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若草色の画帳


 朦朧とした記憶の中で、リアネはテオドールの言葉を思い出していた。

 これはコルフィッツク。本来なら熱帯にしか自生しない植物なんだけど――

 彼はいつも、朴訥とした調子で薬草の説明をしてくれた。サロンで恋の即興詩を披露するほうが似合いそうな顔立ちなのに、話すことは薬草と薬品のことばかりだ。その隔たりがおかしくて、おとなしげな話し方もかわいらしくて、リアネはすぐに彼のファンになった。

「乾燥コルフィッツクとサクフリッジの煎じ薬だよ」

 夢なのか現実なのか、過去なのか現在なのかわからないぼんやりした意識の中で、テオドールの声がきこえた。敷布と首の間に腕がさしこまれ、身体を起こされる。うっすらと目を開けたけれど、視界は霧がかかったようにかすんでいた。

「すこし苦いけど」

 口元に冷たい感触。あてがわれた小皿に入った液体を飲み下す。

「す……」

 すこしどころじゃないですよ、テオドール様。そう言いたかったのに、口がうまくまわらなくて言葉にならない。どうしちゃったんだろうわたしと思っている間に、ふたたび寝床に横たえられた。

「……ごめん、リアネ。前を開けるよ」

 前を開けるってなんですか? やはり質問は声にならない。けれど、胸が解放され空気にさらされる感覚に、ドレスはおろかシュミーズの前紐までが解かれたのだとわかった。

(ええっ? なにするんですかテオドール様やめてそんなのテオドール様じゃないうそうそいやいやこんなのってあんまりです――――)

「リアネ……。絶対助けるから……」

 リアネの身体を確認した彼の声は、ふるえていた。下着の前紐は元にもどされ、上掛けの感触が顎を覆う。

(そうだ、わたし、病気だった。おかしな想像してごめんなさい。それにしても、なぜテオドール様がわたしなんぞの看病を? さっきの薬は熱さましですか? もったいない、熱なんて寝てれば治りますよ……)

「テォド……」

「無理してしゃべらないで。眠って。大丈夫、君を守るから。安心して眠って」

 テオドールの手がリアネの額をそっとなでる。幼いころ父母がしてくれたのとおなじ、いたわるようなやさしい手。リアネは胸がつまる思いだった。父母は流行り病で死んでしまった。以来リアネは、熱を出したらひとりぼっちで寝て治す。誰も薬なんか飲ませてくれないし、上掛けを直してもくれないし、額をやさしくなでて励ましてもくれない。

「テオ……ルさま……」

 リアネが伸ばした手を、テオドールはそっと握った。ああそういえば、人の体温のあたたかさを、両親を亡くしてから長いことじっくり感じてなかったなあ――リアネはそんなことを考えながら、眠りとともに過去の思い出に落ちていった。




 リアネが王宮に来てまだ間もないころ、薬草園でテオドールという名の少年に出会った。その少年が第十王子テオドールだと知るまで、おどろくことにひと月もかかった。

 当代の王は若いころから色好みで、正妃と公にされている妾妃のほかにも、愛人は数知れず。子供も多く、正妃との間だけでも四人も王子がいるので、それ以外の妾腹の王子はたいした敬意も払われず名前もさほど知られていない。妾腹でも野心ある王子は宮廷で存在感を示すことに意欲を燃やすが、その気のないテオドールはほぼ忘れられたような存在だった。

 だからまあ、王子ときいてびっくりもしたけれど、今さらかしこまる必要もない気がして、リアネはその後もずっと最初に会ったときと同じ態度でテオドールに接していた。それで怒られたことはないし、逆になぜかテオドールのほうがかしこまっている感じがあった。

 リアネが薬草園へスケッチしに行くと、薬草の手入れをしているテオドールが妙にぎくしゃくした様子になる。きっと迷惑なのだと思い、リアネはしばらく薬草園に行かなかったことがある。そうしたら、城館で偶然会ったテオドールが「い、今の季節は大ぶりの花がよく咲く。バイバビューグとかジプシルワルドとかポンデヴィートとか」と、早口で言ってすたすた廊下を去っていった。リアネはしばらくぽかんと白衣の王子を見送っていたが、今のは「薬草園に来てもいい」ということだと理解した。

