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ふたりで癒しの花園を


「絵の具を持ってきてっていうから、持ってきたけど」

 テオドールが入ってきたとき、リアネは窓辺に立っていた。ふりかえると、開いたドアから見える廊下の床に、大斧が刺さっているのが見えた。セロが研究室の扉を破ろうと構えていた、あの大斧のような気がする。まさか王妃様に向かって振りおろしたのだろうか……

「リアネ、寝てないとだめだよ」

「ずっとここに立ってるわけじゃないですよ。たまにです」

「なんでそんなところに立つ必要があるの」

「ふふふ……外の兵士がおびえるからです」

 ここに悪魔の病の人がいますよとアピールすれば、兵士が踏みこんでこないからだ。

「……元気が出てきたみたいでよかったけど、絵はまだ描かないで」

 テオドールはわざと絵具箱を寝台から遠い位置に置いた。おなじ場所に、若草色の画帳も置いてある。

「こっち持ってきてくださいよー。描くのは絵じゃないです。五分で済みます」

「なにを描くんだ」

「これ」

 リアネは自分の手に浮いた、赤黒い発疹を指さした。テオドールはわけがわからないといった顔をしている。リアネはそんな彼を手招きした。

「テオドール様の顔にこの発疹を描きます」

「は?」

「そうすれば、捕まらないじゃないですか。こわがられて。わたし、テオドール様は絶対絶対逃げ延びてほしいんです」

「リアネ、僕は……」

「座ってください」

 彼はなにかいいたげだったが、リアネと並んで素直に寝台に座った。

 リアネはパレットを広げた。なじみのある絵の具のにおい。赤と黒を混ぜて、いたちの毛の筆に含ませる。王子様の白い綺麗な頬に、ちょんちょんと筆先を置く。テオドールはリアネに顔をまかせて瞳を閉じた。うっすらと血管の浮いた、なめらかな瞼。

(ちゅっ、ってしたくなっちゃうなあ)

 とか考えた途端、リアネは筆を取り落とした。動悸がする。ものすごく。

「ほら。やっぱりまだおとなしく寝てなきゃだめだよ」

 パレットを取り上げられ、首の後ろを支えられてそのまま寝台に横たえられた。テオドールの触れている部分が熱い。発熱のせいだけではない気がする。彼の顔を見ていられなくなって目を閉じると、彼はいつものように額をやさしくなでてくれた。

「君の気持ちはすごくうれしいけど……僕は、この先どうなるかわからない。反乱軍は逃げても追ってくるよ」

「まだ黄金王が負けるって決まったわけじゃないでしょう?」

「王は負ける。正規軍なんて、もうほとんど反乱軍に吸収されたそうだよ。王族は皆殺しかな……わからないね。でも僕の場合、殺されるより始末が悪そうだ」

「どういうことですか」

「ゼルダス将軍はクーデターに成功しても、王制までやめるのはまだ早いと判断してる。民の多くは、王の血というのは特別だと思ってるから……。だから、新しい王に、旧王家の血を引っ張り出す気でいるらしい。旧王家は世継ぎが絶えて現王家にとって代わられたけど、隣国に嫁いだ姫の子孫が残ってた。僕の母は旧王家の血を引いていた。黄金王が母に興味を持ったのもその血筋のせいだし、王妃様が母を妬んだのもその血筋のせいだ」

「え……」

「僕はゼルダス将軍には殺されない。でも反乱軍の中には、もう王制を望まない声だってある。旧王家の血を引いていても、黄金王の子供であることにだって大いに問題がある。僕が新しい火種になる可能性は高い。そうなる前に死のうと……」

「だめっ!」

 今度こそリアネは飛び起きた。

「だめです! だってテオドール様は……」

「薬なら、僕でなくともつくれるよ。配合の研究記録は残してあるし、薬草の記録だってリアネが手伝ってくれて……」

「ちがいます! そうじゃない!」

「そうじゃないって……」

「テオドール様はわたしの愛する人だからです! だから死んじゃいやなんです!」

 ほっぺたに赤黒い絵の具をつけて、テオドールはぽかんとまぬけな顔になった。なにを言われたのかまるで理解できていないらしい。

 言ったらいけないことを、つい勢いで言ってしまった。しかもおそろしく醜い顔なのに。

 リアネはこのまま死にたくなった。熱もまたあがったようで、もうなにも考えられなくなった。あとはただただ、上掛けを引っかぶってわんわん泣いた。



 リアネが泣き疲れて眠ったあと、テオドールはよろよろした足取りで部屋から出た。斧が突き刺さった場所に、待ち構えるようにセロが立っていた。

「どうしよう……セロ。死ぬ気がなくなった」

「その言葉を待っていました」

 過激な従者はにやりと笑った。

「リアネと一緒になんとかして逃げたい」

「その方法をずっと考えていたのですが、あの色香の褪せたクソババアの言葉から少々ヒントを得ました」

「……おまえちょっとは態度と言葉を慎めよ」

「私ほどの器で慎みの美徳まであったら、負け組王子の従者になんかなってません。それはそうと、できれば技術のあるリアネにも手伝ってもらいたいのですが――おや?」

 セロは主人の頬についた絵の具に目をとめた。

「あなたの愛しの乙女も、私とおなじことを考えたようですね」



 勢いでテオドールに愛をうちあけてしまった翌日、だいぶ動けるようになったリアネはゾエのいる部屋へ行くように言われた。看病のためだと思っていたのに、ドア越しにセロから頼まれたのは意外なことだった。

