通達直後
「最初は出家かなーって思ったんだけど」
「直人って……一つ上のお兄ちゃんの事だよね」
それでもう仏門に下ったのか。いやはや、熱心な仏教徒さんで……って違う違う。それじゃ、消えてないって。
「それってさ……もしかして家出?」
「ああ、そうそれ」全然違うじゃねーかよ。「あいつは啓人みてーに強くねーから、今頃どうなってんのかも分かんねぇ。それに、その家出じゃねーんだよ。昨日の朝の話だが、何だ、その……幽閉?」
どこに?何だ何だ、財産目当てか。……ってそれも!
「誘拐の事を言ってんのかな?」
「そうそれ誘拐」
いい加減にしろ。危機感が感じられないだろうが。
「誘拐って、それあたしより先に警察に言うべき事じゃないの?」
「誘拐したのが人間ならな」
なんだそれは……人外に誘拐されたって事か?
猿じゃ……ないな。だったらニュースにでもなってるもの。
ニュース……ニュースか。
ああ、こんな事なら毎朝しっかりとニュースを見ておけばよかった。
「朝起きたら、直人が居なかった。それだけだったら、まだいいさ。けど、何がおかしいかっつったらな、夏音」
「はぁ」
「服がな……あいつの服が、全部部屋に脱ぎ捨てられてたって事だ」
「全部って……下着系統も?」
「ああ。それに、部屋の中が獣の匂いで充満してた」
そりゃ間違いなく、人外の誘拐でしょうね。
……というより、喰われたんじゃないのかそれ!?
「それで、だが。おまえに、直人がどこへ行ったのか、あるいは何に連れ去られたのか。それを突き止めて欲しいんだ」
「でもあたし、情報集めは苦手だよ。良輔に言えば、あいつはそういうの上手いから」
「いや。俺は極秘にやりてーから……。でも、そうだな、良輔と、それと麗羅にだけは協力で仰いでおいてくれ」
「どうやるんだよ」
どうやっても協力してくれなさそうだが。
いや、それよりも。
極秘にやりたい。
それだけじゃ、理由になってないんだけどな。
「うん……よし、分かった。じゃあ取り敢えず、テレビとか新聞とかには目を通して……あ、後一応、ラジオも聞いとくか」
「はん。勉強も忘れんなよ」
「あんたに言われる筋合いだけは無いぞ」
と。勉強で思い出した。気付けば、時計の針がもう重なろうとしている。
あたしがそれに気付くのと、インターホンが鳴るのが同時だった。
「やっほ~!!なっつねちゃん元気ぃ?」
「宿題手伝いに来たよ~ん!アタシ達が来たからにはもう大丈夫!どーんとまっかせなさい!」
この劇的ハイテンションは何だ。いつもの事ながら、鼓膜に穴が空きそうな恐怖を覚える。
「こ、こんにちは……」笑顔がどうしても引き攣る。「円香さん……角香さん」
「こーんちはっ!……っておやおや~?何ですか夏音ちゃん、彼氏ですかですか?」
「うっわ~!ほんとだぁ、もーうずるいぞ、アタシ達より先にっ!」
「いやいやいや、そういう訳では決して」
横目で隣を見ると、案の定蒼白な恵人が居た。
そりゃ当然だ。今まであたしは、初対面でこの二人のテンションに付いていけた人間を知らない。あの健司でさえそうなのだ。ましてやこんなに無感情な恵人など、付いていける訳が無い。
あーでも、そんな顔してると二人が……あ、来た来た。
「あっれぇえ~?ちょっとちょっと彼氏クン、どしたのさ~?そんなに暗ぁい顔しちゃってぇ」
「あ、駄目だよ円香っ!彼氏クンとか呼んだら!ちゃんと名前で呼んであげなくちゃあ!てな訳でねぇねぇねぇ、名前、教えてよっ!」
恵人の口がパクパクと動く。だが、何も聞こえて来ない。
「おーい恵人、大丈夫か?言葉になってないぞ」
応答無し。仕方が無いので、あたしが恵人を指差す。
「えーと。この人は運命恵人といいます。同じクラスですが決して、決して恋人ではありません。あたしの宿題を手伝ってもらいに来ました」
二人が、さも残念そうに座り込んだ。揃って頬を膨らませている。
「なぁ~んだぁ。恵人君、彼氏じゃないんだ」
「そんじゃ、ま、宿題でもやろ~か。お互い、どこが出来ないかを教えてくり」
うわぁ、テンションガタ落ち。でも、これでもあたしと互角か。
うん、元が高すぎるんだなこの二人。
「出来ない問題ですか」
あたしと恵人は一瞬、顔を見合わせ、それから確認する様に頷きあった。
「全部……だよな」「うん。全ページ全問だね」
「うおわちゃあ!」
「はっ?ええっ、あ全b……!痛ったぁ、ひたかんは」
何語だよ二人共。円香さんのは悲鳴か?角香さんのは……ひた……あぁ、[舌噛んだ]か。
「全部じゃ悪いんですか」
淡々とした恵人の声に、二人は顔を見合わせた。
「ううん、別に悪い訳じゃないんだけどぉ~」
「ちょっと、びっくりしたっていうかぁ~」
言いながら、円香さんはあたしの、角香さんは恵人の、それぞれ前から問題集を取った。
「あ~ぁ、なるほどねぇ」
「方程式かぁ。面倒なんだよねぇ、分かる分かる」
そんな弱音を吐きながらも、問題を解き進める二人の手は止まらない。
する事が無くなったあたしと恵人は、黙って二人の手元を見ていた。
「この二人ってさ、案外頭良かったりすんのな」
「そうだよ。大学生だもん、それに、学内でもトップの方に近いらしいしね」
「人は見掛けによらず」
「……それ、もし聞こえてたら恵人殺されるよ」
「先に言えよ」
二人の爪は、長く鋭い。マニキュアを塗り、その為に伸ばしている筈なのだが、実際武器としても大いに役立つのがこの爪だったりする。
この間、近所のコンビニに二人と行った時、偶然そこでコンビニ強盗が起こった。突然店に入って来たかと思うとナイフを突きつけて店員を脅す強盗。しかし、それを恐れる事も無く二人は背後から強盗に近付き、見事討伐を成し遂げたのだった。
「討伐?倒しちまったのか?」
あたしの話を静かに聞いていた恵人が首を傾げる。あたしは右手をひらひらと振り、それに応じた。
「殺してはないけどね。……円香さんの爪が強盗の首に伸びる!気配に気づき、振り返る強盗!しかし、避ける事が出来ない!頸動脈を逸れた長い爪は首の横に引っ掻き傷を付ける!滲み出る血!慌てる強盗を角香さんは見逃さず、今度は直接首を掴む!強盗の首がたてる不吉な音!そしてそして、強盗はその場にくずおれたのだったあ!」
「何の語りだ。つーかどうした。俺にはその二人とやらが乗り移ったようにしか見えねーが」
「……と、ご本人様が語っておりました」
「返答無しかよ」
そう呟いて、恵人は表情を変えないまま鼻を鳴らした。