さよならの実感
僕はいつの間にか城の庭に立っていた。頭上にはドドメ色の雲が渦巻き、ピリピリと剣呑な雰囲気漂う、大掛かりな城。ただ、それがとっても懐かしい。ゲームの中の魔王城、そこに僕は立っていた。もう何年ぶりかな気がする。おおー。
きょろきょろと辺りを見回していると、ふと自分が半透明なことに気がつく。……あら。まあ、正式参加じゃないからかな。
「誰ですか? そこにいるのは」
ふと声を掛けられて、僕は振り向く。そこにいたのは、フードを被った魔王様だった。お久しぶりです。女神戦では大変お世話に……あ、そうだそうだ。あの質問してきたのそういや魔王様だったよ。僕は笑顔で魔王様に駆け寄った。
「よかった! 会えました!!」
「!? この……!」
ところが魔王様に近づくと、スパンと僕の首を何かが通り過ぎた感触があった。……げ、この人いきなり僕の首飛ばそうとしてきたで。物理的に。こわっ。……まあなんか結果的に無事だったけど。
ところが、攻撃が素通りしたのは魔王様的にもショックだったらしい。向こうもちょっとうろたえている。
「ま、まさか、お化けですか……!?」
……いや、どんだけビビりやねん。ゲームだとそういうスキルもありそうやん。
「あの、そういう訳じゃないんですけど、ちょっと説明させてください」
「……信じられません、あなたが未来から来たなんて……」
「でも、本当なんです。……どうやったら信じてもらえるかはわかりませんけど」
「そもそも、あなた誰なんですか」
あ、そうか。魔王様が知ってるサロナの姿じゃないもんね。もう、ゲームの姿と一緒だったら説明も省けたものを。何回目なんだ、このぼやき。……あ、でも魔王様に誰だと聞かれると、これ一択だよ。
僕は腰に手を当てて、胸を張って宣言した。
「ふふふ……何を隠そう、あなたの未来の相棒が、私です!」
「…………えっ」
……こら。なんでちょっと残念そうなんだ。
「で、その未来から来たあなたはいったい何をしに?」
「自分の心の整理をつけに来ました。ということで、体を貸してもらえませんか。それが世界の選択なのです」
「嫌ですよ!! どうして私がそんなことしないといけないんですか!?」
「私の覚えている歴史だとそうだったからとしか……それに、魔王様って上級魔族のできることって全部できるでしょう? サロナができてる、1つの体に2人同居、っていうのもできるんじゃないですか」
「ああもう、なんでこの忙しい時に……というか自分の首を薙ぎ払われたのによく平然と相手と話せますね、あなた。むしろそっちに引きます」
「まあ、さっきのくらいのことならよくありますし。あと協力してくれないと死ぬまであなたを呪いますから」
「…………し、信じませんからね」
と言いつつ、なんと魔王様は体を貸してくれることを承諾してくれる。この人なんだかんだで面倒見いいよね。
そして、魔王様の体を借りた僕は、魔王城の庭でぼーっとしてるふわふわ系の女の子のところにやってきた。フードの奥で見えないだろうけど、笑顔で話しかけてみる。
「……あ、いた。ちょっといいですか?お話ししません?」
ちょこん、と僕の隣に座る僕自身を相手に、ゲームのセーブポイントを例に出し、もし戻ってやり直せるなら。そんな話を僕は進めていく。まあ正直、あんまりうまい例えが思いつかなかったよね。ただ上手い下手は問題じゃない。気持ちが伝わればいい、そんなときがあると思うんだ。
「……もし、自分が選択を誤ったと、そう思ったときに過去に戻れるなら、あらためて違う道を選べるとは思うんですけど。そうすると、それは自分がかつて進んだ方の可能性、ひいては自分自身を殺すことにもなるのではないか、と」
「……そんなこといちいちセーブのたびに考えてたら、ゲームしてて楽しくないことないですか?」
君なかなかいいこと言うね。でも聞きたいのは次の質問なんだよ。……自分が消えてしまう可能性があって。それと引き換えに、他の道が選べるなら。いったい君はどうするのか。お願い、何もしないと言ってくれ。僕の視線を受けて、過去の僕は、んー、と首を傾げながら答えた。
「……私はその場合、何もしないですねー」
僕はそれを聞いて心の中でガッツポーズを決める。おかげで今、もやもやが全てクリアになった。ということで僕も君の死ぬときに何もしないから。自分の言動には責任を持ってくれたまえ。異世界で達者で暮らすんだぞ。トアとゼカさんによろしく。
首を傾げながら去って行くサロナを見送り、僕は体を貸してくれた魔王様にもお礼を言った。おかげで助かりました。あなたには副賞として、僕がピンチになったときに召喚される権利をさしあげましょう。
「そういえば……あなたは、未来から来たと言いましたね」
「あ、はい」
「私ね、悩みがあるんです。それが未来には解決しているか、聞いておきたくて」
……この戦いの勝敗を聞いておきたい、とかだろうか。でも魔王様が負けるって言ったら暴れそう。僕の前髪がまーた短くなってしまう。
ところが、彼女から出てきたのは、もう少し違う質問だった。
「私ね、自分が本物かどうかわからない、って思うことが多いんです」
