支配者
「あ、あの魔王様! お久しぶりです」
「おや? ……サロナ、なんだか今日は元気がないですね。……それに姿が違いますし」
「あ、はい。私ってよくわかりますね」
アルテアさんといい、なんでわかるんだろう。今度は話してすらいないのに。
「魂の形が同じですから……ん? んん?」
魔王様は途中で変な声を上げた。今まであんまり聞いたことない声だ。……なんだろう。まさか女神を見て戦意喪失したとかそういうのでありませんように……。しかし、その魔王様の視線(?)はどうやら僕らに向いているようだった。
「あの……その人、私ですよね……。2人はどういう……いやちょっと待ってください」
違った。魔王様的には、僕とトアが手を握って寄り添っているのがなんか駄目だったらしい。というか、トアが、かな。それを示すように、魔王様はトアにシュババババ、とすごいスピードで詰め寄った。今にも肩掴んで揺らしそう。
「ちょっと、私。いったいどうしたんですか……?」
「あの、違う世界のわたし。どうか女神を倒す手伝いをしてもらえないでしょうか?」
「ああ、それは別に構わないんですけどね。……どうしてそんな……ああ、そうかわかりました。記憶を共有するためにというわけですね。それはそうですよね。なんだびっくりしましたよ」
するとトアはそれを聞いて、なぜかいっそう僕の手をぎゅっと握った。
「それだけじゃないです」
「……正気ですか」
今度は魔王様はぐいぐい僕とトアの手を引っ張り、無理やりに離そうとしてくる。なんか魔王様挙動不審じゃない……? ……ああ、でも確かに。僕が他の世界に行って、その世界の自分が男と手を取り合ってたらとりあえずぐいぐい離そうとしてしまうかもしれん。
「いやいや考え直しませんか。明らかに色々袋小路ですよ。もう少し他の選択肢ってあるでしょう。悪いことは言わないからやめておきなさい」
「あなたに言われる筋合いはないと思うんですけど」
「いやあるでしょう! 私なんだから! むしろ一番ありますよ!」
「余計なお世話です」
……せっかく召喚に成功したのに、残念ながらどうやら今日の魔王様はちょっと情緒不安定であられるらしい。そしてトアと魔王様がなんか知らないけど相性悪そうだ。自分同士なのに。……ただ、やっと、やっと召喚出来たんだ。情緒不安定だろうがなんだろうが構わない。……よし。
「あの、ご気分がすぐれないところ申し訳ありませんが!」
「ええ、とってもすぐれません。…………自分のこんな姿だけは、見たくなかった……全然話聞きませんし。なんなの、こんなに頭固いんですか私って……? ……すみません、取り乱してしまいました。用件は女神を倒す、でしたかね。でも、そもそも女神なんていましたっけ……?」
気を取り直したように、魔王様はなんとか立ち上がった。しかしすぐに彼女は首を傾げる。確かに僕らの世界にはいなかったもんね。ただ、今は……。
「あそこにいますよ」
僕が指さした先を首を回して認識し、魔王様はゆっくりと歩き出した。それを、女神とルート先輩、ゼカさんベッテさん、全員が動かずに見守る。魔王様が近づくと、そろそろと女神以外は離脱し、その場には女神と魔王様の2人だけになった。2人は少し距離を開けて正対する。
まず、魔王様が口を開いた。いつも通りの、ゆっくりした口調で。
「あなたが女神ですか? あなたの顔、なんだかさっき見たばかりな気がしますね」
「……そう言うあなたは顔が見えないよね。……誰?」
「これは申し遅れました。私、魔王軍の大将格、ということになっています。以後お見知りおきを」
「……? それで、あなたも邪魔するの?」
「そうですね……どうしようかと思っていたんですが。別にあなたに特段恨みもないですし。私を召喚した相手にはいきなり衝撃的なものを見せられるし」
……そういうのいいから。やらなきゃ呪うぞ。お前の部下が脳筋だらけになる呪いをかけてやるから。僕のそんな血走った目線を背後に感じているのか、魔王様はどこか面白がっているような口ぶりで女神と話していた。しかし急にぴたりとその動きが止まる。
「いえ……そういえば、勇者って神の召喚した戦士、だったんでしたっけ」
「勇者って、なに?」
女神は不思議そうな顔をした。確かに、逆にこの世界には勇者はいない。魔王様はそんな女神に肩をすくめる。
「……訂正します。恨み、ありましたよ。八つ当たりのようなものですが。文句なら別の世界の自分に言ってください」
「よくわからないけど、敵なんだ? ならあなたもいらないや」
そう言って、女神が魔王様に右手をかざした。しかしその肘から先が、音もなく消滅する。女神は信じられないような顔をして、自身の途中からなくなった右腕を見つめた。……え?