 リアネはさっそくバイバなんとかだとかジプシなんとかだとかをスケッチしに行った。テオドールの言うとおり、夏の薬草園は大ぶりの花がいくつも咲いていて、いつもより華やかだった。エステル師匠の次の顧客は「わたくしを花の精の女王に見立ててほしいの」と言っていたので、弟子は花の描写に総動員されるだろう。スケッチにも気合が入る。

 リアネが夢中でバイバなんとかを描いていると、いつの間にか背後にテオドールが立っていた。彼は呆けたようにリアネの描く植物を見つめていた。

「どうしてそんなに正確に描けるの」

 「上手に」ではなく「正確に」って表現がテオドール様らしいなあ……と、リアネはおかしくなった。彼は美しさには興味がないのだ。

「僕が描くと、バイバビューグも薔薇とおなじ丸めた紙屑になってしまう」

「あはは。テオドール様にとって、薔薇は丸めた紙屑なんですか?」

「薔薇はたいした薬にならないし。……リアネ、君が描いたここの植物のスケッチ、必要がなくなったら譲ってくれないか?」

「だめですよ」

「そ、そうか……」

「『正確』じゃないですから。わたしのスケッチは、美的に変形してあります。葉のつき方とか、本物とちがうんです。テオドール様がお入用なのでしたら、『正確』に描き直します」

「えっ」

「宮廷画家は顧客の要望どおりに描かなきゃいけないって、エステル師匠がおっしゃるんです。テオドール様がお望みなのは『正確な』絵でしょう? 今までのスケッチなんかだめです」

 リアネは若草色の画帳を新しく用意した。これに描きためていくのは『薬草の正確な絵』だ。画帳が絵で埋まったら、テオドールに渡す。

 若草色の分厚い画帳は、もうすぐいっぱいになる。



 テオドールの母君は、彼が九歳のとき病気で亡くなったのだと従者のセロからきいた。

 母君は隣国の没落貴族の末裔だったそうだ。他国の侘しい田舎住まいの娘と「黄金王」と称えられる派手好きの国王がどこでどう知りあったのか謎だが、天涯孤独だった彼女はカランジェラ宮に入ることを承諾した。黒髪に透けるような白い肌の、清楚な女性だったという。王は彼女を愛した。公にはしなかったが、小さな離宮を与えて特別扱いをした。王の愛人たちは王の寵愛を競って、張り合い牽制しあい足を引っ張り合い毎日大騒ぎだったが、彼女はそんな中には入らず、幼い息子とともに離宮でひっそり暮らしていたという。

 彼女の死後、住まいだった離宮は壊され、薬草園になった。

 どうしてわざわざ離宮を壊す必要があったんですかとセロにたずねたら、母君の死因がおそろしい伝染病だったため、後に入居を希望する者がいなかったからだそうだ。彼女はほとんど離宮から出ることがなかったので、感染者は九歳の息子ひとりだった。

「母君には薬草の知識がありました。未知の奇病でしたが、自分を実験台に庭の薬草を試し、遅れて発症した息子のために的確な指示を残したのでしょう。薬の配合が母君の遺言だったのです。彼が薬草研究に没頭する理由が、なんとなくわかるでしょう」

 セロの言葉に、リアネは胸を突かれた。

 さみしげに薬草園にたたずむテオドールの姿に、涙が出そうになった。新しい若草色の画帳を抱きしめ、彼に協力できることならなんでもしようと思った。

「それにしても、なぜほとんど離宮を出なかった母君が、南国由来の伝染病など患ったのでしょうかね?」




 あのときのセロの疑問を思い出したとき、リアネは長い眠りから目を覚ました。

 なんだか外が騒がしい。視界がまっくらで、目が見えなくなったのかと思ったけれど、騒ぎの方向に顔を向けると窓から月が見えた。どうやら夜らしい。

 庭がうるさい……。リアネは急に現実を思い出した。

(そうだった! 反乱軍!)

