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「この世界に勇者なんていない」
少年――シュレイドは後悔していた。
少女の前に姿を晒す気は微塵もなかった。シュレイドが所属する犯罪グループ『サハスラット』がこの倉庫街で軍需品を強奪する作戦を練っていたところ、どこからか声が聞こえた。状況を把握するためにシュレイドが偵察役を買って出でここに辿り着いた。そこまではいい。シュレイドは少女と警備兵のおかしな問答を見届け、すぐさま帰ろうとしたのだ。
目の前の少女が、あの言葉を発するまでは。
「私、勇者を探してるんですけど――――」
勇者、なんてものを耳にしたのは何十年ぶりだろうか。
最後に聞いたのはそう、幼い頃母親に勇者の伝記を読んでもらっていた時以来かも知れない。
もう勇者なんていないのだ。
魔王が勝ち、勇者が負けた世界。それがこの世界だ。あれから百年近く経つ。勇者の誕生を待つものは誰もいなくなってしまった。この世界は勇者という光を搾り取って残った、ただの搾りカスだ。
「この世界にあるのは泥のように濁った現実だけだ――――」
強者が弱者を虐げ続ける世界。逆さまにならない砂時計、傾いたままの天秤。いつしか人は魔物を恐れ、武器を捨て降伏するようになった。魔物に管理された社会に、どのような希望があるというのか。
諦めと失望がない交ぜになったシュレイドの言葉を、しっかりと受け止めるように少女は胸に両手をおいた。そして、ゆっくりと口を開く。
「私も、そう思います」
シュレイドが目を見開く。少女はそのまま言の葉を紡ぐ。
「ですから私が変えにきました。この世界を」
さっきとはまるで雰囲気が違う、神々しさすらある少女に、シュレイドは心を奪われていた。目の前の少女はいったい何者なのだろうか。シュレイドの頭の中では、少女に対する気味の悪さよりも興味の方が勝っていた。
「お前は――――」
シュレイドが声をかけようとする前に、甲高い音が倉庫街に駆け巡った。
「警報か!」
シュレイドは一瞬で我に返り、あたりを見渡す。目の前の少女に気を取られていたせいで、この一画に人の気配が集まってきていることに気付けなかった。あれだけ警備兵が大きな声を出していれば、いずれ増援がくるのはわかっていたのに。
「え? な、何ですか?」
少女はわけもわからず狼狽し、辺りをキョロキョロしている。マイペースなのか、それともひどく世間知らずなのか。どちらにせよ、このままでは二人とも見つかってしまう。
「お前! 名前は?」
「名前? えっと……ないです」
「はぁ!?」
わけがわからない。先ほどの警備兵との会話からして、この少女には不可解な点が多すぎる。シュレイドは下唇を噛む。どうするべきか、こいつを置いて逃げるか……しかし。
シュレイドはふと少女が頭につけているカチューシャに目をやった。明らかに高価な宝石で装飾されたカチューシャは、ランタンの灯に照らされ怪しく光を放っている。
「……よし」
シュレイドは意を決した。こいつが何者であるかはこの際どうでもいい。今はこの選択がベストだ。
「おい、警備の連中に捕まりたくなければついてこい!」
「え、でも……」
「いいから早くしろ! あんな奴らに捕まったら最後、お前の高そうな服ひん剥かれて質屋に出されるのがオチだぞ!」
迷っている暇はなかった。シュレイドは強引に少女の手を引き寄せ、ここまで来た道を引き返す。背後から少女の悲鳴が聞こえたが、警報によってうまく聞こえなかった。
この少女を連れて来たら、ボスはなんて言うだろうか。
走りながら、シュレイドはそんなことを考える。おそらく、ボスはこう言う。
――――いい上玉を連れてきたじゃねぇか。服は高く売れるし、容姿もいい。天辺から爪先まで金になるぞ。
上機嫌に喋るボスを想像し、思わずシュレイドは苦笑する。
悪いな、ボス。連れて行くのはそんな理由じゃないんだよ。
自分と同じ考えをもっているかも知れない少女――――。
シュレイドは、新しく友人ができた時のような、軽い高揚感を感じていた。