岐路
「あの、聞きたいことって何ですか? それにどうしてそんなところに……」
僕は見上げたまま、船に腰かけているルート先輩に尋ねる。先輩は、笑って手をひらひらと振ってみせた。
「ああ、そんなに構えないでいいよー。単純に、常識のテストみたいなものだから。自分に当てはまるかどうかを素直に答えてくれたらいいよ」
「あ、はい……」
……じゃあ普通に聞いたらよくない? 聖剣片手に、船から見下ろしながら聞く必要ってあるのかな……? 僕の疑問をよそに、「コホン」と咳ばらいをして先輩は続けた。
「あなたは乗り込んだ馬車で、これから事件を起こそうとする人と出会ってしまいました。このままでは、大量の人を巻き込む事件が起きてしまいます。……さあ、あなたはどうする? ①何とかして止める ②加担する ③何もせずにただ見守る」
……えーっと、なにこれ……? 宇宙飛行士も心理テストを受けさせられると聞いたことがあるけど、そういうの? なんで先輩が聞く係で、なんで今なのかはわからないけど。まあ、ここでは一択だろう。他のがあり得なさすぎるから。
「もちろん①! なんとかして止めます!」
「はい、ざんねーん。ふせいかーい」
「なんで!?」
冗談かな、と思って先輩の顔をじっと見たけど。先輩は笑ったまま、特に訂正しようとする気配はなかった。
「あの、正解は……?」
「ここでの正解はねー、③何もせずにただ見守る、だよ」
「それ明らか不正解なやつじゃないですか!?」
いや②でも別なベクトルでやばいけども。ということは①しかないやんけ。どこの国の常識やねん。
「だってそうしないと、今のこの世界が確定しないからね」
「……?? 世界が、確定しない……?」
なんかよくわからないこと言い出した……。隣のトアに助けを求める視線を送ると、トアは真剣な表情で先輩の方を見つめていた。……あれ、なんか理解できない僕に問題があるのかなこれ……。
「そう。もう気づいてると思うけど……先生と私は、これからあなたの世界に行って大きな実験をしようと思ってるの。……そしてそれに巻き込まれるのが、あなた」
それはそう。きっと、そうだと思っていた。ウルタルがあのゲームの作成者だと。
「さてここで問題です。あなたはそれを、何もせずに見守ることが、できる? 自分も含めて思いっきり命の危険がある実験の対象にされるわけだけど、ニコニコ笑って見守ってくれるかな?」
いや別にニコニコ笑う必要はないんじゃ……でも……うん。絶対邪魔すると思う。けど……どういうこと? 邪魔されたくない、ってこと?
「ううん、そうじゃなくて。ここで問題なのは、実験に第三者による邪魔が入らなかった……その過去を経て、あなたがここにいるってこと。あなたが歩んできた時間においては、実験はつつがなく進行した。つまり、あなたは実験が始まる時間軸において、邪魔をしていないか……存在していなかった」
つまり、ゲームで行われた実験に邪魔は入らず決行されてしまった過去がある。僕が過去にいたら絶対邪魔する。だから、僕はゲームが行われていた過去にはいなかった。……そういうこと? でも、個人で邪魔するっていっても限度があるというか……。ただ単に邪魔したけど影響がなかった、って可能性もあるのでは……。
「場所も時期も知ってるでしょう? ちょっかいをかけるにはそれで十分だよ。……私、あなたが歩んできた過去を変えたくないんだよね。だって、そうしないと今のあなたが消えちゃうかもしれないから。あなたが消えちゃったら、私、寂しいな……。せっかくできた妹弟子なんだし」
先輩は悲しげな色を目に浮かべ、表情を陰らせた。それはどこからどう見ても、後輩思いの先輩の姿だった。右手に持った刃物と、船を明らかに乗っ取ろうとしてるこのシチュエーションに目をつぶれば、だけど。
……つまり、過去を改変すると現在に影響がある、っていうこと?
