僕らは自分の存在と引き換えに、本当の世界の果てを知る(上)
僕はいったん工房に戻った後、端っこで座って、さっき考えついた考えを思い返してみる。……うん。たぶん試してみる価値はあるんじゃないだろうか。ただ、問題は……。
僕は工房をいそいそと走り回っているトアの方を見た。……うーん……以前に「もう置いて行かない」って約束したけど、これだとトアを思いっきり置いて行ってしまう……。ただ、僕が死ぬときに翻訳魔法の魔石をくれたのが僕自身だとしたら、戻らないと僕が消える可能性があるんだよね。じゃあ帰らないといけないのは確定だし……。
よし、まずはトアに、次の出発の見込みについて聞いてみよう。もし1週間後に出発できる、とかだったらそれを待った方がいいしね。うん、意外に早く出発できたりとか、するんじゃないかな?
「次の出航の見込み、ですか……」
トアは僕の質問に対して難しい顔で考え込み、目線を落としたまましばらく答えなかった。……おや。なんかさっそく雲行きが怪しいぞ。答えづらそうなのでここはこちらから予想を提供してみるか。
「例えば一週間後とかは?」
「無理です」
即答されてしまった。まあ、ここまでは予想通りよ。だって一週間後に出られるなら溜める意味がないからね。僕はこう見えても予測と学習ができる人間なのだ。
「じゃあ二週間後は?」
「細かく刻まないでください」
外れ。しかしここでもう1つヒントが出てきた。一週間という区切りは細かいらしい。これはやはり何年か見込んでいた方が良さげ? とすると、ギリギリ間に合わない可能性も……。あのゲームって構想から稼働までどれくらい時間かかってたんだろう。せっかくあそこで働いてたんだから、もっと社史とか真面目に聞いときゃ良かったな……。
僕はこの会話にピリオドを打つべく、最長の幅を自分から提示して結論を出した。
「何年もかかる、と思っておいた方がよさそうですね」
「……いえ」
あれ? やっぱり何年もかからない? なら10か月くらい? なーんだそれなら間に合うじゃない。10か月であのゲームをいちから組み上げるほど先輩たちも人外ではないだろう。異世界と違って日本では、銀行から企業への融資のハードルは結構高いからね。数々の金融を題材にしたテレビドラマからもそれは明らかである。
僕がうんうんと頷いていると、トアが深刻そうな顔で続きを話しているのがふと耳に入った。
「……10年単位で見ておいた方がいいかもしれません」
「……ん? 10年……? 10年ってあの10年ですか?」
「ええ。それに、肝心の行き先が分かりませんから……」
そう言ってトアは目を伏せる。……10年だって。この時点で次の出航まで待つという選択肢はなくなった。そういや行き先って、先輩の乗っていった船は反応消えちゃったもんね。あれってなんでだったんだろう。
「推論になりますが、この世界の外は魔力が伝わりにくいのかもしれません」
なるほど。そういやゲームの作成者も僕の世界で会った時に、「今は魔法は使えない」みたいなこと言ってたもんね。じゃあ、僕が1人で帰って、トアに合図を送ろうとしても難しいのかな?
