一致から集う
初めは、そのままでいるように思えた。二人はまだ寝ていて、レイムが家事かなんかをやっていると、そう思えた。
だから、あたしは何の疑いも抱かず、ただ誰にも見付からないようにして風呂場に行き、血を全て洗い流した。
そして、元いた部屋に戻る。
すると。
健司と恵人が目覚めていた。
ていうか、健司が居ない。どうやら帰った様だった。
そして、それだけじゃない。
レイムも、麗羅も、良輔も、更に優人までもが。
皆、そこに揃っていたのだった。
「遅ぇよ、夏音」
「恵人?ていうか何で皆、ここに?」
答えたのは良輔だった。手に持った紙をひらひらと振っている。
「ほんの偶然なんだが、どうやら皆揃って報告があるみたいだ。どうやら相当、マズい事になってる、みたいだぜ」
うん、それはこの身を持って既に体験済みだ。
しかしそれは、敢えて口に出さなかった。その代わりに肩を竦め、黙って恵人と麗羅の間に座る。
数分の時が過ぎた後、初めに口を開いたのはどうやら司会になっているらしい、良輔だった。
「このままじゃらちがあかないんで……まず、オレからいくぜ。この紙なんだが、ほら、この前図書館で見付けたって言ったろ。伝説についてのさ。その部分だけをコピーして来た」
机の上に、さっき良輔が振っていた紙が置かれる。枚数は二枚だった。
「狼についてのは、二つあったんだ。一つは、多分黄金の狼についてで間違いない。で、もう一つなんだが……。まあいいや。まず、一枚目からいくぜ」
紙には、あたかも古そうな感じで、真ん中で遠吠えをしている犬の様な動物の周りを人間が取り囲んでいる絵があった。
「これは、都市伝説というよりも預言の書なんだ。いや、注意事項とでも言った方が正確かな。この絵と、それにその文章。この辺りの人が書いた物だったから、一応持って来たんだが……。よしじゃあ、読むぜ。この絵についてはこの予言が伴っていた……≪人が孤独の頂点に晒される時、その魂は死神となり、その身体は獰猛な獣となって、荒れ狂うであろう。獣と共に魔女は蘇る、世界を混沌の淵から追い落とす為に、魔女は動き出すであろう≫……と、ね。この獣っていうのは、絵からも分かる様に、狼で間違いないらしい」
と、麗羅が手を挙げた。当てられて、立ち上がる。
「あのぉ、ちょっと疑問なんだけど。もし黄金の狼がそうだとしたら、だけどさ、別に、荒れ狂っている程じゃないと思うんだけど……どっちかと言えば、呪い専門って感じじゃないかなぁ?」
「まあ、それはそうだが……そこは、まあ都合良く、てことで」
いや、それは駄目だろ。都合よくで済ませてたら、結論が変わる場合だってあるんだから。
しかしまあ、今は取り敢えずそれで良いとしておくか。
「じゃあさ、その黄金の狼は、もと人間だって事?そんなの、余計に有り得ないじゃ」
「そこで、俺から一つ、報告があるんです」あたしの言葉を遮って、優人が言った。「調べていた、直人の事なんですが」
それを聞いて、今まで身じろぎ一つしなかった恵人の肩が僅かに跳ねた。それを優人は見逃さず、横目でちらりと窺う。恵人は優人を睨み返し、座り直して見せた。
「何だよ。俺の事を心配してるみてーな面しやがって。それとも何だ、もしかして直人が黄金の狼だとかいう、そんな馬鹿らしいオチでも披露するつもりじゃねーだろうな」
「それは後ほど」
誤魔化すな、と恵人は鼻を鳴らし、しかし、黙り込んだ。優人はそれを確認し、再びあたし達の方に向かって口を開く。
「直人は、俺にも恵人にも、何も言いませんでした。けれど調べていたら、彼……かなり酷いいじめを受けていたようなんです。詳しく何をされたか、俺にはとても言えませんけど。学校に行かなかった原因は、それだったんです」
「……あいつ、馬鹿じゃねーのか」
恵人は溜息を吐いたが、そこにはどこか心配そうな響きが僅かにこもっていた。
「恵人。直人はあなたと、何か積極的に関わろうとしていましたか?」
「いや。むしろ、避けてるようにも思えたな。怯えてるっつうか」
