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超個人的意見

要求、その先にペンペン草は生えるのか? ~生のじゃがいも輸入しようという動きに懸念を示す ~超個人的意見

作者: 時司 龍
掲載日:2026/09/26

 今回の私の言いたい事は、

 生のじゃがいもの輸入解禁には反対です。


 で、なるべく皆で、国産の農産物を買って食べよう。なるべく国産の商品買って使おう。


 ・・・これで終わり。と書けば、はああ??と思われると思うので、ここからは少し固めの話を書きます。



 現在、アメリカ産の一般流通用 生のじゃがいもを巡って、輸入解禁に向けた協議が進められています。農家の皆さんも、病害虫が国内の生産基盤に侵入する事への懸念を示し、農林水産省は科学的知見に基づいてリスク管理を行うと説明しています。

 勿論、病害虫の問題は重要です。



 しかし、もっと長い目で見なければならない問題があると思っています。

 それは・・・農家が減る事です。


「外国産のじゃがいもが安く買えるようになります」

 メリットとして、大々的に言われています。消費者からすれば、ありがたい話でしょう。

 安い。家計には助かる。だったら、安い方を買う。ごく自然な感覚です。


 けれど、その安いから買うの先に何があるのか。

 そこまで考えた事はあるでしょうか。


 農業は、ただ種をまいて、収穫して、袋に詰めれば終わりという仕事ではありません。

 天候に左右される。

 病害虫とも戦わなければならない。

 機械も必要になる。

 農地の維持にも金がかかる。


 しかも、昨今のように豪雨や地震等の災害が起きれば、農地そのものが被害を受ける。農業機械まで壊れる。


 それでも農家さん達の生活は続いていく。


 借金をして機械を買い直すのか。

 壊れた農地を直すのか。

 ・・・それとも、もう辞めるのか。



 そんな仕事に対して、「海外から、もっと安いじゃがいもが入ってきます」となれば、若い人達が、「じゃあ、自分も農業をやろう」と思うでしょうか。


 勿論、輸入品が安い理由は単純に「日本の農家が怠けているから」等ではありません。生産規模、土地条件、労働コスト、流通など、さまざまな要因があります。

 だからこそ、私は「安い」という一言だけで判断してはいけないと思うのです。



 日本の食料自給率は、令和7年度でカロリーベース37%。過去最低です。


 ちなみに、

 オーストラリア 233%。

 カナダ 204%。

 フランス 121%。

 アメリカ 104%。

 ドイツ 83%。

 イギリス 58%。 


 つまり、日本は諸外国に比べ、食料の多くを海外に依存しています。


 そんな国で、さらに国内の農業を安くないから、要求されたから、という理由で弱らせて、本当に大丈夫なのでしょうか。

 更にヨーロッパでは過去の食料不足の経験から『農業は国の安全保障そのもの』という考えにより、なるべく作物を作らせ、過剰な分は輸出し、農家へ直接的な所得補償も行われているようです。そうして、自国の食料自給率を向上させています。


 消費者として考えれば、安い方がいい。

 これはわかります。

 私だって、同じ商品なら安い方を選びます。正直な話、中間層でも低所得層により近い状況です。


 しかし、そこで一度だけ考えてほしい。


「海外から運んできて、輸送費までかかっているはずなのに、それでも国内産より安いって、どういう事なんだろう?」 と。


 まして現在は円安です。

 海外から物を買うという事は、基本的には円を外国の通貨に替えて支払うという事です。その円の価値が以前より下がっている局面で、それでもなお「海外から運んできたものの方が安い」という状況を、私は単純に「お得」とだけ考えるのが怖いのです。