「もし仮にですよ? 私が先に元の世界に戻ったとしたら、トアに合図って送る方法はあるんでしょうか」
「仮に……?」
「仮にです」
僕がニコニコしながら返事を待っていると、トアは怪訝そうな顔をしながらも考え込み、答えてくれた。……さすがにさっきの今で、僕が帰る方法を思いついたというところまでは思い至らなかったらしい。
「……そうですね。相当に高い出力を持たせれば、あるいは……。魔力が伝わりにくいという前提さえあれば、また工夫のしようもあるでしょうし」
「ふむふむ」
「……何かありましたか?」
「いえ! 気にしないでください!」
「……ごめんなさい……わたしが魔力の希薄さの可能性に気づけていれば……」
「あ、それはほんとに気にしなくていいやつです」
「でもわたしに任せてください。わたしたちの旅は、必ず、何とか実現させてみせますから!」
トアはそう力強く宣言して、僕の手をぎゅっと握った。……やばい。……すっごく言いづらい……。
うーん……まだ僕の思いついた方法もあやふやというか。ほんとにそんなのでいけるの? って感じなので、トアにも意見を聞きたかったんだけど、なんか言い出せないままに別れてしまった……。ゼカさん相手なら簡単に言えるんだけど。この違いっていったいなんだろうね。
僕は試しにいつも通り武器屋のカウンターでだらだらしているゼカさんの正面に立ち、ニコニコと微笑んでみた。
「ねえゼカさん」
「……何よー? どしたの?」
「私、1人で自分の世界に帰ります」
「……えええええ!?!?」
ほら言えた。言いやすい雰囲気だから、っていうのもあるんだろうけど。知り合ってからの時間だとあんまり差がないのに、この違いはいったいどういうことか。
「ふう、謎は深まるばかりですね」
「ち、ちょ、ちょっと! 待ちなさい!!」
その日は結局トアの家にみんなで泊まることになり、僕らはそのまま3人一緒に大部屋でのんびりした時間を過ごした。そしてトアがお風呂に入るために部屋から出ていくと、ゼカさんはちらちらとこちらを見てきた。かと思うと、そろそろとこちらにちょっとずつ近寄ってくる。うん、さっき途中で逃げて来ちゃったからね。用件はなんとなく想像がつく。
「で、さっきの話なんだけどさ、ほんと?」
「えーっと、たぶん……?」
「たぶんって何よ?」
「その、方法に自信がないというか……」
「……で、トアはなんて言ってるの?」
「まだ言ってません」
「はあー!? なんで!?」
そう叫び、ゼカさんは思いっきり後ろにのけぞった。……声でかっ。な、なんか自分の世界に帰るって言った時よりもびっくりされた気がする。
「いや、言いづらくて……」
「言いづらくても言わないといけないでしょ。それとも黙って消える気?」
「それも考えたんですが……前にそうやって余計こじれちゃったことがあるので。今回は話していきたいなと」
ゼカさんはそれを聞くとなぜか興味津々な表情になり、余計に近づいてきた。そして、至近距離からこっちを覗き込んで、ひそひそ声で尋ねてくる。
「……え、こじれたってトアと? いつ?」
「いえ、それはまた別の人との間で」
「……それ絶対トアに言わない方がいいよ」
「いやわざわざ言いませんけど。そもそも聞いてきたのゼカさんじゃないですか」
「聞かれても駄目だよ。特にトアには。もし聞かれたら誤魔化して」
「バレません?」
「……バレるね」
「……怒られません?」
「怒られろ」
「理不尽だ」
やれやれ、とゼカさんは座りなおして天井を見上げた。そのままの体勢で、ふー、と溜息をつく。
「確かにねー、言いづらいかもね。特に今、トアって挽回しようと思って燃えてるでしょ」
「『わたしたちの旅は必ず実現させるから任せろ』、と手を握りながら言われました」
「うわぁ……あたしの親友が重たいよお姉ちゃん……」
「あ、でもその気持ちはちょっと嬉しかったです」
「お似合いだわ……もう二人付き合っちゃいなよ……。で、どうするの? だって言わなきゃしょうがないでしょ」
「でもタイミングがなくって……」
するとゼカさんは何故かわからないけど突然すっくと立ち上がり、声のボリュームとトーンもなんと2倍くらいにはね上げた。しかも拳も振り上げて。
「いいタイミングなんてね! 永遠に訪れないよ! 特にただ待ってるだけの人にはね! 絶対来ないんだから!!」
「お、おう」
ゼカさんどしたの。なんか急に目の色変わったけど。キャラ変えしたの? 怖いんだけど。僕がちょっと引いたのがわかったのかわからなかったのか、ゼカさんは堂々と胸を張って宣言した。
「何せあたしは、そう思って何もせずにいたら魔王軍に友達がずっとできなかったからね!」
「あ、はい。それはそうでしたね」
「……そこは否定して!! 素直に受け入れないでよ!!」
「だってゼカさんが魔王軍で圧倒的にハブられてたのは事実ですし……」
「うるさいなもう!! まずはトアにどうやって言うかでしょ! 自分だけ元の世界に戻るけどいいですよね、って!」
「…………えっ……?」
「なんで急に疑問形なの?」
「いえ、今のは私じゃ……」
ばっ、と僕とゼカさんは部屋の入り口を同時に見た。するとそこにはなぜかお風呂に行ったはずのトアが立っていた。恐ろしいことに、彼女は完全に無表情だった。僕は震えた声で彼女に尋ねる。
「あ、あの。お風呂に行ったはずでは……?」
「いえ、せっけんが切れていたのを思い出して……取りに戻ったら、やけに騒いでるから……何かなと思って……来たんですけど……あの、本当なんですか……?」
やっぱりゼカさん声大きすぎたんだって! 言ったやん! 僕が目でゼカさんを責めると、なんと彼女は「お前が何とかしろ」という意味合いらしき無責任なメッセージをハンドサインで送ってきた。……い、いやでも確かに。もうこうなったら言うしかない。というかもう言ってるんだけど。ここは直接伝えることが大切なんだ。
僕はトアを見つめて、でも気まずいので少しずつ下を向いてしまう。
「あの、本当なんです。実は、帰れるんじゃないかな、って方法を思いついて。でも、それは私1人しか帰れない方法にな「パタン」……りそう……?」
話している途中で何やら音がしたので顔を上げると、僕はいつの間にか閉まったドアに向かって喋っていた。ゼカさんが近寄ってきて、僕にぽつりと囁く。
「……こじれちゃったね」
「これ8割くらいゼカさんのせいですよ」
……とりあえずゼカさんの責任追及は後でやるとして、今はトアを追わないと!