「人を信じられなくなってしまっていたんですよ。そこまで追い詰められれば、それはもう単なる孤独とは言い切れません」優人の手がポケットに伸び、その手は四角錐を掴んで机上に乗った。「これを見て下さい。そうすれば言うまでも無く分かるでしょうが、これの斜辺には上と下があります。しかし、これの頂点には下しかないんです。それは、言い換えるとつまりこういう事になります。孤独という名のピラミッドに立っている時、斜辺にいる内は、まだ孤独になれる。なりたくもありませんが、つまり、上には上があるって事です。そして、頂点に来てしまったら……もう、それ以上の孤独はありません。真の孤独、しかもそれには、耐え難い苦しみと寂しさが伴うんです。それも、尋常じゃ無く……まるで、心が、身体が疼き、叫び、猛り狂ってしまう程の。そして押さえ切れなくなったそれは自分を窮地に追いやった、人という種族全てを見境なく恨み、呪い、怨恨するんですよ」
黄金の狼が、孤独の頂点が、それが。
優人の言い方だと、まるでそれが直人だと。
消えた直人だと言っているように聞こえる。
「そして、もう一つ。俺が青を、恵人が緑を基調としているように、直人もまた、基調とする色を持っていました。それが黄色なんです」
「黄金じゃないんだね」
「黄色に染めた髪は、大抵金髪と言われますよ」
そりゃ確かに。
―と。
恵人が壁に凭れて腕を組み、優人の顔をいつになく無感情な瞳で見詰めている。優人は正座をしたまま手にした四角錐を握りしめ、酷く悲しそうに、まるで心から絶望しているかの様に、恵人を見返した。恵人はそれを受け、首を傾ける。
その眼に宿っているのは感情ではなかった。近寄る物を全て破壊し尽くしてしまう様な、明らかにそれと分かる凶悪な光を浮かべていた。
「優人、おまえどんな眼ぇしてんだよ。何?直人がもう死んじまったとでもいうつもりなのかよ。なあおい、違うだろ。俺が言うなっつってた事をさ、いとも簡単に言いやがって。正体が分かって、それで良いじゃねーか。少なくとも、直人は死んでねーって事じゃねーかよ。なら、まだ見込みはあるだろ」
「元に戻るという確証は一片たりともありませんよ」
「確証なんて必要ねーだろーがよ」
「それでやってみて出来なかったら」
「ぁあ?じゃあ何だよ。おまえは確証とかいうもんがなければ動かねーってか」
「そうは言っていないでしょう。確証が無ければ、人は誰しも少なからず不安になる物です。そうなれば、成功する物も成功しません」
「確率って奴か?そんな甘ったれた事言ってる場合かよ。それで動かなくて、手遅れになっちまったら元も子もねーんだ。そうなりゃこの際家族も兄弟も仲間も関係ねーぞ。俺が情けも容赦も無く、おまえの腐ったその胸に大穴をあけてやる」
恵人はもとより、いまや優人の眼にも、それと同種の光が備わっていた。あらゆる物を射抜く、光というよりはもはや光線。火花が散る様な睨み合いがその場に起こる。そんな二人に怯えでもしたのか、良輔が一目にはそれと分からないような僅かな動きで後ずさった。麗羅もその後ろに隠れるようにし、レイムがその横に移動する。
あたしは動かなかった。というより、動けなかった。二人の様子に、心を奪われたとまでは言わないが、怖いとは感じなかった。自分ではよく分からなかったが、むしろ憧れの様な物さえ感じていた気もする。
そんなあたしの視線に気付いたのか否か、今まで優人を見詰めていた眼から光が消え、視線があたしの方に移った。それから、壁際に固まっている良輔達の方も見る。
「……ああ」
呟いて、恵人は溜息を吐いた。優人はというと、握っていた四角錐をポケットに戻し、既に何事も無かったかの様にすましている。恵人はそんな優人を一瞥し、もう一度、大きく息を吐いた。
「悪かったな。みっともない兄弟喧嘩なんて見せちまって。……良輔」
「……はいっ!?」全身をびくり、と躍動させ、怯えた声を出す良輔。数秒して、どうやら落ち着きを取り戻したようだった。「……あー、うん。何だ?」
「何だって、確かおまえの持って来た話は二つあったんだろ。もう一つがまだじゃねーか」
それを聞いて思い出したのだろう。そそくさと元の位置に戻って来て、さっきとは違う紙を机上に置く良輔なのだった。
