人生で初めて、ってなんだかんだ記憶には残るもの
「やっぱり海辺の街へは転移魔法で行きますか?」
「いや、馬車で行こう。明日の朝には着く」
……いや、転移魔法なら10分程度で着くやん。なんでわざわざ? 僕が首を傾げていると、その疑問が顔に出ていたのか。ウルタルはふむ、と頷いて説明を始めた。
「海辺の街へ行く途中にある、星見の丘を知っているかね」
「ええ、まあ……」
確か、牧場的なところで、いろんな種類の馬とか牛とかがのんびり暮らしてるところだったはず。……それが?
「実はちょうど今、丘を解放して年に1度の催しが行われているらしい。せっかくだから寄って行ってはどうかと思ってね。動物にも触れあえるいい機会ではないかな」
……怪しい。あなた牛にも馬にも興味なんてないでしょ。
「あたし見たいな……」
「私もー」
あ、いかん。ゼカさんとルート先輩がさっそく騙されている。ゼカさんは僕の後ろに隠れながら。こら、隙あらば僕の足をホールドしようとするのはやめなさい。
「よし、決まりだな。では諸君、行こうか」
ニコニコ笑いながらウルタルが手を広げてそう言った。……いやでも、なんかこれから悪いことを始める犯罪者にしか見えないっていうか。
……ところが、星見の丘で。ソフトクリーム的な物を食べたり、取れたての牛乳を飲んだり、馬とか牛に乗っかったり。僕らはそこで様々な種類の動物の表情の違いを知り、大きな丘から見える草原の雄大さとそこを行く水牛の大群に驚き、その大きな草原に沈む夕日の赤さに息を呑み。それはそれは楽しい時間を過ごした。それを後ろから笑顔で見守るウルタルは、なんだか優しい保護者のようだった。……あれ、先輩に怒られて改心したのかな? もう少し信じてあげたらよかったかもしれない。ちょっと罪悪感。
そして夜はみんなで、コテージみたいなところに泊まることになった。そこで寝る前に、ふと僕は外に出てみる。頭上を仰ぐと雲一つなく、そこに広がっていたのは、まるで降ってくるような星空で。僕は音もない夜空に散らばる名も知らない星座をただ目で追いながら、空を見上げた。
タッ、と足音がしたのでふと隣を見る。いつの間にかゼカさんも出てきていたみたいで、彼女も僕と同じように空を見上げ、大きな溜息をついた。
「わぁ……」
しばらくそのまま2人で空を見ていたけど。ふと思いつき、僕は思い切って地面に大の字でごろんと寝転んだ。すると視界が広がり、その全てが夜空の星で埋まる。思ったよりずっと多くの星と、夜の闇だけが広がるその光景に一瞬、息が止まった。……あたかもそのまま、海みたいに深い夜空にどこまでも自分が落ちていくみたいだった。やがてゼカさんもえい、と隣に寝転ぶ。息を呑む音が聞こえた後、僕の手に彼女の手が触れ、ぎゅっと手を握られた。きっと彼女も僕と同じく、空に吸い込まれるような感覚を味わったんだろう。
真っ暗な中、時折遠くの草原が風にそよぐ音しか聞こえない。そんな静かな中で、ぽつりとゼカさんが言葉を口にした。
「……ねえ。サロナの故郷でも星って見えるの」
「はい。でもこんなにたくさんは見えません。でも月がもう少し小さいから、山とかに行くとここより星が見やすいかもしれませんね」
「そうなんだ……いつかあたし、その夜空も見たいなぁ」
……それは無理だ。だって、僕は1人で帰るし、それはきっと一方通行の旅。今回の海辺の街みたいに馬車で帰ってこれるのとは訳が違う。ゼカさんの世界はここだから。
僕がそのまま彼女の言葉に返事をせずにいると、僕の手をちょっと強く握った後、彼女が小さな声で呟くのが耳に届く。
「……ねえ、もし……いや、なんでもない。…………ううん、あのね……」
そしてしばらく待っても、その続きは聞こえることはなく。僕たちは黙って、覆いかぶさってくる星々の大群を、お互いに人生で初めてであろうその光景を、寝転びながら2人で、ただ眺めた。他に何も聞こえないその丘で、お互いの手を握ってそうしていると。――まるで世界には僕ら2人だけしかいないような、そんな気がした。
ドドドドドドドドド、と何かが迫ってくる音が聞こえる。んー? 僕は眠い目を擦りながら体を起こした。なになに? きょろきょろとあたりを見回す。……あれ、コテージじゃない。なぜか草原に寝てる。……おや? 昨日あのまま寝ちゃったっけ?