 気持ちだけは急くが、身体がいうことをきかない。寝台からおりて窓に駆け寄ることはおろか、上半身を起こすことすらやっとだった。ひどく汗をかいたらしく、服がぐっしょりと濡れている。気持ちが悪かったが、それどころではない。

 ――外からきこえてくる大人数の怒声。

「黄金王よ、おまえの世は終わった!」

「終わった!」

「逃げ道はない。観念せよ!」

「観念せよ!」

 揃って足を踏みならす音がきこえ、地鳴りのようなその音に、宮殿の外に集結している兵の多さがわかる。リアネはふるえながら、寝台の周囲を見まわした。暗闇でなにも見えなかったが、部屋にリアネ以外に誰かがいる気配はない。

「テオドォ……さま」

 声がひどくかすれている。息を深く吸うこともできなかったけれど、リアネはできるかぎりの大声で叫んだ。

「テオドール様ぁ、逃げて」

 ドアが勢いよく開く。蝋燭の小さな明かりが、呼びかけた王子の顔を照らしていた。

「リアネ!」

「テオドール様、逃げて。逃げてください……。おねがい」

「病気の君を置いて逃げられない」

「わたしはだいじょうぶです……。王族でも貴族でもないもの」

「大丈夫じゃない。君は病気だ。だいぶ汗をかいたね。薬がよく効いてる。苦いけど、もうちょっとがんばって。着替えをしなくちゃ……。僕で悪いけど、見ないから。ごめん」

 テオドールの手が、リアネの木綿のドレスを脱がしてゆく。羞恥を感じる暇もなく、リアネは懇願し続けた。

「テオドール様は死んだらだめな人です……」

「……」

「テオドール様みたいな人がいたら、父も母も死ななかったかも……」

「リアネ」

「お薬つくってください……」

「つくってきたよ。着替えたら飲んで」

「みんなにも、つくってください……」

「……」

「病気の人、みんなに」

「……うん」

「つくってくれますか」

「……うん」

「ありがとう」

 言いたいことは言ったので、もう黙るつもりだった。しゃべり過ぎて、とても疲れた。だから、着替えの途中で肌もあらわなところに抱きついてきた王子様を、ひっぱたくことも蹴りとばすこともできなかった。今度こそリアネはあわてた。なに考えてるんだこの人!

 けれど、今度もまた、見当違いな怒りはすぐにしぼんだ。

 王子様はリアネを抱いて、声を殺して泣いていた。

 出会ったときより広くなった肩を小刻みにふるわせて。

 そしてまた、おなじことを言った。

「絶対助けるから。リアネ」

 そして乾いた夜着をリアネに着せかけると、横に座ってリアネの上半身を支え直し、小皿を唇にあてがった。リアネは素直に薬を飲み下し、水も飲んだ。寄りかかっているテオドールの身体は大きくて頼りがいがあって、肩を抱く手もあたたかくてやさしくて、ゆっくりゆっくり水を飲ませてもらいながら、なんだか自分も泣きたくなった。

 暗い部屋。蝋燭の小さな明かり。窓から月が見ている。

 病気で身体がつらいのに、胸の中に今まで感じたことのない甘いざわめきが広がった。

 庭から恐ろしい声がするのに、ずっとずっとこうしていたいような、しあわせな気持ちが満ちてくる。

 寝台に横になったリアネの額を、テオドール様はまたなでてくれた。

 この甘くてしあわせな気持ちの名前を、リアネは知っている。はじめて感じる気持ちだけれど、知っている。こらえきれなくなって、リアネの瞳からついに涙が流れた。暗いから気づかれないと思ったのに、彼は静かにこうきいた。

「つらいの?」

 リアネはちいさくうなずいた。

「眠って」

 言葉に従い濡れた瞳を閉じる。

 つらいのは、身体だけじゃない。

 どうして彼は「王子様」なんだろう。



 しばらくして、テオドールは部屋を出て行った。うとうとと眠りに誘われながら、リアネは彼とおなじ言葉で決心した。「絶対助けますから。テオドール様」

(あっ、画帳! どこいったんだろう?)

 リアネは今の自分にとっては「飛び起きる」ほどの勢いで、のろのろ身体を起こした。必死の思いで寝台を這い出る。文字通り這うようにドアに近寄り、ドアノブを回す。

 回らない。ドアが開かない。

(鍵? どうして)