僕が考えこんでいると、トアが一歩前に出た。
「あなたがそんな理由で行動するとは思えません」
「まあ、そうだよね。……私にとっても今の状態って好都合なんだよ。女神は邪魔しなくなったし、行き先も確定したし。この現状を変えたくないの。だから、過去を改変する要素は排除しておきたいかな」
「行き先が、確定した?」
「そうだよ。異なる世界って、1つだと思ってた? この世界とあなたの世界の2つだったらいいけど。世界がいくつもあったら、ただこの世界を飛び出したとしても、あなたの世界に無事帰れる可能性って、そんなにないんじゃないかな」
「……確かに、理論は複数の世界の存在の可能性を示していました」
悔しそうに、トアが返事をした。……ん? トアさんそれ初耳なんですけど。複数あったらどうしようと思ってたんだ。魔王様の召喚の時の魔力不足といい、君けっこう見切り発車なところあるよね。……まあ、僕も人のことは言えないんだけども。しかも僕って今回完全に人任せだし余計に資格ない。
「うん。そしてあなたの世界の場所を知ってるのは、女神だよね。だって女神があなたを連れてきたんだから。だからね、戦った時に女神から直接読み取ったの。今の私は、あなたの世界の座標を知ってる。あとは出発するだけ」
ルート先輩は、自分の手を広げて見つめた。……そこに座標が浮かんでいる、とでも言うように。
どうやら連れて行ってくれそうにはない。……いっそのこと、戦うか?
そう思って見上げると、いつの間にか獣が視界にいない。その代わり、僕の真後ろから唸り声のようなものが聞こえた。……げ。後ろを取られてる。まずいぞ。戦ったらきっと僕らのうち、誰かが死ぬ。
「あ、動かないでね。今、御使い殺しの獣があなたの首を狙ってるよ」
うん、誰かじゃなくって僕が死ぬなこれ……。駄目だ、手詰まり。
僕が何も言うことができずに先輩を見上げていると、トアがぽつりと口を開いた。
「……その船は、3人以上が魔力を通じさせないと発進できません」
「……んー? 急にどうしたの……って、あ。本当なんだ」
先輩はこれだけ離れていても、嘘かどうかが分かるらしい。
「どうしてそんな仕様にしたの? 置いて行かれるのが、怖かった? それとも『一緒に行こう』って誘う口実にでもしたかったのかな? ……あ、両方か。ふふ、あなた、寂しがり屋だもんね」
「……っ……」
悔しそうに固く唇を噛みしめ、先輩を見上げるトア。
「じゃあどうしようかなー。誰でもいいんだけど。あなた達3人は邪魔しそうだし…………あれ?」
そこまで呟いて、先輩はなぜか首をこくりと傾げた。……今更ながら自分の行動のおかしさに気づいたとかそういうのでありますように。
ところが、先輩は船の入り口の方に怪訝そうに振り返った。
「誰か船内にもういる……? 隠れてるの? ……えーっと聞こえるかな? 死にたくなかったら、ちょっと出てきてもらえる?」
すると、上の方にある出入り口がガチャリと開き、誰かが顔を出した。……げ。
「ロランド! なんでそこに!?」
彼は、なぜか誇らしげな顔で僕に応える。
「俺も連れて行ってもらうために、自分で行動したぞ!」
馬鹿野郎。ご自分でどうぞ、っていうのはそういうことじゃないんだよ。
「やったぁ、揃ったね。ありがとう。こんなに使い捨てにできそうな人なら大歓迎だよ」
「おお……ここでは俺が必要とされているのですね」
いやいやいやよく聞いて。先輩の中で君ってホッカイロくらいの扱いだよ。それでいいのか。そして意気揚々と船の中に引っ込むロランドに続いて、ウルタルも船の中に降りていく。僕の視線を感じたのか、その途中で1度だけ振り返った。僕らの目が正面から合う。ウルタルは、かつて研究所の地下で話した時と同じ、静かな目をしていた。
「私は、研究ができればどこでも構わないさ。それは、以前話した通りだ」
そうして最後まで船の上に残っていた先輩も、笑顔のままで手を振った。
「じゃあ、さよなら。もうきっと、会うことはないと思うけど。元気でね。私のこと、忘れないでね。……それで思うんだけど、あなたはここで暮らしたらいいと思うな。トアさんもありがとう。船は大事に使わせてもらうね」
「……先輩!」
「なーに?」