そう考えていると、後ろから響く轟音とともに、不意に何かに踏んづけられた。
「!?」
そのまま何かに揉みくちゃにされながら全身に衝撃が加わり、地面に半分埋まった。……!? いや、なに!? そしてしばらくの間、半分埋まったままドガンドガンと体にひたすら何かがぶつかる感触が続く。
やがてやっと衝撃がやんだので地面から這い出ると、水牛っぽいのの大群が走り去っていくところだった。……あれに踏みつけられたんだ……。いやいや死ぬやろ。
僕が全身の土や泥をぱたぱたと払っていると、ふと視線を感じる。振り向くと、丘の上でウルタルが顎を撫でながら何かを頷いているところだった。……あ、何があったかわかっちゃった。このやろう。シュババババ、と僕は一直線に容疑者のところに駆け寄る。
「……ちょっと!」
「○△〇×××?」
「……ん? いや誤魔化さないでくださいよ。責任能力関係なく私は断罪しますからね。今からあなたをぶん殴ります」
「医↓逋コ逕溘@縺セ縺吶」
……やばい。本気で何を言ってるかわからないし、誤魔化してる雰囲気もない。……ひょっとして。
ふと手を見ると、いつも握りしめてた翻訳魔法の魔石がいつの間にかなくなっていた。何度見てもなかった。神に貰った唯一の特典が、ない。……やばい! 自分がいたあたりを見回したけど、目につくのは水牛の足跡が残るぐちゃぐちゃになった原っぱだけ。見つけられる自信は、ない。もう僕の手に戻っては来ない、そんな気がした。……ということは、これ以降は言葉が通じない状態で過ごさないといけないことになる。……そんな。いや、まだ間に合うんじゃ。さっき寝ていたあたりに駆け寄り、生えてる草をかき分けたり、土を掘り返してみたり。でも。ない、ない、ない。
その後もしばらくふらふらと彷徨いながらあちこち掘り返してみたものの、当然のように何も出ては来なかった。
「……どうしよう……」
地面に膝と手をついて僕はただ原っぱを見つめる。……どうしてあれをネックレスとかにしておかなかったんだろう。そのうちなくなるに決まってるやんけ。いや、でもネックレスにしてても水牛の群れに踏みつけられたらどっちみちなくなった気も……。そんなとき、後ろからウルタルの声が聞こえた。
「?≫u2??±?・?????」
僕が顔を上げると、すっと何かが差し出される。ウルタルの手に乗っていたのは、赤い魔石。僕が探していた神の特典、そのものだった。がっしりとそれを受け取り、胸に抱く。あなたが神か。僕は笑顔で何度もお礼を言った。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
「何、礼には及ばない。思った以上に頑丈だということも確認できたからな。いや、ここに寄って良かったよ」
……そういえば、もともとあんなところに寝てたのって……。いや、いちおう確認しておこう。これでゼカさんとか先輩が犯人だったら、僕はきっと人間不信になってしまいそうだけど。僕は笑顔のまま、首を傾げて尋ねた。
「私をあの原っぱに置いたのってウルタルですか?」
「もちろんそうに決まっているだろう。何を当たり前のことを言っているのかね」
……ぶん殴られたウルタルは、実に遠くまでよく飛んだ。人生で初めてあんなに人が飛ぶのを見た、と言っていいくらいに。
ゲームがきちんと作動してたらこういう感じの体験もたくさん出来たんだろうな、と思うとなんだかしんみりしてしまいます
ただし後半は除く




