エピローグ
本日2話目です。
僕は、自分自身が吐血しながら床で転がっているのを、押入れの扉をそっと開けて眺めた。うわぁ……えげつない……。さすが神の攻撃だけあって、何があったかもよくわからなかった。……あ、いかんいかん。うかうかしていると僕が死んでしまう。
僕は倒れている自分自身にそろそろと近寄った。えーっと、とりあえず死んじゃわないうちに翻訳魔法の魔石を渡さなきゃ。……いや待てよ、その前に。いちおうアドバイスをしておこう。
「自分を元の姿に戻すのを忘れないようにしてね。最後でいいから。あと、武器屋の子と魔王軍の№7の子は頼りになるよ。それと、神と教会は敵だからあんまり油断しないで。あと頼むから、絶対に自分の姿を戻すのを忘れないように。あと……あと……」
……いくつもいくつも伝えるべきことがある。でも、もう時間がない。……血だまりの中で、目を閉じた自分の顔を見ていると、痛々しい、と思う。でも同時に少し、羨ましくもあった。僕にはもう手の届かない場所に、これから向かう自分が。……いったい、なんて声をかけたらいいんだろう。
「頑張れ」「向こうのみんなによろしく」「いってらっしゃい」……どれも違う気がした。……いや、もう何も言わなくていいか。ただ事実のみを伝えたら、あとは自分で見つけるだろう。かつて僕がそうだったように。
なので僕はそれ以上何も言わず、過去の自分の手のひらに翻訳魔法の魔石を握らせて、最後に耳元で囁いた。
「――別に何か特典を渡す訳じゃないけど、これはないと困るだろうから、あげる。こういう言い方で正しいか自信はないけど、お餞別。……それじゃあね」
消えた自分自身を見送り、僕は部屋の中を見渡した。散らかってはいないけど、床に思いっきり血だまりができてる……。うわぁ……。まずはこれをどうにかせねば。さて、タオルと雑巾で何とかなるかな……? 僕はぱたぱたと足早に風呂場へと向かった。
今、僕が他の世界に生まれ変わったことなんて誰にもわからないくらいに、静かな夜だった。
* * * * * * * * * * * *
「最近、部屋の中から人の気配を感じるんです」
そう話した友人の悩みに乗るべく、俺は約束した場所である喫茶店に急いでいた。ひょっとしたらなんてことないことなのかもしれないが、俺はその友人がよくトラブルに見舞われるというか、そういう体質であることを知っていた。それに……その友人の様子は、明らかに悩み事が他にもある、そんな雰囲気だった。もし、大したことじゃなければ、一緒に笑ってやればいい。ガラン、と俺は喫茶店の扉を開ける。たいていこの店は客がいないため、相談事にはうってつけだった。
……ところが、今日に限っては客がいたらしい。テーブル席に座ったその客は、金髪のとんでもない美少女だった。ただ、テーブルにべちゃっと伏せ、退屈そうにぼーっとしている。……な、なんか残念そうな子だな……。
俺は店の中を見渡すも、相談事のあると言っていた友人の姿はまだない。まあ、まだあと約束の時間まで30分くらいあるしな……。俺もコーヒーでも飲みながらゆっくりと待つとするか。
「あ!」
その時、その少女が声を上げた。なんだ、と思ってそっちに視線をやると、がばっと身を起こしたその子は、なぜか俺の方をじーっと見ていた。……なんだ?