「先輩は、前の御使いのお姉さんが死んでしまったことに、怒ってたんですか」
「……どうして?」
「結果として、教会のトップと女神、前の御使いの死に関わった者がいなくなったわけですから。そうなるように先輩は動いていたのかなと」
「……私が復讐したかった、って言いたいの? それはないかなぁ。ただ私は、目の前にある邪魔な物をどうやって効率的に排除するか、考えてただけ」
最後に、黒い獣がぴょんぴょんと跳ねて船の入り口まで登り、バタンと入り口は閉まる。僕らの目の前で、船はゆっくりと震えだした。そして突然、ふいっとその姿を消す。……あとには、急にがらんとしてしまった工房の何もない空間だけが残った。
「行っちゃった……」
呆然と、ゼカさんが宙を見上げてそう言った。僕も同じ気持ちだった。……帰れる手段が、あっさり消えた。突然に。まだ、何が起こったのかがよく理解できない。……あ! トアは!? 船が取られて一番ショックを受けてるんじゃ……。
ところがトアは、何もなくなった工房を見回した後に目を閉じて、独り言のように小さく呟いた。
「……ひょっとして、これでよかったのかもしれません」
「何がですか?」
「元々わたしたち3人が、あの船でこの世界を出るってことは無理だったのかも……。あなたが消えてしまいかねないから」
「さっきのは先輩が船を奪う口実じゃないんですか?」
「あながちそうとも言いきれません。……さて、船を奪われてしまいました。それでは次策に移りましょう」
トアはそう言って身を翻し、工房から足早に出て行こうとした。僕とゼカさんはその後ろから慌ててついていく。
「お、落ち込んでないの……?」
「元々、奪いに来る可能性は考えていました。あちらもこの世界を出たいわけですからね。こうなったら、あの船は観測と解析のために使わせてもらいます」
「観測?」
「ええ。さっきロランドさんが出てきた時、ルートさんに一瞬、隙が出来ました。と言ってもほんの一瞬でしたから……船の情報をこちらに送る機能を有効化するくらいしかできませんでしたが。それに、神器の仕組みは解析済みです。時間はかかるでしょうが、なんとか再現できる可能性はあります。落ち込んでいる暇はありません」
「ま、前向きだね……」
「自分でも意外です」
トアはそう言って、歩きながら困ったように笑った。
「私にも、誰かの能天気さが移ってしまったのかもしれませんね」
僕らはトアについていくまま、工房の隣にある小さな部屋に入っていった。そこにはなんだかよくわからないけど中央にレーダーを表示させるみたいな板っぽいものや、大量の光る球などがずらりと並べられている。おお。ここが解析室みたいな感じ?
トアはさっそく球をテキパキと操作し、板に何かの表示を浮かび上がらせた。
「おおー!」
「なるほど。既に船は世界の壁を越えつつあるようです。とりあえず、世界の壁は越えられる、それが証明できました。……あとはこの調子でどこに行くかを観測していれば、あなたの世界の位置も分かりますよ」
「なんと……なんと素晴らしい……」
いかん、思わず教皇みたいになってしまった。しかしこれは朗報だ。座標ね、確かにそんな話あったな。トアも座標のことについては未対策だったみたいだし。ということは、これはむしろ先に行ってもらってよかったのでは……。
ところが、板を覗き込んでいたトアが、不意に「あっ」という声を上げた。
「……ん?」
「あっ」ってなんだろう……。なんか嫌な予感が……。僕は固唾を飲んで、トア副隊長の次の発言を待った。どうか、どうかこの予感が外れていますように……。彼女は天井を見たり、壁を見たり、床を見たりしてしばらく黙った後、申し訳なさそうに僕に言った。
「その……反応が消えました」
「……あっ……」
「……あ、いたいた」
僕が屋根の上に座って空を見上げていると、ゼカさんがやってきた。
「どうしました?」
「えっと。うん。その……落ち込んでないかなって。いっつも帰りたがってたから。……それとね、トアが『ごめん』って言ってた」
「落ち込む……うーん……」
というよりまだ状況について行けてないというか。正直先輩の話も消化しきれてないので、ここで考えてたんだけど。それにトアが謝る必要って別になくない?