「……ん? あれ、てっきりこの戦いの結果とかだと」
「それはいいんです。だって私が勝つに決まってますからね」
お、おう。相変わらず負けず嫌いな……。いや、それより。自分が本物かどうかわからない、ってどういうこと? なんか思春期みたいなこと言うよね。
「自分探ししたい、とかですか? でも結局自分って、探さなくてもずっとそばにいますよ。どこにもいきません」
……異世界から帰ってくるための鍵が、いつも僕の中にあったように。すると、魔王様は少し拗ねたように呟いた。
「……あなたには、作り物の私の気持ちはわかってもらえませんよ」
「あ、そんなことないですよ。私だってこう見えても作り物なんですから。しかも勝手に殺されて作り物に入れられてますからね。……だから、同じです」
「……じゃあ、自分が本物かどうか、あなたは不安になったりはしないんですか?」
自分が本物かどうか。それってきっと、自分が何のためにここにいるのか、っていうことと似ていると僕は思う。「――いったい、なんのためにこの世界に来たんだろう」……その疑問に対する答えを持っていたのは、誰だったか。きっといつでも、自分の心の底にその答えはあるから。
「疑問に思ったことはありましたけど。でも、今は不安にはならないですね」
「それは、どうしてですか?」
「私のことは私が決めると、わかりましたから。作り物かどうかは関係ないです」
「……」
「それに、別にその答えってすぐ出さないといけない訳でもなくないですか。別に焦らなくても……」
だって僕もそう思えたのって、結局死んで向こうの世界に行ってからだし。しかも帰ってくる直前だから、ほんとについ最近だ。
「どうやったらそう思えるようになりました?」
「死んだから」
「は?」
「えーっと、いや、なんて言うんですかね。そう、いったん負けて立ち止まったら、あなたのすぐ近くに頼れる人がいることに気づくはずです!」
おお、我ながらいい台詞を言ってしまった。ただ正直自分でも何言ってるかわからない気もする。ここは勢いで誤魔化してやれ。
僕はゼカさんを見習って、バチン! とウインクしてみせる。すると、なんと魔王様は僕をまるでゴミを見るような目で見てきた。……あれ……なんか冷たい……。ゼカさんやっぱりこれあんまり意味ないみたいだよ。
「まあ、私にわかったんだから魔王様にもそのうち当然わかると思います」
「あ、それ今までで一番納得できました」
「ひどい」
……そして用も済んだので、僕は魔王様に体を返し、戻ることにする。
「まるで、私が負けると言いたげな感じでしたけど。負けるつもりはありません」
「おおー、自信たっぷりですねえ。魔王様が強いのは知ってますけど。ふふふ、頑張ってください!」
……そういやこの人って結局女神と戦ってどっちが勝ったんだろう。こうして見たらスキルとかも膨大だからいい勝負したのは間違いないと思うんだけど……。そして離れ際に、魔王様のステータスがちらりと偶然目に入った。その大量のスキルの中に、僕の目に留まったものが1つ。
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『神殺し』……神を殺した者に付与される称号。
……プレイヤーのみんな。幸運を祈る。
ゲームから出てきたその後は、白衣のスタッフやプログラマーの方々に追いかけられるという些細なハプニングはあったものの、おおむね無事に施設外に逃走することに成功した。ふうやれやれ。僕も伊達にここで働く未来に生きてはいないのだよ。
さて、じゃあ家に帰るか。過去の僕はゲームの中で忙しいもんね。僕が空払いされている家賃を有効に使ってやろうじゃないか。とりあえずもうしばらくしなきゃいけないことはない。住宅街の中の道路を、僕は駅の方へゆっくり歩き出した。
……しかしふと、その途中で僕は足を止める。どこからか、ちりん、という高い鈴の音がした気がする。まるで、女神のつけていた鈴みたいな。
おそるおそるあたりを見回すと、道沿いの家の窓際に、風に揺れる風鈴がちりんちりんと涼しげな音を立てていた。……なんだ。僕はほっと息をつく。
そして、その時初めて……ミーンミーンとやかましく鳴くセミの声が、耳に響いているのに気がついた。道を走る車の音や、住宅街の家の中から聞こえる騒がしい声も。
……あ、そうか。今って夏だったんだ。僕が空を見上げると、今日はどうやら強い日差しが降り注ぐ、夏らしい暑い日のようだった。プールに通うのか、複数の小学生が水着の袋を振り回しながら楽しそうに道を走り、元気に僕を追い越していく。
……帰ってきたんだ。
あの異世界は、もはや手の届かないはるか遠くで。
いつも一緒に騒いでいたトアもゼカさんも、もう僕の隣にはいない。
手元の 水彩画家も何も言わない。
僕が今見上げている空も、あの世界の空とはどこか違う。
僕が異世界のあの大きな月を見上げることは、きっと二度とないんだろう。
やっとそこで僕は、自分が戻ってきたということを、ようやく実感した。その瞬間、何とも言えない寂しさが、僕の胸を涼しい風のように通り抜ける。…………あれ?