「あなたとゾエの発疹を何枚か描写してください。写実的にね」

 言われるままに、発疹の絵を描いている。なんとなーく、セロの考えが読めたのだ。

「あんたも……きもちわるい顔に……なっちゃって」

「ゾエ、苦しかったらしゃべんないでいいよ」

「治るんだよねえ……これ」

「きれいに治るって言ってたよ。実際治った人が」

「ああ……あんたの王子様が」

「あっ、あっ、あんたのってなに!」

「さっき……薬持ってきてくれたとき……リアネはあなたのせいでもどったんだからって言ってやったら……『リアネを一生守る』って言ったもーん……」

(そそそそんなことを! テオドール様)

 どきどきして、しっかり持たないとまた筆を落としそうだ。

「あんたは王子のせいでもどって……あたしはあんたのせいでもどったけど……おかげで病気、助かるんだから……まあいっか……」

「それはそうだけど……ご、ごめんね、あのときは」

「……ゆるさなーい。おしおき計画中……。あとで言う。……苦しいから寝る」

 ゾエは目を閉じ、やがてすうすう寝息をたてはじめた。

 実はあのとき――上掛けをかぶってわんわん泣いていたとき――テオドールは上掛けの上からリアネの背中に手をおいて、言ってくれたのだ。

 僕も君を愛してると。ずっと前から好きだったと。

 うれしくて、うれしくて、うれしくて。

 うれし泣きをしているうちに、寝入ってしまった。彼の手の感触をかんじながら。

 彼を助けたい。一緒にこの囚われの場を出たい。この先ずっと、一緒に生きていきたい。

 まだだるい腕。でも、この腕で彼を守れるのなら。

 守りたい。

 彼がわたしを助けてくれたように、わたしもわたしの力で彼を助けたい。



          ***



 ゾンビ軍団。悪魔の行進。地獄の道行。

 王宮からの大脱出は、そんなおどろおどろしい言葉で国中に伝えられた。

 あの怖気の立つ大行進を思い出すたび、王宮に囚われたほぼ全員に発疹が描かれるとは思わなかったと、リアネはなんだか痛快な気分になる。リアネが描き起こした発疹の原画は、恋人の官僚とともに王宮に留まっていたエステル師匠の手によって、高貴な人々の顔や手に描き写されることとなった。モデルの特徴はそのままに、さらに美しくあでやかに描くことに秀でたお師匠様は、発疹の特徴はそのままに、さらにおぞましく気味悪く描くことにも天才的な腕の冴えを見せた。あの豪華なアトリエで、貴婦人の顔をキャンバスに、いつもの気取った調子で筆を動かすエステル師匠。想像すると素敵だ。

 反乱軍の兵士たちはおびえきって、城館から大挙して出てきた悪魔の病の患者たちに手を出すことができなかった。上官が「捕えろ!」と叫んでも、兵士たちは散り散りになって逃げてしまった。そのどさくさにまぎれて、なんとか走れるくらいまで体力が回復したリアネたちも脱出したのである。ほかの人に感染させるとまずいので、主流からはなれて出てきたためにすこし目立ってしまったけれど、こっちは絵の具ではなく迫力の本物である。目まで血走っている少女ふたりと、同行の発疹青年ふたりに縄をかける者はいなかった。

 あの悪魔の大行進は、カランジェラ宮最後の祭りだった。

 不気味な発疹で顔を彩った人々には、苦しそうな演技をしながらも、どこかやぶれかぶれな明るさがあったとリアネは思う。

 悪魔の行進の中に、王と王妃はいなかった。

 黄金王とその正妃は、発疹を描かれることなく、宮殿に残ったのである。

「余がここに残って反乱軍の気を引けば、皆が逃げやすいであろう? 余は最初で最後の女であるマリアンジェさえいればよいから、皆の者遠慮せずに逃げればよい」王はそう言って、王妃に笑顔を向けたそうだ。さめざめと泣く王妃に「最初と最後の間にいろいろあったことは……ふたりきりになってからいくらでもあやまるから」と小声で言って。

 黄金王はたくさんの罪を犯したけれど、民が王を憎みきれないのは、最後のときまでしめっぽくならない、彼の底抜けの明るさのためだろう。そんな王様に王妃様は恋い焦がれ続けたのだ。別れのとき、王妃様はしあわせそうだったとテオドールは言った。母君の仇である王妃をそんないたわりの目で見ることのできる王子に、リアネは心うたれた。



 時は経ち。

 王と王妃は処刑され。

 王制廃止の声に押し切られ、ゼルダス将軍は周辺のどこの国も成功していない、民主政治に踏み切った。

 王族はもういらない。テオドールは「王子様」ではなくなった。ゾエの提案した「おしおき」を受け、ゾエの故郷で薬師をやらされている。ゾエの故郷はど田舎で、医師も薬師もいないから、「おしおき」は当分……もしかしたら一生続くねと、リアネとふたりで笑い合っている。村長さんが薬草畑にしろと土地までくれたから、もう逃げられない雰囲気だ。

 セロは出世に血統が関係なくなった世の中に、意気揚々と乗り込んでいった。

「セロの度胸と才覚があれば、きっとのし上がれますね」

「口と態度を慎めばなあ」

「心配なんですか? テオドール様」

「様はいらないってば」

「テ……テオドール」

 リアネはテオドールにそっと手を引かれ、並んで草の上に腰を降ろした。

 ふたりの頬を、そよ風がなでる。

 目の前の野原がやがて癒しの植物でいっぱいになったら。

 若草色の画帳の、続きを描こう。




                            <おわり>







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