住みよいおうち探し
「うーむ……」
僕は自室で、1枚の紙を広げて唸っていた。広げられているのは、色のついたちょっと良さそうなA4サイズの紙。一般的に言うところの、戸籍謄本の写し、だった。
事の始まりはこちらに帰ってきてから数日後のこと。突然自宅にこの紙が送られてきた。以上。……起こってしまったことを羅列するとこれだけなんだけど、問題は中身だった。「サロナ」という名前が戸籍謄本には記されている。つまり、この市の住民としてのサロナさんの戸籍がありますよ、ということを表しているわけだけど……。
ここで問題が1つある。サロナさんはこの世界で生まれたわけではないので戸籍があるわけがない。つまりこれはこの世に存在するはずがない、そんな矛盾した代物なのである。表現だけ聞くとまるでオーパーツみたいだけど、そういうことなのだ。そんなものが郵送で自宅に送られてきたら、そりゃ唸るよ。
「まあたぶんロランドが戸籍を何とかしてくれた、っていうことなんだろうけど……」
これ絶対違法だよね。まずいんじゃないの? ……でも、やっぱり戸籍ってあった方がいいのはいいよね。あれ? いい……かな? 僕の場合、なんか役に立つときってあるだろうか。ちょっと友人に相談してみようかな。
「……というわけなんです。……戸籍ってないと困りますかね?」
僕はいつもの喫茶店で、その戸籍謄本の写しをゲームで知り合った友人たちに手渡した。今日来てくれたのは2人、ゲームで言う『ヴィート』と『ナズナ』の2人。急に呼び出したからね、仕方ないね。
「とりあえず今警察が来たら困るな」
そう真面目な顔で呟いたのは『ヴィート』の方だった。うん、それはそうなんだけど……。微妙にそういうことじゃないっていうか……。
「私たちが結婚するときに困らない?」
同じくらい真面目な顔で呟いたのは『ナズナ』の方だった。ここで彼女が言う「私たち」というのが誰を指しているのかはまあ何となくわかる。けど、「私たちが結婚する」っていったいどういうことなんだろう。あ、でも女同士でも市によっては今は結婚できるんだっけ。なら何もおかしくないのかな……?
その後もあーでもないこーでもないと意見が交わされたものの、特にこれというのは出なかった。つまりこの場合、「別になくてもいいのでは案」が採択されることとなる。僕は手を上げて、これ以上の協議の打ち切りを宣言した。
「ではこの戸籍謄本の有用な使い道は、協議の結果『燃やすとあたたかい』に決定します」
「そんな話だったっけ!?」
「燃やすくらいなら私に頂戴」
この文書の処分方法についてはやや紛糾したものの。ともかく無事に議題が解決したので、その後は3人でのんびり近況を適当に話す。
「お前、今のところ住んでて大丈夫なの? 怪しまれたりしてないか?」
「あ、もちろん大丈夫ですよ。最近なんて、ゴミ捨てのたびに大家さんが『何号室の子?』って挨拶してくれますし」
「それ怪しまれてるんだよ」
「どうやって対処してるの?」
「日本語わかりません、みたいな感じで首を傾げてたらやがて諦めて去って行ってくれますよ。さりげない危機回避能力が大切ですからね」
「回避してるか? どんどん怪しくなっていってないか?」
「うるさいなぁ」
僕はあれこれ言ってくる友人をじろりと見返した。そして自信たっぷりに笑って胸を張る。
「久しぶりに帰ってきたからと言ってさすがにそのへんは抜かりないですから。ふふふ、見事に日常に埋没していく私をお見せしましょう」
僕が喫茶店から帰って。自分の部屋でゆっくりゴロゴロしていたら「ピンポーン」と突然チャイムが鳴った。誰だろう? ……あ、ひょっとしてふるさと納税で頼んだ北海道のメロンがついに?