トアのぱたぱた、という足音を追って、僕は工房の方までやってきた。バタン! と工房の扉が閉まるのが聞こえる。僕がその扉に追いつくも、扉には鍵がかけられたようで開かなかった。僕はそのまま扉の向こう側にいるトアに何か呼びかけようと、一生懸命言葉を頭の中でまとめる。
すると扉の向こうから、先にトアの声が聞こえた。いつもよりずっと、小さな声だった。
「1人で、帰るんですか」
「……ええ」
「会も抜けるんですか」
「ま、まあ、いなくなるわけですから……」
「わたしには会にずっといろ、と言っておいて、自分は真っ先に抜けるんですか」
「……お願いです」
「なんですか」
「そんなに、泣かないでください」
「泣いて、ません」
僕はその場に腰を下ろし、そのまま扉に背中を預けた。トアも同じようにしていると、扉が見る光景が伝えてくれる。僕らは扉越しに、背中合わせに座った。……元の世界に帰る、か……。世界……。
「そういえば、トアって外の世界が見てみたい、って言ってましたけど。きっかけとか、あるんですか」
「何ですか急に……。……ええ。ありますよ」
「よかったら、聞かせてもらえませんか」
そして僕が黙って待っていると、しばらく間があり。彼女はぽつりぽつりとだったけど、話し出してくれた。彼女が外の世界を求めるようになったきっかけを。
「わたしが小さいころ、住んでいた家の隣には、森があったんです。わたしはいつも家の窓から、その森を眺めていました」
「ふむふむ」
「大きくて、深くて、暗くて。変な鳥がいつも鳴いている森でした。わたしはその森が、ずっと遠く、はるか遠くまで続いているものだと、そう思っていたんです。たまに朝早くに目が覚めたとき、その森から鳥の鳴き声がホーホーと聞こえてくることがあったんですが……その森に自分も連れて行かれるのかと思って、とても怖くて。いつも部屋の布団の中で震えていました」
「……それで?」
「わたしがもう少し成長して外に出られるようになって、ある日、その森の周りを恐る恐る回ってみたんです。……すると、何があったと思います?」
……森に何かあったってこと? えーっと、森、森……? まさか呪いの井戸とか? いや、あれはペンションの地下だっけ。とすると……。
「怪しい謎の洋館とかじゃないでしょうか……?」
「外れです。……正解はね。……何もなかったんです」
扉の向こうで、トアは目線を上げた。遠く懐かしい何かを思い出している、そんな目だった。
「何もなかった?」
「ええ。わたしがずっと彼方まで続いていると思った森は、実は小さなわたしでも回れるほどに小さくて。思っているほど暗くもない、何もない、ただの森だったんです。わたしはそれを知ったとき、なんだ、とがっかりしたのを覚えています。想像していたより、現実はちっぽけだったわけですからね。わたしが怖がったり、想像を膨らませた時間はいったいなんだったんだろう。そう思いました」
……その光景が目に見えるようだった。幼き日の彼女はきっと、それはそれはこわごわとその日は出かけたんだろう。今も変わらず怖がりの、彼女なら。
「でも、そのときなぜか、何かをやり遂げたような感覚もあったんです。わたしの世界が、その森の外まで広がったような気がして。実際に森の外側に辿り着くことで、わたしの世界の中に、その森は入った。それはきっと、家の中で想像を膨らませているだけでは、きっと起こらなかったことだと、そう思いました。だからもっと遠くに行きたい、って」
「早熟だ」
「だから今もわたしは、自分が知らない外に、出てみたい。世界の果てに、触れてみたい。越えてみたい。きっとそれでわたし自身の世界が広がる瞬間を感じることができると、そう思っていますから。……そしてついにそれが叶う時が、来たはずだったんですけどね……」