「……えっ……なに……?」
「……ああ。奥に本体があるんですね。道理で脆いと思いました」
いつの間に抜いたのか、魔王様はチン、と鞘に剣を収めた。……剣で斬ったらしい。全然見えなかった。女神は子どもが駄々をこねる時のような表情で、魔王様を睨みつける。
「あなたなんなの!? 突然来たくせに……! この世界で私を傷つけられるものなんて、あるわけないのに……! 私が一番偉いはずなのに……!」
「ああ、それはいけません」
魔王様は女神のその言葉に、ゆっくりと首を振った。
「自分より弱いと思っていたものに足をすくわれることはありますからね。ただどうでしょう……? 奥の本体とであれば、私とどちらが強いかはまだわかりませんよ」
その言葉にはっとしたように、女神は素早く身を翻し、一瞬で宙に消えた。神とは思えない、見事な逃げ足だった。ペンダントで話していた時のバックレっぷりもかくやと言わんばかりに。
……え? ちょっと待て。逃げられた? 今勝てそうだったやんけ。なんでわざわざ……。
「ちょっと! 魔王様!」
「それでは私、向こう側に行ってきます」
「……え?」
「あのままでは、この世界に現界している一部分しか消滅させられませんでしたから。……『女神を倒してくれ』という頼みなんでしょう? まさに私にふさわしいお願いですよね」
魔王様はそう言って、楽しそうに笑った。
「……さて。行きますよ、 支配者の器」
シャキン、という音とともに再び抜かれた白い剣は、僕らにもよく見覚えのある物だった。魔王様は剣を振り、空間に裂け目を開けてそこにふわりと飛び込む。
……あっという間に女神と魔王様の2人が消え、夕暮れのように薄暗かった世界は明るさを取り戻した。あたりには、何もなかったかのような昼下がりの風景が元通りに広がっている。僕はとりあえずその場のみんなに事情を説明するため口を開こうとした。……その時。
突如、びりびりと空気を震わせる轟音が響き、青空にいくつもの稲妻が走った。そして急に空が真っ暗な闇に包まれ、またすぐに光を取り戻す。まるで、昼と夜が目まぐるしい速さで交互に訪れているみたいだった。
「なんなのこれ……」
ゼカさんが呆然としたように空を見上げる。その向こうで繰り広げられている戦いは僕には見えない。ただ、それを映しているであろう空を、ゼカさんと同じように見上げた。空は次々に様相が変わる。……その一面に広がる黒より暗い漆黒を、眩しくて目を開けていられないくらいの光の輝きを、青く光りながら空を横切る巨大な彗星の尾を、ただ、見上げた。その場の全員が何も言わず、ただ上を見上げていた。
やがて、頭上は再び夜空となり、星がいくつも落ち始める。流れ星というより、まるで夕立のように星が次々に落ちてくる、そんな光景に僕は息を呑んだ。音が何も聞こえない中で、空から降る大量の星。見上げていると、自分がそれに飲み込まれてしまうような錯覚を僕は覚えた。現実味のない光景。まるで、自分が夢の中にいるみたいだった。……異世界で見る夢はいったい、どんな世界を映すんだろう。そして誰かが呟いた一言が、きっと、その場の全員の心情を表していたように思う。
「……まるで、このまま世界が終わるみたい……」
……どれくらい時間が経っただろう。不意にまた世界はふっ、と昼間に戻った。そしてしばらく経っても、空は変化しない。まるで、さっきまでの光景が本当に夢だったみたいに。
僕は信じられないような気持ちで、周りを見渡した。目の前には、朝に僕らが戦いの準備をしていたままの、魔法都市を出てすぐのところにある原っぱが広がっていて。……チュンチュン、と鳥が鳴きながら飛んでいくのが聞こえる。頭上を見上げると、さっきまで星が絶え間なく落ちていたはずの空は、そんなそぶりも見せずに青く晴れ渡っていた。そして……女神も、魔王様も、どこにもいない。
「これ、どうなったの……?」
「さあ……?」
僕とゼカさんは答えを求めて他の人の顔を順番に見渡す。すると、ルート先輩が真剣な顔をして、まだ空を見上げているのが目についた。僕はおそるおそるお伺いを立ててみる。
「あの、先輩」
「うん……凄かったね」
「結局、どうなったんですか?」
「ああ……もう、女神は邪魔できないと思うよ。……帰ろうか」
それだけ言って、先輩は珍しく疲れた様子で髪をかき上げた。……もう邪魔できない。勝った、ってこと? ……まだ実感ないけど。
「ねえ、勝ったんですって」
僕はそう、いつものように手元の絵筆に話しかけてみる。……しかし、何も答えはなかった。きっとどれだけ待っても、もう彼女から返事が返ってくることはないんだろう。なんとなく、それがわかった。……彼女なら今の問いに、一体なんて答えただろう。
……こうして僕らの女神との戦いは幕を下ろした。当然だけどゲームと違って、アナウンスもないまま。奇跡的に、1人の死者も出ないままで。