僕は起き上がり、玄関の扉をウキウキしながら開けた。
「はーい!」
……ところが、そこにいたのは予想に反して、いかつい中年男性と若い女性の2人組だった。彼らは懐から何やら警察手帳らしきものを取り出し、テンションが大幅に降下した僕に見せてくる。
「ちょっといいかな? この部屋の子? 警察の者なんだけど」
「……あの、警察がいったい何の御用でしょう……?」
僕がちょっと引き気味に応対していると、若い女性の方が前に出てきて身を屈めて笑った。
「あ、ごめんね。ちょっとこの部屋の人に話を聞きたいんだけど……。お出かけ?」
「あ、用件なら私聞きますよ」
「日本語出来ないと聞いてたのに普通に喋ってるな……」
後ろで中年のおっちゃんが小さく呟いてるのが聞こえてくる。……あれ? なんか事前調査済みで来てない? なんだろう……なんか嫌な予感が……。
「実はね。有印公文書偽造事件について私たちは捜査しているんだけど。……あ、わかる? 有印公文書偽造って」
「はははははい私わかります。あれとても悪いこと」
「急に片言に!? 大丈夫?」
僕の脳裏に、帰ってきてすぐにぽいと机の上に置いたあの戸籍が浮かんだ。何やらあれと深い関係がある気がする。……まずい。今部屋の中を見られたら、その捜査中の事件とやらは今すぐに解決してしまう。それは避けねば。……一刻も早く帰ってもらわないと。
僕は素知らぬ顔で、さりげなく話を進めた。そうだ僕、回避、得意。
「それで、その事件と今回来られたことって何か関係があるんですか?」
「それがね。偽造された戸籍がこの住所に送られた形跡があって。……そういう文書、届いてない?」
「届いてませんねえ。……そもそも、今まで戸籍なんて見たことありませんし」
……いや、回避無理じゃないこれ? 明らかに証拠固めてから来てるでしょ。
僕の返事を聞いて、その女性は何となく、といった感じで部屋の中に視線をさまよわせた。
「そうねえ……あ、ちょうどあそこの机の上に載ってるみたいな紙で。……え? あれってまさか」
「私の目を見てください」
僕はその2人組に、「聞き込みをしたが証拠は得られなかった」という幻覚を見せたうえで穏便にお帰りいただくことに成功した。どこの世界も、話し合いで解決することが大切なのだ。
扉をバタンと閉めて、僕は部屋の中を見回した。
……この住所に違法な戸籍が送られた形跡がある。1度の聞き込みで証拠が得られなかったから無罪放免、ということにはおそらくならないだろう。とすると、ここに住んでいるとまずいことになりそうだ。だって絶対怪しいもん。どうやら付近の住民の方々も、聞き込みに協力してるみたいだし。
僕は5分くらいそのまま考えた後、一言だけ呟いた。
「……逃げるか」
* * * * * * * * * * * *
さて、あの部屋を出ないといけないなら、次の家を探さないといけない。僕はふむ、と考え込む。次の家……? でも、戸籍がないから賃貸契約は結べなさそうだし……。うーん……不動産屋とかじゃなくて直接貸してもらう交渉をしたらいいってことかな……?
でも、家を貸してくれそうな人ってそもそもどこに生息してるんだろう? よくわからん……。
僕はとりあえず出てきた駅前でベンチに座り、これからのことを考える。……見当がつかん……。お金は結構あるから、しばらくビジネスホテルででも泊まる? ただ、せっかく家を変えるならどんな家を探したいかをまず考えようか。
……せっかくなら、大きな部屋がいいなぁ。だってトアとゼカさんも来たら僕と同じく戸籍のない家なき子だし。3人で住めるところを探しておく必要がそもそもあったよね。元のワンルームだとゼカさんの寝床が押し入れの中になってしまう。
あと、僕はゲーム会社で働くから駅にある程度近い方がいいし、治安も悪いよりはいい方がいい。で、家賃はそこまで高くない、そんな場所。……そんな場所ある……? そもそもどうやって探すねん。
しばらく座って考え込んでいると、ふと思いついた。……そうだ。異世界から持ってきた便利アイテムの方位磁石って、そういう探し物も方向教えてくれたり、しないかな? 本当は神器の 占板があったら良かったんだけど。あれって運命を操るとかいう意味の分からない効果だったはずだし。ただ、あれは先輩がパクっていってしまったからなぁ。
……いやいや、しかし方位磁石でも頑張ればきっとそれくらいできるはずだよ。僕は手の上に方位磁石を載せて、期待を込めて見つめる。すると方位磁石は、しばらく迷うようにゆらゆらと揺れたのち、くるくると回って、やがてある方向を指し示した。
「こっちの方なのかな……?」
てくてくと僕は住宅街を、方位磁石の指す方向へ歩いていく。やがて、方位磁石が指し示しているであろう一軒家の前で、僕は立ち止まった。……ここ?