 力のない拳でドアをどんと叩く。足音が近づいてきて、ドアの外で止まった。

「テオドール様、わたし画帳を……」

「彼は今、別の病人の部屋ですよ」

 ドア越しにきこえてきたのはセロの声だった。

「別の病人?」

「あなたとおなじ病で倒れたメイドがいて」

「おなじ病? わたし、なんの病気ですか?」

 答えはなかったが、嫌な予感がした。

「セロさん……ここ開けて」

「開けることはできません」

「セロさん、わたし……伝染病ですか?」

「教える許可は得ていません」

「……じゃあ別のことを教えて。病気のメイドの名前を」

「ゾエと名乗りましたね」

 リアネの顔から血の気が引いた。ゾエ! 確かに彼女は自分に触れた。

「やっぱり伝染病なんですね。ああ、ゾエ……。ゾエが……。テオドール様だってあぶないです。さっき彼はわたしを……」

 抱きしめた。

「テオドール様は大丈夫です」

「どうしてわかるの」

「答えることはできません。身体に障ります。寝台にもどって」

「ゾエは助かるの?」

「まず自分を治すことを考えなさい」

「教えて……ゾエは助かるの?」

「……。許可は得ていませんが、ひとつ教えてあげましょう。この病気は一度かかった者は二度とかからない。ゾエを助けたかったら、まずあなたが治って看病に参加してください。この状況だと、テオドール様が反乱軍にいつどうされるかわかりませんからね」



 良薬口に苦し。病は気から。

 優秀な薬師が調合した薬のおかげか、はたまた「治ってやる!」という気合のおかげか、翌朝目覚めたリアネの身体は、前日より格段に軽くなっていた。まだ熱っぽいが、窓から外を見る体力くらいある。

 眼下に見る庭園には、兵士がうようよいた。もう彼らは城館に踏み込んで、王族を捕えてしまっただろうか。テオドールは無事だろうか。

 庭に王族の姿はないかと目をこらして外を見ていると、兵士のひとりが階上の窓のリアネに気づいた。おどろいた顔をし、こちらを指さしてなにか叫んでいる。周囲の兵士たちもリアネを見上げ、一様におびえた顔になった。

 リアネは窓枠の下にしゃがみこんで、彼らから隠れた。見つかってしまってまずかっただろうか。それにしても、悪魔でも見たかのようなあのおびえた顔はなに?

 ふと、明るい朝の光の中、自分の手が視界に入る。

 手? たしかに手だけれど、赤黒くて気持ち悪いまだら模様が……

「ひっ……!」

 リアネはひきつった声をあげた。ふるえる手で夜着の前を開け、胸元をのぞきこむ。

 赤と黒を主に使って、肌一面の無数の虫刺されを表現したらこうなる……というような、凹凸感のある赤黒い混沌がそこにあった。人の肌の色合いと質感では断じてない。

 部屋に鏡がないのは幸いだった。顔がどんなことになっているのか、想像だけでこわい。

「リアネ。起きたの?」

 ノックの音と、王子様の声。

「いやっ! だめっ! テオドール様だめっ! 入ってきちゃ……」

 リアネは寝台にもぐりこんだ。頭まで上掛けをかぶる。かちゃりと鍵の開く音。

「具合はどう? 薬、持ってきたよ」

「良好です! 薬はひとりで飲めますから、おねがいこっち見ないで……」

「見ないと診断できない」

 テオドールは上掛けをひっぺがした。意外と力が強い。

「あ、すこし顔色よくなってるね」

「顔色なんかわかるんですかっ」

 リアネは両手で顔を覆った。

「わかるよ。はい、薬」

「……あっち向いててください」

 リアネは起き上がって小皿を手にした。テオドールに背を向け、茶色い液体を飲み下す。

「うえっ。にっが〜」

「はい、水」

「ありがとうございま……こっち見ないでくださいってば!」

「そんな今さら……」

「今さらかもしれませんけど。だってきっとおそろしい顔……。そうだ、ゾエ! ゾエもこんなになっちゃったんですか? ゾエは大丈夫なんですか? 逃げてる途中で倒れたんでしょうか……」

「彼女は君を追ってきたんだ」

「えっ」

「一緒に逃げようとしてたんだろう? なのに君だけ城館にきてしまったから、連れもどしにきたんだそうだ。……いい友達だね」

 リアネは両手で口元を覆った。ゾエ。ああ、ゾエ。ごめんなさい。

「ゾエ……助かるんですか?」

「助けるよ」

「ゾエ、わたしなんかに構うから……。ゾエのほかにも、わたしの病気がうつった人、いるんじゃないでしょうか。逃げようとしてたとき人混みだったもの」

「そのことなんだけど……。この病気――アマリラっていうんだけど――潜伏期間が三日あるんだ。熱帯の病気だから、寒い地方ではもっとかかることもある。でも発疹が出る前の感染力は弱い。発疹がひどくなる前なら、普通に接したくらいじゃ感染しないはずなんだ。君とゾエは、三日以上前に、こういう発疹が出た人に会ったの?」