よいしょ、とゼカさんは僕の隣に腰を下ろして、早口で話し始めた。
「あたしさ、サロナはここで暮らしてもいいんじゃないかって思うな。……あたしたち3人とか、たまにお姉ちゃんとか、アルテアさんとかとも冒険してさ。それで、トアが船をまた作ったら一緒に行こうよ。いつになるかわからない、ってトアは言ってたけどさ」
あ、そうなんだ。やっぱり先にはなりそうらしい。
「サロナはここに残るの、嫌?」
「嫌じゃないです。けど……」
「けど?」
「しっくりこないことがあって」
「ん? なになに? ほら、言ってみなよ」
バンバン、と屋根を叩いてゼカさんはせかしてくる。えーっと、ゼカさんってどれくらい僕の事情知ってたっけ? 確かここと同じような世界が僕の世界に再現されてる、っていうところまでだったような。
「これから先輩、というよりウルタルが私の世界で事件を起こすんです。で、私はそれに巻き込まれるんですね」
「まああの人は起こすよね。それでえーっと、巻き込まれるのは今目の前にいるサロナじゃなくって、あっちの世界にまだいるサロナが、ってことだよね」
「ええまあ。それで、先輩はその事件の時、『私』はいなかったはずだとそう言うんですが。……本当に、そうだったんでしょうか」
「え? 『私』ってどっちの?」
「あ、今、目の前にいる方です」
「サロナはその時、元の世界に戻れてたんじゃないか、ってこと? どうしてそう思うの?」
「おかしいんです」
「何が?」
「ルート先輩は。きっと、私が死ぬときに翻訳魔法の魔石をくれることはあっても、『特典じゃないけど、あげる』なんて……たぶん、言わない」
僕が死んだとき魔石をくれた誰かは、確かにそう言っていたはずだ。女神も知らない、と言ってた翻訳魔法の魔石をくれた、誰か。あれってひょっとして、僕自身だったんじゃないだろうか。僕ならいかにも言いそう。特典とか転生とか、めっちゃ言うと思う。……なら、少なくとも僕が死んだときまでには、僕は元の世界に戻れていたということになる。
……でも、どうやって……? 船はしばらくできないらしいし。さっきのゼカさんの口調から察するに、次の船ができるのって、数年単位で先なんじゃないだろうか。まあ、ゲームの製作期間とか考えたらギリギリ間に合うのかもしれないけど……。
「もう! 考えてすぐに帰れる方法が出てくるわけじゃないんだから! 元気出そうよ!」
ぐいぐいと僕の腕を引っ張ってくるゼカさん。
「どの世界にいたって、サロナはサロナなんだから!」
……うん。僕は手を伸ばしてくれたゼカさんの手を取って、立ち上がる。
「私、いつもゼカさんの明るさに救われてます」
「そ、そうなの!? ありがとう!?」
「なんでそっちがお礼を…………あれ……?」
僕は一瞬遅れて、少し前のゼカさんの言葉を頭の中で何回か繰り返した。……そういえば、魔王様も同じようなことを言っていたっけ……。そして、ウルタルの研究の内容は……。
――ひょっとしたら。帰ることができる、かも……。少なくともやってみる価値はある。……ただ。僕は笑顔のゼカさんを見ながら、その続きを心の中で呟いた。
――この方法で帰ることができるのは、きっと、僕1人だ。
まあ帰るという表記が当たるのはもともと主人公1人なんですけれど
あと、エピローグを分離するかもしれません。
残り2話+エピローグみたいな。エピローグはたぶん最終話の同日に上げます。