違和感
でも、うん、これでトアはきっと大丈夫じゃないかな。めでたしめでたし。そう思って僕もカフェから去ろうとしたところ、いきなり扉のそばで見知らぬ女子から声を掛けられた。
「すみません、私と手を握っていただけませんか」
「あ、もうこんな時間! ごめんなさい! 急いでるので!」
……そういえば忘れてた。魔法学校の中は危険地帯だった。謝罪の一言だけ残して僕はその場をダッシュで走り去る。……しかし僕もついに握手を断る存在になってしまったのか……。
その後、魔法学校の寮内にあるカフェから正門に至るまでの間、実に12人に声を掛けられた。どうやらシャテさんと遭遇するまで声を掛けれられなかったのは奇跡だったらしい。まあ、街に出たら大丈夫でしょ。僕は軽くそう思っていた。……ところが。
「一緒に来てもらおう」
「知らない人についていくなとおばあちゃんが言ってたので」
「お前を待っている人がいるんだ。顔を貸せ」
「さっき私と同じ顔の人が向こうに走って行きましたよ」
「いいから来い」
「今からちょうちょを追いかけないといけないので無理です」
……なんか街の方が全体的に客層というか柄が悪いぞ。とりあえず屋根の上に退避し、僕は通りの方をそーっと窺う。……「どっちに行った!」みたいな感じで街中を走り回っている、どう見ても堅気には見えない方々。世が世ならモヒカンとか生やしてそう。できるだけお友達にはなりたくない。
……日中に3人で教会に行ったときはそんなじゃなかったのに。しかしこれでは家に戻れないではないか。あんなお客様が大挙してやってくると大家にバレたら退去待ったなしである。……いかん、意図せず「大挙」と「退去」がかかってしまった。でもこれならまだ魔法学校の中の方が……。
僕がそんなどうでもいいことを考えていると、突然バサッと上から何かが降ってきた。……なにこれ? 体全体にかかっているそれを手元に引き寄せてみると、なんか柔らかい金属でできた網みたいな……?
「取った! この網は特殊な合金で出来ていて、ドラゴンでも破れないと言われている。高かったんだぞ。大人しくし……ろ……」
解説乙。とりあえずべリベリーっとその網を豪快に引き裂いて脱出する。とても悲しそうな顔をしてその場に佇む忍びっぽい人を屋根の上に置いて、僕は再びダッシュでその場を離れた。……これはいけない。このままだと悲しい思いをする人がいたずらに増えてしまいそう。まあ、知ったこっちゃないからいいんだけど。
そう思って走っていると、次は前方に剣を担いだ戦士っぽい人が立ちふさがった。いや、障害物競走じゃないんだから。なんで1ステージごとに1人ずつ来るの。その人は、長い剣をすらりと抜いてげへへと笑う。……うわぁ。悪役っぽい。
「手足は切り落としても生きてりゃいいって言われたからな」
「手足を切り落としたら普通は死ぬのでは……」
そう僕が依頼主のIQについて疑問を呈していると、ふと近くの屋根の上にいる魔法使いっぽい人が目に入った。どうやら何かを一生懸命僕の方にかけているみたいだけど、何も感じない。とりあえずそっちを指さして、戦士っぽい人に聞いてみることとする。
「すみません、あの人は何をしているんですか?」
……ふむむむ。読み取ったところによると、どうやら剣の人は囮で。そっちに気を取られてるうちに魔法使いが睡眠魔法を掛けて、場所を移してあれやこれやした後に依頼主に持っていくという作戦だったらしい。ちなみにあれやこれやの部分は思いっきり18禁だった。よし殺そう。
無言で戦士っぽい人をぶん殴った後、結構よさげな剣は恨みを込めて四つ折りくらいに曲げておく。そしてそれを屋根の上の魔法使いに投げつけると命中し、いい音がしてぽとりとその人は落ちてきた。とりあえずは魔法学校の中に逃げよう。まだ握手責めの方がなんぼかましである。あっちならまだ18禁的展開にはならないし。
そしてそこから魔法学校の中に戻るまでに、実に4ステージ、4組の変態達に絡まれた。異世界版SASUKEかな? けっこう真面目に走って高速移動しながらでそれだから、普通に歩いていたらと思うと恐ろしい。
……しかし、どこに行くべきか。さすがに僕もさっきの今でトアの部屋に助けを求めには行きづらいし……。よし、ここは普通にウルタルの研究室に逃げ込むか。ウルタルがいたとしても気を遣う必要はないし、きっと握手は求められない。僕は本日何度目かわからないダッシュでそちらに向かった。