ぽたりと足元に滴が落ちた。僕はその時、初めて自分が泣いているのに気がついた。……あんなに、帰りたいと思っていたはずなのに。
……なぜか、涙が止まらなかった。
しばらくそのままで袋を抱きかかえ、道の端の塀に身を預けて、目を閉じる。しかし、ふと視線を感じて、ごしごしと目をこすってまぶたを開けた。……?
さっき追い越した小学生が道の真ん中で立ち止まり、僕の方を振り返って見つめていた。なにか、珍しいものを見るような目だった。僕が見返すと、ぴゅーっとその小学生は逃げるように去って行く。
……なんだろう。でもよく考えてみたら、日中から道で泣いてる大人って珍しいからかな。
そのまま研究所の最寄り駅に着いた僕は、切符を買おうと上の方にある料金表を見上げた。……あ。僕ってそういや今お金持ってないわ。走って帰るか。……目立つかな? 天空深處は魔力節約のためにあんまり使いたくないんだよな……。
「お、困ってるの? え、えー。ウェアーアーユーゴーイング……?」
迷っていると思われたのか、若いお兄ちゃんが声を掛けてくれる。うん、どうやって帰るかは迷ってる。けどそういう意味では大丈夫です。あとなんで英語やねん。英語できるアピール? 盛大に失敗してるからやめといた方がいいと思うな。
「いえ、お気遣いなく。困ってはいませんから」
「うわ! 日本語上手いね。君、旅行? どこから?」
「……ん?」
異世界を旅行先に含むなら、旅行の帰りって意味では合ってるけど。そういう意味じゃなさそう。違和感というか……何か……何かがおかしい。
僕が不思議に思いながら切符売り場の方になんとなく視線をやると、ガラスに金髪の美少女が映っていた。よく見覚えのある顔だった。
「……あ」
「どうしたの? あ、これね、すごいでしょ。日本の切符の自動販売機」
「ああああああああああ! わ、わわわ! 忘れてた!!! 忘れてきた!!!!」
「な、何を?」
僕はその人に構わず、周りの人目も気にせず。その場に膝から崩れ落ちた。
……そ……そうだった……。元の姿に戻る方法探すって、言ってたのに……。色々ありすぎて忘れてた……自在に姿を変えるなんて、それこそ魔法でもないとできないのに……。
「パスポートでも忘れたのかい……?」
「自分忘れてきた……」
「??? ……なんだ、自分探し中か。いいか、自分っていうのはな。探さなくてもそこにいるもんだよ」
ひ、人に言われるとこの台詞腹立つ……! もうそれどころじゃないのに……!
……いや待て僕! まだ手はある!! 魔法を使える人間が絶対に現れる瞬間が、まだ1つあるはずだ。
あのゲームの事件が終わった後、被害者は一夜にして理由不明のまま全員が全快した。今ならわかる。……病院にやってきた誰かは、意識不明になっていた被害者を治す際に、おそらく魔法を使ったはずだ。そこで頼めばいいんだ。ま、まだ負けたわけじゃない……。ゲームセットの笛は、まだ鳴ってない。
僕は引きつった笑みを浮かべながら、ゆらりと立ち上がった。
「だ、大丈夫かい?」
「まだ慌てるような時間じゃない、ですよ」
「……君さ、ほんとにどこの人なの……?」
そう、僕は知っている。その時はきっと、ルート先輩と会える最後のチャンスでもあった。あの人には言いたいこと、聞きたいことがたくさんある。僕が追ってきていることを予想しているなら、先輩はきっと自分で現れるはず。……なんとなく、そんな予感がした。