後ろの目
「さて、パソコンの起動、と。」
朝起きて、いつものようにパソコンの前に座った。寝間着代わりのパーカーが少し汗で湿っていたが気にしない。そのまま、デカい箱型の本体、その上面に設置された電源ボタンを押した。少し時間がして、併設されいるディスプレイが光を放つ。そして、無機質な声がスピーカーから流れた。
「おはようございます。本日は、気温23度、天候は晴れでございます。それでは『目』の起動を行います。」
そういうと、パソコンから激しいファンの音が聞こえ始めた。
世界のありとあらゆるところに、カメラが取り付けられた時代に、俺は生きている。最初はプライバシーとか情報機密保全のためと反対が多かったらしいが、試しにモデル都市で始めると、劇的なほど効果を上げ、そういった反対の声をつぶしてしまった。そのため、今では一家に一台と言わず、ありとあらゆる部屋に取り付けられている。そして、情報の共有化と防犯意識の向上をうたって、その映像は、パソコンにて誰でも確認ができるようになっている。
かくいう俺の部屋にも、広角レンズを備えたカメラが鎮座されている。最初は、誰かに見られているということに恐怖や、不安を感じたが、今では慣れてしまった。女性の部屋ならともかく、男性の、しかも面白味も無い部屋を見るもの好きなんかいないと知ったからだ。
「さて、今日は何をみようかな。」
昨日は、世界の素晴らしい食べ物を見ようと、様々な国のレストランを覗いた。地中海では、レモンと海鮮をきれいに並べたオードブル、中東では羊と豆を香辛料で煮込んだ伝統料理、南米では辛いソースをふんだんに使った軽食と、食欲をそそられる光景を見てきた。
一昨日は世界の素晴らしさを感じようと、屋久島にカッパドキア、ストーンヘンジやマチュピチュなど、世界各国の遺産を見てきた。
さらに、その前の日は、教養を身に着けようと様々な大学の講義を見てきた。多くの学生が『目』で見ているせいか学生がかなり少なかったが、殆どの教授はそんなことも気にかけず淡々と抗議を進めていた。時代も随分変わったもんだと思ったが、俺の時とあまり変わらないのかもなと思い直した。
さて、この三日間を思い出したわけだが、特にやりたいと思うことが見当たらない。どうしようかと悩んだ末、パソコンに向かって言葉を投げた。
「『目』、ランダム。」
「了解しました。」
また無機質な声が流れると、画面が切り替わった。
どこかの一室のようで、部屋は薄暗く、パソコンの前に薄汚い男がぽつんと座っているだけだ。ぼさぼさの頭を直しもせず、着古されたパーカーは伸びきっている。そして何より、パソコンの前から全く動かない男が、酷く奇怪に思える。
数分見ていたが、全く動きのない画面に飽きた。
「まったく、何をするでもなく、ずっとパソコンの前に居て寂しい奴だ。こんな奴にはなりたくないね。」
そう独り言を言って、パソコンに、ランダムと再び声をかけた。
部屋の後ろのカメラは、それまでせわしなくジージーと音を立てていたが、誰も『閲覧者』がいなくなると、また元のように静かになった。部屋は、耳鳴りが起きる程、本当に静かになった。