見慣れた研究室の扉を開け飛び込み、バタンと閉める。……ふうやれやれ。ようやく僕は息をついた。まあ、ここに下手に入ったら実験台にされるだろうからあんまり入ってこないでしょ。むしろ邪な考えを持っている者は片っ端から入ってきて謎の薬の原材料にでもされるといいのだ。僕がそう世界が平和になるよう願っていると、不意に誰かの声が聞こえた。
「あれ、どうしたのー? そんなに慌てて」
僕が部屋の方を振り返ると、ちょうど室内にはルート先輩がいたみたいで。奥の扉から顔を出し、建物に飛び込んできた僕の方を不思議そうに見ていた。えーっと、どう説明したものやら。だって何が起きてるかあんまり僕自身もよくわかってないからね。でもこれはきっと……。
「なんでも、私が御使いなことが広まってしまったらしくて。皆が追いかけてきたり、捕まえようとしてくるんです。ポケモンGOでいうと激レアポケモンが出現したとき並の群がり具合です」
「それ大変じゃない!? 大丈夫だった?」
「なんとか……」
ぱたぱたと僕が服の埃を払っていると、先輩は目ざとくそれを気にしてくれたようだった。真顔になり、こちらを向いて聞くモードになる。その時、何かがおかしい、という違和感が僕の全身を包んだ。そしてそれは、以前にもどこか感じたものだった。……あれは、どこでだっけ。いや、今は先輩がこっちを見てるからそれに対応するのが先か。
「ねえ、どういうことがあったのか、教えてくれる?」
一応全部報告しておいた。怪我1つありません、という注記とともに。だって話を聞いていくうちに先輩の目がなんか怖くなっていったから。
「ただ困りました……。このままだと家にも帰れないし……」
僕がそう溜息をついていると、何事かを考えながら、先輩が立ち上がってもっとこっちに近づいてくるのが見えた。……なんだろう。そのまま先輩は僕の前で屈みこみ、僕の耳元でそっと、ゆっくり囁いた。同時に、ふわっとした甘い香りが僕を包み、なんだかくらくらしてしまう。
「ねえ、これからもずっとそんな目に遭うの、嫌だよね? ……私が何とかしてあげようか?」
「あ、はい、嫌は嫌ですけど。……でも先輩に追い払ってもらわなくても大丈夫です。自分でできます!」
「そう? でも私もやれることはやってみようかな」
そう言って、先輩は立ち上がった。そのまま踵を返し、ゆっくりと研究所の奥に進もうとする。なぜかその後姿に、形にならない不安を覚えた。なんでだろう。そして、今先輩が考えていることが、霧がかかったように全く読めない。
「今日はここに泊まっていったらいいんじゃないかな? 害するような人は誰も入ってこれないから」
「あの!」
「どうしたの?」
振り返った先輩はいつも通り笑顔だった。首を傾げたその笑顔があんまり綺麗過ぎて、何を言おうとしていたのかを一瞬忘れる。……えーっと、うん、いや、そうだ。断るんだよ。
「ほんとに大丈夫なのでー!」
「はーい。わかってるよー」
そう言って、先輩は研究所の奥に消えていった。ひらひらと手を振って。ただ、なぜか僕の胸騒ぎは消えることがなかった。いつも通り、笑っているようには見えたけど……。
そしてソファーで横になり、静かな中で暗い天井を眺めているときに、ふと思い出した。……さっきの違和感を、前にどこで感じたかってあれ。……あれはシャテさんと話していて、僕が雪の都に走っていって日帰りで戻ってきたってときだ。
僕が「ポケモンで言うとギャロップより遅いくらいのスピードで走った」って言って、シャテさんは何て言ったっけ。確か「そう言われても早さがピンと来ない」って言ってた気がする。でもシャテさんは早さよりもピンと来ないものが先にあるはずなんだよ。そもそもギャロップって何やねん、って。普通なら彼女はそう言ってきそうな気がする。ただこれだけならそういうこともあるだろう、で済むかもだけど。
もっとおかしいと思ったのが、さっき。先輩って普通に僕のポケモンGOの比喩に対応して話をしてなかったっけ。単にスルーした、という可能性もあるかもしれない。
でも、もし、両方とも意味が伝わっているのなら。この翻訳魔法って、思っているよりもっと高性能なのかもしれない。それこそ、僕が考えたイメージそのものを読み取り、相手に伝わるようにそれを通訳して伝えてくれるような。もしそうだとしたら、きっと、この魔法は思っていたよりずっと。人の心の深くまでを読み取っているということになる。そして国民全員がこの翻訳魔法を使っているらしい。ということはそれぞれの心の奥に、この翻訳魔法は根を下ろしていて。……ということはつまり……なんかそれってすごく恐ろしいことのような気も……?
