闇から現れ、見つめる2人
「何者だ、止まれっ! 止まらんかっ!」
草木も眠る丑三つ時。その草木を叩き起こさんばかりの怒声が響き渡った。漆黒の闇が支配する深夜の倉庫街に、カンテラの灯がホタルのように忙しなく揺れ動いている。ホタルは2匹。動きから察するに、何かを追っているように見えた。
2匹のホタルは月の光さえ届かぬ闇の世界を、我が物顔で舞い踊る。数十秒ほどの演舞の後、ホタルは倉庫街の端、多数の木箱が積まれた突き当りで動きを止めた。
「何者だ貴様は! 我々からなぜ逃げた!」
「場合によってはタダでは帰さんぞ!」
ホタルの飼い主は、この倉庫街を見張る警備兵だった。見方によっては悪役のような台詞を吐いている彼等だが、無理もない。この倉庫街はある犯罪グループによって度々被害を受けていた。警備兵が執拗に追いかけたのも、彼等が捉えた人影が犯罪グループの一員なのではと判断したからである。
「はぁ……はぁ……。もう、追いかけて来るから逃げるんじゃないですかぁ!」
しかし、そんな彼等に答えたのは、場違いなほど明るく間の抜けた声だった。2つのカンテラの灯が声の主を照らす。赤色の長い髪、純度の高い宝石が敷き詰められたカチューシャ。白を基調とした豪奢なドレスは、貴族の令嬢が着ているものと遜色のない意匠である。曇りが一切ない宝石のような紅い瞳が、警備兵を非難するように見つめていた。
「お、女の子!?」
二人の警備兵が同時に素っ頓狂な声を上げる。そんな彼等を余所に、少女は物色するような目つきで二人を交互に見渡す。
「その服……ハインツ王国のものですよね。じゃあここはハインツ領内ですか?」
「え? あ、はい。そうです」
驚きと混乱によりすっかり毒気を抜かれた警備兵は、少女の問いに馬鹿正直に答える。
「なるほど。ここは埠頭の倉庫街ですから……位置としてはブルーニュ地方かバカンディ地方のどちらかなわけですね?」
「バカンディです」
またもや律儀に応答する警備兵を、もう一人の警備兵が肘で小突く。
「馬鹿! なに真面目に答えてんだよ」
「いや、だってあの服装……どうみても富裕層の方だし」
「だからってこんな深夜にこんなところブラブラしてるわけねぇだろ!」
もう一人の警備兵の言うことは一理あった。先ほどの質問から、この正体不明の少女はバカンディ地方に元から住んでいる者ではないことは明らかである。
「もしかすると、『サパスラット』の一味じゃねぇのか?」
「なるほど、服だけは貴族のものを着て…………」
「あのー、もうひとつ聞いてもいいですか?」
少女の明るい声が、警備兵のひそひそ話に割って入る。警備兵は先ほどの慌て様が嘘のように、顔を引き締め警戒しつつ少女の次の台詞を待ち構えた。自然と手が腰のサーベルに添えられる。この少女がもしもサパスラットならば、次にどんな手を打ってくるかわからない。最大限の注意が必要だった。
「私、勇者を探してるんですけど――――」
少女が言い終る前に、警備兵の意識は吹き飛んだ。
警備兵はうめき声すら漏らさずに、糸が切れた人形の如く倒れこむ。さっきまで二人の警備兵の首があった場所には、手刀の型をした手があった。腕から向こうは、夜の闇に紛れて見えない。持ち主を失い地面に転がったカンテラは、手刀を叩き込んだ何者かの足元を薄く照らしている。
「……あれれ?」
今度は少女の方が驚く番だった。いきなり昏倒した警備兵を見て目をパチクリさせる。
「この世界に勇者なんていない」
その何者かが地面に転がったカンテラを拾った。闇が生気を纏い、その形を人間へと変えていく。ボロボロの外套に身を包んだ、長身の少年。闇に溶けるような漆黒の髪に、氷の如く冷たい切れ長の目が少女を捉える。
「この世界にあるのは泥のように濁った現実だけだ」
少年の声色は、失望と諦めが入り混じる、どこか儚げなものだった。