「さて、と。これは、緑樹帝について書かれた奴だ。要約するとだな……どうやらこの木にはかなり前から、妖怪だの何だのに力を与える性質があるらしい。古くからこの辺りに住む妖怪を呼び出す、あるいは元の姿に戻す、そういう力がある、と。けど、何もかもが可能な訳じゃ無くて、動物の姿をしている物……代表的なのは、妖狐、白蛇、そして、灰色狼」
それを聞いたあたしの脳内に、瞬間的に何かが浮かぶ。しかし、そのイメージを明確に掴む前に、ふっとそれは掻き消えてしまった。
「そこで、俺の話が合わさって来る訳だ」と、恵人。「あのな、最近ここらで、狂犬病の患者が増えてんだよ。街中を普通にうろついてんのもそうなんだが、どうやらその本人達は何らかの意図を持って行動しているらしい。具体的に言えば、何かを狙っているとでも言うのか。……奴ら、他の奴らには眉一つ動かさないくせに、俺を見た瞬間、襲ってきやがった。上手く逃げたが、何だったんだろうな」
あたしと同じだ。恵人もまた、あたしと同じ様に襲われたんだ。あたしが襲われた事を言おうかどうか迷ったが、話の途中である事もそうだし、今は言わないでおく事にした。それと、出逢った不死鳥の事も。
「それでな」と、今度は再び良輔がそれを引き付いだ。「それとこれとで何か引っ掛かったんで、灰色狼についても、調べてみたんだよ。そしたらだ。……ビンゴだよ。奴、噛み付いた相手を狂犬病にしてしまい、自分の使い手とする能力を持ってる」
そうか、そういう事か。なら、恵人が言った様に、この地域一帯に溢れている狂犬病の人達というのは、その明らかな異常発生から、人為的、いや意図的に作り出された事になる。
「て事は、だよ」良輔が、今まさにあたしの考えていた事を口に出した。「灰色狼が、今ここにいるって事だ。しかも、相手はただの狼じゃない。だから、緑樹帝の力が及ぶ範囲、つまり玄妖岳から出ている間は、必然的に人間の姿になっているんだ。そうなると、見つけるのはほぼ不可能だ。共通した特徴を持つ人を探さなければいけない。これが、どれだけ大変か……。でもな、オレ達は探さなきゃいけない」
「何でだよ」口を尖らせたのは恵人だった。「灰色狼は灰色狼だろ。俺達とは関係ない」
「あいつなら、ほぼ間違いなく、黄金の狼と繋がりがあるぞ。仮に、あいつの目的がお前だったとして、お前はかなり前からここに居た訳だろ?けど、あいつが動き出したのは丁度、オレ達が黄金の狼と直人との繋がりに気付き始めた頃だ。あいつきっと、それを止めようとしてるんじゃないか?……まぁ、あくまで予想だけどな」
恵人は納得した様子で、ただ黙って肩を竦めた。
「でも、それはちょっと違うかもよ」
そう言ったのは麗羅だった。全員が一斉に、麗羅へと視線を送る。
「恵人君、覚えてないの?最初に狙われたのは私で、それを庇ってくれた恵人君が、襲われたんじゃない。けど、その時一緒に良輔君も居たでしょ?でも、良輔君は襲われないどころか、気にもされてなかったんじゃないかなぁ?ね、良輔君、そうでしょ?」
「確かに、そう言われればそうだな。オレ、二人の事をただ見てたもん」
「あんた最悪だな!!」
……あ。思わず叫んでしまった。
いやでも、助けるかなんかしろや。さすがにさ。
「だって、勝てる気しないし」
「あのなぁ!」
「はいはい、そこまで。話を戻せ」
……うん。こういう時、恵人は便利だ。
「それはとにかくとして、問題は、その灰色狼をどうするかだろ。どうすんだ」
「オレに訊くなよ」
「何だ、役に立たねー奴」
それは恵人、おまえもだ。
沈黙がその場を支配する。どう足掻いても、今はこれ以上、先には進めない様だった。
『じゃあ、きょうはここまでにしませんか?みなさんきづいていないようですけれど、もうゆうがたですよ』
そう、レイムが言った。
ああ、確かにそうだ。振り向いた窓の外には、紅く燃える夕日。
部屋を横切った反対側の窓には、そびえる玄妖岳の背後から白銀の光を投げかける月があった。
「……もうすぐ、満月だ」
誰が言ったのだろう。
誰かが言った。
あたしだったのかもしれない。
とにかく、誰かがその言葉を口にした。
そしてその言葉に、
不吉な響きを、感じた。