駄目だ、なんかこれ以上はわかんないや。寝よう。
次の日の早朝、僕は研究所の外にきょろきょろしながら出た。……右よし。……左よし。そして特に上を何度も見たけど、網が降ってくる気配はない。上よし。……それにうん、誰もいない。
その後しばらくして生徒がやってきたけど、みんな僕の方をちらっと見てすぐに校舎の方に入っていく。……おや? まあ、朝なら急いでるし握手なんか求めてる暇はないのかもしれんね。
しかし校舎の中に入って、シャテさんの部屋の前まで行っても、すれ違った誰にも握手を求められなかった。……これはひょっとして……先輩が生徒に何か言ってくれたのだろうか。ならまた後でお礼を言っておかねば。しかしいい人だよね。よし、今日は甘いものとかいっぱい買って帰ろう。
そして、シャテさんの部屋に入り、僕はテヴァンの集めたという資料を見せてもらった。……それは思っていた以上に多い。トアにも見てもらわないとだけど、先に予習しておこう。
僕がそれを一生懸命パラパラとめくって読んでいると、シャテさんが不思議そうに僕にふと尋ねてきた。
「それにしても、どうしてこの資料を見たいと思ったの?」
「……あれ? 言いませんでしたっけ?」
「ごめんなさい、聞いたかしら……? 過去の御使いの資料なんて見て、どうするのかと思ったから……」
「1つ前の御使いの動向が大きなヒントになるのは間違いないので。助かります」
「あら、1つ前って?」
……なんか会話が噛み合わないな。僕が資料から顔を上げると、ぽかんとした表情のシャテさんがこちらを見ていた。意味の分からないことを聞いたような顔。
「いえ、だから1つ前は1つ前というか……私の前の御使いです」
「あなたの前の? どういうこと?」
……何かがおかしい。僕はいったん資料を見るのを止め、シャテさんと向かい合う。
「えーっと、シャテさんは何がわからないのかが、私には分からないんですけど……」
「いえ、だから。前の御使いってどういうことなのかしら」
そう言って、首を傾げてシャテさんは資料を指さした。
「――これが最新の御使いの資料でしょう? 20年前に降臨した。それ以降、今までの間に新しく御使いが現れたなんて話は聞いていないわよ」
「え、いや、私は?」
「あなたがどうかしたの?」
……あれ?
「……あの、ちょっと変なこと聞いていいですか? 私って、どんな人でしたっけ?」
「どういう質問よ……遂に自分のことも忘れちゃったの?」
遂に、というところに疑問はあれど、あははと笑っておく。ごめんなさい念のため、と僕が言うと、シャテさんはあきれ顔でそれでも教えてくれた。しかし自分でもちょっと聞き方がアレかなと思ったのに答えてくれるとは。シャテさんの器が大きいか、こいつなら聞きかねないと思われてるのか、どっちだろうね。それでも、彼女からあんまり思ったような返事は帰ってこなかった。
「だから、ロランドっていう生徒に仕えてるメイドでしょ?」
「まあ肩書としてはそう、そうなんですけど。ほら、種族とか、特殊な能力とか、そういうの……」
「そんなのあったかしら? 元は普通の村娘だと聞いてるけど、違うの?」
「そ、そうでしたっけ……」
「まあ、そういう特殊なものに憧れる気持ちは分からないでもないけど」
なんだか冷や汗が出てきてるのが分かる。……シャテさんは、嘘を言っていない。それがわかるだけに、恐ろしかった。いったい何が起こってるんだ。
ちょっと休憩してきます、と言って僕はシャテさんの部屋を退出する。そのまましばらくの間、廊下をふらふらと歩いた。でも、すれ違う誰も、僕に握手を求めては来ない。……まるで昨日までが、嘘だったみたいに。
僕はふと思いついて、廊下の煉瓦でできた壁をちょっと触ってみた。そのまま力を込めて押すと、びしりと少しヒビが入る。……力はそのまま。それが逆に、余計に僕を混乱させていた。ただ、確信できることが1つ。
……この異常には、きっと、ルート先輩が関わっている。