僕はとりあえず、じっと外からその家を眺めてみる。……なんか結構大きな家だ。ちょっと古そうだけど、造りはしっかりしてそう。……ここが僕らの秘密基地になってしまうのだろうか。……ふむ、いいじゃないか。さて、ではさっそく乗り込もう。
僕はその家の隣にある、人の気配がある離れみたいなところに向かって声をかけた。
「すみませーん!」
「この家を貸してもらえないかなと思いまして。お金は支払います」
「……いや、君さ、まず誰なの……?」
「あ、いえいえ、決して怪しい者では。ここに貸してもらえそうな家があるというお告げを聞いてやって来ただけです」
「十分怪しい! ……ん? お告げ? ひょっとして君、そういう筋の人?」
「はい!」
そういう筋の人、が何を意味するのかいまいちわからず返事をしてしまうという心温まるハプニングがあったものの、そこは能力で心を読み取ることで事なきを得る。なんでも、ここは事故物件なんだって。皿は飛ぶわ、足音は響くわ、鏡は赤く染まるわ。多彩な霊的現象がここには吹き荒れているらしかった。だから人にも貸せないんだって。
僕は何度も頷きながら家の方を見上げた。
「そうそう、こういうのでいいんですよ。いろいろ歩き回ってきましたが、これこそ私が探していた理想の家そのものです」
「こんなの歩き回って探してたの……?」
なぜかその家の人には、大変おかしなものを見る目で見られてしまった。きっと霊的現象を視認した時も彼はあんな顔をしていたんじゃなかろうか。だがそんなことは大した問題じゃない。問題は……。僕はその家の人の顔を期待を込めて見上げた。
「もし、もしですよ? この家の心霊現象を何とかできたら、私にこの家貸してもらえませんか?」
「えぇ……。まあでも……貸せない状態を何とかしてくれるなら……いいかな……?」
「契約成立です! ではでは、条件について決めてしまいましょう。さあさあさあ」
僕はその家の人の手を取って、さっそく契約をまとめにかかる。こういうのは心が変わらないうちに形にしておいた方がいいのだ。
……結果、僕は一軒家の賃貸としては破格の条件で契約をまとめることに成功する。ただし、契約成立のためには、この家の心霊現象を何とかすることが必要条件だ。……よし。何とかしてみせようじゃないか。僕って女神とか魔族とかと戦ったこともあるからね。さすがにそれよりは強敵じゃないだろう。
僕は大いにやる気を出して、離れの隣、僕らの城になるはずの家の戸をがらりと開けた。するとさっそく、バタバタと玄関先で大勢の人が走り回っているような足音が響いた。だけど、誰もいない。足音だけがその場にしばらく鳴る。
「ほ、ほら! 昼なのにお構いなしなんですよ!!」
「私がこの家を契約できたことを祝福してくれているのでしょう。大変喜ばしいことです」
「えぇ……」
僕らはそのまま玄関で靴を脱ぎ、奥に入っていく。
「ほら! 蛇口をひねると赤い血の混じった水が!!」
「これ赤錆じゃありません……?」
「窓に人影が!」
「そういえば霊って実体ないはずなのになんで影ができるんでしょう?」
「天井からぶら下がる髪の長い女性!!」
「電球が切れたらこの人に替えてもらったら便利かもしれませんね」
一通り見て回ったものの、特に問題のある霊的現象は見つけられなかった。僕は、なぜかちょっと疲れている家の人と再び離れの机で向かい合う。
「霊的現象はありましたけど、特に問題があるというほどでは……」
「もういいや……君が借りてくれたらとりあえず問題はないんだ……。出る時までに何とかしてくれたらいいよ」
「ありがとうございます!」
さすが方位磁石の指した家だけあって、とてもスムーズに契約が進んでしまった。よし、これで晴れてここを僕らの城にできるというわけだ。……さて、さっそく荷物を運んでこねばね! あ、掃除が先かな?
そして僕はもう1度、新しい自分の家を見回った。1階には食堂、台所、和室が1つと応接間らしき大きな洋室が1つ。2階には洋室が2つ、和室が1つ。……ふむ……。あ、その前に。
「これからこの家に住ませてもらうことになりましたー! よろしくお願いします!」
そう大きな声で挨拶するとともに、同じ意味の思念を飛ばす。……するとしばらくして、「ようこそ」みたいな思念がいくつか返ってきた。……うむ。先住者の方々に対する挨拶は大事だもんね。あとでお供え物とか希望聞いて買ってこよう。
そうしてやるべきことをやり終わり。充実感に包まれながら、僕が応接室に置いてあったソファーに座ってもう1度部屋割りを考えていると。不意に、すごく大事なことを自分が忘れていたことに気がついた。そういえば……。
「……トアって幽霊駄目だっけ……?」
僕はもう1度、自分が考えた部屋割りを思い浮かべた。2階に3部屋あるから、それぞれの個室にしようと思ってて。ちょうどトアの部屋にしようと思ってた洋室には、赤く染まる鏡があったような……。というか間取り的に、2階に上がるには玄関の足音と廊下の天井からぶら下がる女性を毎回通過しないといけない。
……大丈夫かな? ちょっときつい? この世界ではこれが当たり前なんだよ、はさすがに無理がある気がする。とすると、やっぱり他の物件探しに行くべきだろうか。
僕はもう1度、方位磁石を取り出した。今ならまだ契約解除しても許されるはず。……さて。
「3人で住めるくらい広くて、このあたりの駅近で、治安が良くて、家賃も高くない。持ち主が直接僕に貸してくれる、そんな物件はどこ?」
僕の手の上で方位磁石は回り続け、いつまでも止まらなかった。
……トアが世界を超えるまでに、霊的現象への耐性を獲得する可能性に、賭けたい。
色々体験してきた結果、主人公には異様に耐性がついてしまったようです。
それにしてもトア、不在なのに不憫とは……。
お知らせですが、新しい連載物も書き始めました!
世界観は一緒ですが、これまでの登場人物はほぼ出てきません。
時系列的には2作目完結直後くらいです。テーマとしては日常ものにチャレンジ、みたいな。
もしよろしければこちらもお願いします! ぜひぜひ!
↓にリンクが張れていると……思います……。