「やっぱり残念、だった?」
「……いえ。あまりそう感じていないことに、自分でも驚いています。きっと、誰が最初とか、そういうものではないからですかね。逆に、確信が持てました」
「……確信?」
「ええ。わたしが行きたいと思っていた、この世界の向こう側はやっぱりあるんだって。世界の果てに、もう手の届くところまで来てるんだって。……きっとわたしって、『そこにある』と確信できないと、安心して向かえないんですよ」
そして、彼女は黙った。僕らは何も話さないまま、しばらくお互いの話と気持ちを噛みしめる。
「私、先に越えて、待ってます」
「……え?」
「この世界の向こうに私の世界もちゃんとあって、ここから辿り着くことができるんだと。そう証明してみせるから。待ってたら……ちゃんと追ってきて、くれますか?」
「……当然でしょう。わたしはあなたの会の、副隊長なんですから。必ず、追いついてみせます。だから……待ってて。……約束、して?」
「ええ。ずっと続く約束、です。たとえ、僕らの間に世界の果てがあっても」
以前、置いて行かないと約束した誓いは、少し形を変えて。扉越しに背中合わせなままで、再び結ばれた。たとえ離れてもお互いずっと繋がっている。距離なんて関係なく。自分がいる世界さえも、関係なしに。それからお互い言葉は発しなかったけど、僕らの間にもう言葉はきっといらなかった。
その翌朝。トアとゼカさんと僕の3人で、あらためて作戦会議を行うため、集合をかけた。この作戦で大丈夫だとは思うんだけど、他の2人の意見を聞いておきたいし。
トアがさっそく僕に尋ねる。そのまぶたはちょっと腫れていたけど、静かな表情と全てを見透かすような大きな目は、いつも通りだった。
「それで、どうやってこの世界から出るんですか」
「……笑わないですか?」
「何をいまさら」
「いまさらだよね」
……なんかその反応、喜んでいいか微妙じゃない……? 僕ってそんないっつもアレな発言ばっかりしてるの……? いや、うん、気のせいかな。僕は気を取り直して自分の思いついた案を2人に提示してみる。
「帰れる理由を一言でいうと、ここが異世界だからです」
「ん? どういうこと?」
「よくわかりませんが……」
うん、まあそれだけだとよくわからんよね。補足しよう。
「そもそものヒントは魔王様とゼカさんの発言でした」
「あたし?」
「ええ。『どの世界にいてもサロナはサロナ』だと、ゼカさんはそう言ってくれたんですけど」
「言った気がするけど……それが?」
「魔王様も、『魂の形が同じだから』私を判別できた、とそう言ってました。そして、ウルタルは『魂は確かに存在する』と。そして、ここが異世界だと私が判別できるということからも、私の中身、魂は死ぬ前と同じだと推察することができます。……だって中身が変わってたら、そもそもここが異世界だってわかりませんからね。ということは、私が前の世界から持ってきたものが、実は1つだけあったということになります」
「……まさか」
「ええ。つまり……」
言いたいことを理解したであろうトアと目を合わせて、僕は頷いた。
「自分の魂がどこから来たか、私自身を深く読み取れば、私の世界の座標はわかる。そう思います。……そして座標がわかれば……空間を超えるブーツ、 天空深處で飛べるはず。魔力の不足だってきっと問題ありません。だって、今の私は全世界の人から魔力を分けてもらうことができるんですからね」
たとえ1度死んでしまっていても。自分の姿が変わってしまっても、変わらなかったものがある。これはきっと、他の誰にも使えない、僕だけが使える道。