そしてやがて、その子は俺を見つめたままで話しかけてきた。
「ねえ、ここに座ってお話しませんか」
「俺と……? どうしたんだ? 誰か待ってるんじゃないのか?」
「ほう、どうしてそう思うんですか」
「そりゃ、1人でテーブル席に座ってたら誰だってそう思うさ」
「……さすがですね。素晴らしい着眼点です。でもまだいいじゃないですか。見るところによると、あなたの待っている人も、まだ来ていないんでしょう?」
ふふふ、と笑って、その子は自分の向かい側を指さす。どうやらそこに座れ、と言っているようだった。……やれやれ。まあ、時間潰しにはいいかもしれない。俺の待ち合わせ相手が来ていないのも事実だしな。……あと、よく考えたら空いてるから別にテーブル席でも当たり前な気はする。この子あまり頭は良くないのかもしれない。
そうして向かい側に座った俺のことを、その子はいっそうまじまじと眺めてくる。え、遠慮ないな……。人見知りしない子なのか? 俺はふとその子と目があった。その時初めて、俺はその子の目が綺麗な紫色をしていることに気がつく。
「で、何を話したらいいんだ?」
「そうですね……じゃあ、さっきの推理力をまた見せてください。さて、私の待ち合わせ相手はどんな人でしょうか?」
いきなりクイズが始まった。しかしこの子、普通に日本語話してるけど、地元の子か? こんな子、一度見たら忘れないと思うが……。彼女はくるくると自分の頼んだらしきアイスティーをストローで混ぜながら、楽しそうに呟いた。
「さてさて、どんな人でしょうねー」
……しかし、どんな人か、か。推理力というワードを出した以上、俺に推察できるものであるらしい。普通に考えて初対面の人間がどんな相手を待っているか、なんてわかるわけがない。俺はテーブルの上をちらりと見たが、そこには何も手掛かりのようなものは見つからなかった。
「何かヒントをくれないか」
「ええー、まあ仕方ないですね……。そこまでお願いされたので、特別にさしあげましょう」
「お、おう。助かるよ。……で?」
「実は、私、さっき1つだけ嘘をついたんです。それがヒントです。あなたにはそれでわかると思います」
「え、ヒントそれで終わり!?」
しかもそれで答えが分かるらしい。意味が分からん……。しかし、彼女はそれで俺が答えられると確信しているようだった。わくわくした瞳を俺に対して向けてくる。……この子実は、喫茶店のマスターの娘とか? そんな話聞いたことないしな。そもそも俺たちって初対面なのに、そこまで信頼されても……。
その瞬間、少しその子の顔がしょんぼりしたように見えた。……待て。なんでそこで落ち込む? まるで、初対面じゃないとでも……。いや、それだとおかしいか。まるで、俺の心をこの子が読んだみたいになる。それにそもそも、この子がついた嘘ってなんだ? 会話自体もそんなにしていないはず。嘘をつけるとする余地があるとすれば……。
「『あなたの待っている人も、まだ来ていない』か?」
「ほう」
……正解か。しかしこれを嘘にしようとすると……? あなたの待っている人はもう来ている? でもそもそも来ていないだろうというのはこの子の予想だ。俺なら、わかる……?
しかし、この子と話していて、なんだか俺も初対面じゃない気がした。ただ、会ったことはない。知り合いなのに相手と会ったことがないなんて、そんなこと…………いや。俺はそんな経験をこの前にしたばかりじゃないか。……え、いやいや、でも、え? マジで?
「お、お前のさ、ついた嘘って、『あなたが待っている人も』ってところ……?」
すると、彼女は笑顔で頷いた。……どうやら。どうやら、マジらしい。こいつの待ち人は俺で、だからさっきのは嘘になる。こいつの待ち合わせ相手は今来たわけだから。いや、でもトラブルっていってもさすがに限度があるだろ。
「え、お前の相談事って……これ……?」
「うーん、そうなような、そうでないような……」
そして目の前の友人は、どこか陰りを含んだ複雑な表情で、じっと宙を眺めた。それは、俺が今まで見たことのない表情だ。昨日も会ったばかりなのに、まるで長い月日を経て久しぶりに会ったような、そんな気がした。
「なあ、いったい、何があったんだ?」
「――すごいですね。何かあったって、それが1日2日のことじゃないって、わかるんですね。まだ私は何も言ってないのに」
「わかるさ、それくらいは。さすがに何があったかまではわからないけどな」
「いえ、それだけで本当にすごいですよ。……まるで……」
「まるで?」
目の前の友人は色々な感情を乗せて、一言だけ呟き、微笑んだ。
「――まるで、心が読めるみたい」
* * * * * * * * * * * *
目の前の友人は、僕の話す、これまであったことについて、真剣な顔で耳を傾けてくれた。女神と戦って、勝ったところまで一通り話が終わると、彼はふう、と息をつく。そして、僕の頭をぽんぽんと軽く叩いてきた。
「そうか……よく帰ってきたな」
……。初めて誰かに「おかえり」って言ってもらえた気がする。ちょっと感動。さすがマイフレンド。僕はうんうんと何度も頷いた。
「しかし、そんな続きがあったなんてな……」
「まあ、続きというか、ことの始まりというか……」
……どこから始まったんだろう。ゲーム開始したと思ったら敵キャラになってたとき? 知識を持ってゲーム制作者であるウルタルとルート先輩に会ったとき? でもきっと、時系列で言えば、アルテアさんがサロナを返してくれと、教会で女神に祈ったあのときだろうか?