「会ってません」

「……じゃあ、熱帯の動物に触れた? 猿とか、鳥とか」

「鳥……」

 オウム。あのオウムは数日前から毎日、下男の手で屋根裏のアトリエに持ちこまれた。

「わたし、オウムを描いてたんです。オウムがめずらしいから、ゾエも見にきたの……」

「そのオウムは?」

「死にました。死骸はわたしの部屋に」

 テオドールは納得したようにうなずいた。

 そのとき、ドアがノックされた。「セロ?」と王子がたずねたけれど、返事がない。かわりにノックの音がせわしなく繰り返される。

 リアネは無意識に、テオドールの袖をつかんだ。城館は反乱軍に囲まれているのだ。

「テオドール様……」

 しっというように、王子は唇に指をあて、ドアに近寄った。

「誰だ」

「わたくしです」

 リアネの知らない女性の声だったが、テオドールが漏らしたつぶやきで、相手が知れた。

「王妃様……」



「アマリラの者がいるそうですね」

「な、なぜご存じなのです?」

 リアネはドアに耳をくっつけて、廊下の会話をきいていた。盗み聞きははしたないとか言ってる場合じゃない。

「その者をこちらに引き渡しなさい」

「なぜですか? 隔離を解いたら感染者が出ます」

「いいから、引き渡しなさい。すぐに臣下を寄こしますから、その者に渡すのです」

「安静が必要な病人を動かすのは反対です。理由をお伺いしたい」

「病人の安静など言ってる場合ではないでしょう! あなた状況がわかっているの? 外にいる下賤な者たちが、我々が命乞いをするのを嫌らしく嗤いながら待っているのですよ! 誰が降伏など……。あんな者たちに国家を明け渡してなるものですか……! 我々は無事王宮を出て、正規の軍と合流しなければなりません。ここで反逆者に身柄を拘束されるわけには参りません! 浅はかな将軍にそそのかされたあの汚らしい兵士たちが、なぜ城館に踏み込まないかわかりますか? 悪魔の病が城館に蔓延していると思っているからですよ。ミュアンナの下男が発症しましてね……彼の悪魔の姿を見せつけてやったら、入ってこられなくなったのです。ミュアンナの下男はいい働きをしました。しかし死んでしまってね……。でもまだいたのですね、悪魔の病に冒された者が」

「あなたは病人を我が身を守る道具にしたのですか!」

「誰に向かってものを言っているのです!」

 ぴしゃりと頬をはたく音がした。

「どうせ死病です! 死にゆく前に、簒奪者から王を守る楯になってもらったのです。名誉ある死を与えたまで」

「死病じゃない! 僕は死ななかった! 薬で治るんです!」

 ダン!と大きな音がした。リアネはびくりと身を縮めた。ドアの外はしんとしている。

 どうしたのだろう。なにが起こったのだろう。今の音はなに!

「ご退場願います。王妃様」

 セロの声だった。

「お、お、おまえ……わたくしにこんな真似をしてただですむと……」

「なにをやってもやらなくてもただですむ状況だとは思えませんので、いっそ感情に従うことにいたしました。アマリラを王宮に持ちこんだのがどなたか調べもついておりますので、口を封じたかったらいつでもどうぞ。しかし、封じる必要のある人物は私だけではありません。今回の件に関しても、十一年前の件に関してもね」

(十一年前の件? ……もしかして、テオドール様のお母様のこと?)

「死んだ下男はオウムの世話係だったそうですね。前回が子猿で今回がオウムですか。芸がなさすぎます。二度目ともなれば、誰かが動物を使って愛妾を狙ったのではないかと、いくらお人よしの王だって疑いを持つと思いませんか」

「なっ、なんのことだかわたくしにはわかりません!」

 王妃のものらしいせわしない足音が遠ざかる。リアネはへなへなとドアの前にへたりこんだ。解けた緊張とおどろきの事実に、足に力が入らなくなった。

 王妃様がミュアンナ様を殺そうとした。

 王妃様がテオドール様の母君を殺した。

 黄金王の愛人たちが、嫉妬からいさかいを繰り返していることは知っている。その多くはドタバタ喜劇みたいなものだけれど、裏ではこんな陰惨なことも起こっているのだ。

 王宮はこわい。

 外からやってきた反乱軍もこわいけど、中にいる人もこわい。なんとかこのこわい場所から、テオドールを連れだす方法はないものか……

「あ」

 リアネはまだら模様の浮いた手を、ぽんと打った。




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