足そうに眺め、ウルタルはこちらも大きく頷く。……え? 終わり? いや、なんか一番重要なところがスルーされてるっていうか……。
「ルート先輩! 聞いてください。他人の記憶をいじるって、他人の大事なものに手を出してる行為だと思うんです。私は先輩にそんなことをしてほしくないんです」
「そうかね……?」
「もはやあなたには言ってません」
「うん、わかるよ。……そうだよね、あんまり一般的に見て良いことではなかったよね。ごめんなさい」
あんまり良いことではないというかヤバすぎる行為というか。……でも、わかってくれたらしい。……これわかってくれてるよね……?
「いえ、私のためにしていただいたことだと思うので……。ちなみに消した記憶って戻るんですか?」
「あはは」
……あ、戻らないんだ……。余計やばい。わろてる場合か。けどそもそも、そんな能力、どうやって……?