僕で言えば、あの時、あの場所に生まれ変わった時が最初、なのかな。そうでなければ何も始まってなくて、あのゲームも作られることはなかったし。そして、出会って、清算して、……ほんの一瞬だけ本当の世界の果てを知った、気がした。
「そういや、女神と戦ったところまではわかった。で、そこからどうやって帰ってきたんだよ」
「ああ、それはですね。……あ、せっかくだからこれもクイズにしましょうか。さてさて、どういう問題にしましょうかねー」
「えぇ……またかよ……」
「いいじゃないですかー。でも難しいから、これが分かったら何でも1つ言うことを聞いてあげようかなぁ」
「……問題を聞こうか」
急に真面目な顔になった友人に首を傾げながらも、僕は笑顔で最後の質問を尋ねた。きっと正解が返ってこないだろう、その質問を。
「では、心を読む、というさっきのやつからのつながりで。……ねえ。心を読む魔法で、異世界から帰ってくる方法って、なんだかわかりますか?」
カランカラン、と喫茶店の扉のベルを鳴らして僕らは外に出る。もういつの間にか、夕方だった。夜の闇が少しずつ空を染め、街を覆い始めている。
「残念でした。そんなに落ち込まないでください」
「いや、別に落ち込んでるわけじゃなくてだな……本当だぞ?」
「はいはーい」
僕らは並んでてくてくと街を歩き、とりとめのない話を続けた。そんな中、ふと友人が足を止め、空を見上げて言う。
「その友達の子、今頃こっちに向かってるのかな」
「ええ。でも、まだまだかかるでしょうね。ルート先輩でも、10年以上かかったんですから」
僕は懐から、トアのくれた目覚まし(仮)を取り出した。友人も興味深そうに、僕の手元を覗き込んでくる。
「なんだそれ? 時計……? 俺の知ってるのと少し違うけど」
「ええ、時計です。でも、役割は逆かもしれないですね」
「逆ってなんだ逆って」
もう夢から覚めた僕が、あの世界に行くことはないだろうけど。その代わりに、あの世界の住人である彼女たちは、今頃こちらを目指して動き始めてくれているはずだ。……世界の外があると知った彼女は、外の世界に自分の世界を広げることに、いつの日か届くだろう。そうすればこの時計も、それを感知して音を響かせるはず。僕の手元で、「時計」はその夢の始まりを知らせる時を、今も待っている。……まだしばらく、鳴ってくれる気配は一向にないけれど。
「そういや、お前って何か魔法って使えないの? 魔法の国に行ってきたんだろ? 話の中にあった召喚とか、見てみたいんだけどな」
「…… 水彩画家は近くにトアがいないと使えませんから……でも、話してくれるようになったらまた紹介しますね」
「あ、ああ……筆相手に自己紹介って俺いったいどうやったらいいのかな……?」
悩み始めてしまった友人をよそに、僕は空に向かって 水彩画家を大きく振った。彼女と僕を一番繋げるものだと、彼女自身が言ってくれた、この絵筆を。この空の向こう、はるか遠い、遠い彼方にいる、彼女の元に届くように。
……君に、伝えたいこと、話したいことが沢山あるんだ。帰って来る途中で僕が見たものや、帰ってきてから感じたことも。……ねえ、いつか僕と君で。あのとき見た、本当の世界の果てを見にいこう。魔法なんてなくてもきっと、僕らなら届くよ。……見るためにだけでも生まれ変わらないといけなかったんだから、そのためにはまた、自分と引き換え、とかじゃないといけないかもしれないけど……どうしようか。いつものように聞いたら、君はいったいなんて言うだろう。でもたとえそうなっても、今度はずっと一緒だから。待ってる。
僕がずっと絵筆を振っているのを、友人は何も言わずにそばで見守ってくれていた。背伸びをして、何度も何度も絵筆を振る僕を。やがて、優しい顔をして、友人は僕に尋ねる。
「……気がすんだか?」
「いえ、あと1回だけ」
またいつでも、何度でも合図を送るから、どうか待っていてほしい。そう願って、あの日から話さなくなってしまった絵筆を、最後に今までで一番大きく振った。
すると、不意に、絵筆が少しだけ光る。
……そして「ポン」という音がした。
どこからかウサギが現れ、ぴょんぴょんと街中を跳びさって行った。ゲームで見るより少し小さい、片方の耳だけが黒いウサギだった。
僕は思わず友人と顔を見合わせる。
夢の続きは……意外に、すぐそこかもしれない。
ということで、完結です。
ご愛読いただいた皆様どうもありがとうございました!
特に、3年くらい間が開いたのに読んでいただいた方には感謝しきりです。開いちゃって大変すみませんでした……。
そして、感想(怖くてまだ見てない)とブクマと評価をくださった方、ありがとうございました! 書いてると反応ってブクマと評価と感想の数しか私にはわからないので……。またちゃんと見ます。書き続けるモチベになりました。皆さまのおかげで、書いていて楽しかったです。感謝申し上げます。