 それ、本当に大丈夫なものですか? と。


 更に、

 国内で作る人がいなくなった。

 作る会社がなくなった。

 技術を持っている人がいなくなった。

 農地も荒れた。


 そして、いざ海外から入ってこなくなった時、「困りましたね」 では遅いのです。

 だから私は、じゃがいもに限らず、できる範囲で国産のものを買うようにしたいと思っています。

 10円20円高くても、地産地消。

 野菜も国産。果物も国産。

 ポテトチップスも、原材料は、じゃがいも(国産)。せんべいも、原材料は、もち米(国産)。


 外国産の方が安い事はあります。外国製品のほうが安い事もあります。

 それでも、なるべく国内で作られたものを買う。

 国内の会社の商品を買う。


 それは単なる「日本製品を応援しよう」という精神論ではありません。

 お金を払う。そのお金が企業や農家の売上になる。そこで働く人の給料になる。

 また消費される。

 その循環の中に、自分のお金を少しでも残す。

 私は、そういう事だと思っています。



 そして、この話を考えていると、どうしても就職氷河期の事を思い出します。

 安い方がいい。

 これと、どこか似ているのです。

 人を安く使う。

 最低賃金レベルで、正社員と同じような仕事をバイトや派遣にさせる。

 けれど、正社員としての安定は与えない。


 会社にとって必要な間は働いてもらう。必要がなくなれば、切る。


 本人が生活できるかどうか。

 将来どうなるか。

 そんな事は後回し。

 今、安く使えるなら、それでいい。


 勿論、就職氷河期の問題は、単純に企業が人を安く使ったという一言だけで説明できるものではありません。景気、雇用政策、産業構造など、複数の要因が絡んでいます。

 それでも、結果として、若い時期に安定した仕事に就く機会を十分に得られなかった人達が大量に生まれ、その後の人生設計にも影響を受けた事は否定できません。


 そして、その影響は本人だけで終わりません。


 結婚。

 出産。

 消費。

 そして、少子化。

 ・・・人手不足。


 一つの世代を安く使える労働力として扱った結果が、長い時間をかけて今、社会全体に跳ね返ってきている。


 私は、農業でも同じ事をしようとしていないか、と心配なのです。


 海外の方が安いから、国内で作らなくてもいい。

 安いものを買えばいい。

 確かに、その瞬間だけを見れば合理的です。


 しかし、農業は工場のように、必要になったから明日から稼働させられるものではありません。

 畑は一日ではできません。

 人も一日では育ちません。

 そして、農業にも、数字やマニュアルだけでは引き継げないものがあります。

 どの時期に植えるのか。収穫するのか。

 天候をどう読むのか。

 土の状態をどう見るのか。

 今年は例年と何が違うのか。

 病気の兆候をどう見抜くのか。

 今、必要なのは水か肥料か。それとも日光か。

 長年やってきた人にはわかる。

 でも、それを全部マニュアルにできるでしょうか。


 今は、そうした経験と勘を持っている人達がまだいます。


 では、その人達が農業を辞めたら?

 次の世代に伝える前に、農地から離れてしまったら?

 あるいは次の世代が、こんなに大変なのに、海外産より高いと文句を言われ、給与も安い仕事なんてやっていられない、と考えたら?

 そこで失われるのは、今年のじゃがいもだけではありません。

 10年後、20年後の作れる力です。


 これは、就職氷河期で起きた事とも重なります。

 人を安く使う。しかし、その人が次の世代を育てるところまで考えない。

 そして、その人が去った後になって、人が足りない、経験者がいない、技術を教えられる人がいない ・・・その世代に安定した雇用とお金を持たせなかったがために、起きた問題の数々・・・と騒ぐ。


 それは、あまりにも都合がよくありませんか。

 安さだけを追い求める。目の前のコストを削る。

 そして、10年後、20年後に失ったものの大きさに気づく。


 私は、農業について同じ轍を踏んでほしくないのです。


 そして、もう一つ忘れてはいけない事があります。

 食料は、普通の商品とは少し違います。


 スマートフォンなら、外国から買えばいい。家電も洋服も。

 極端な話、国内で作れなくても、海外からいつかは買えるなら生活はできます。最悪、国民全員が持っていなくても生きてはいけますし、古くなっても修理して使えるものは使うでしょう。


 では、食料はどうでしょう。

 もし、ある日突然、「今年は世界的な不作なので、全く輸出しません」 と言われたら?

 もし、「これまでの3倍の価格で売ります」 と言われたら?

 もし、「輸出する代わりに、この条件を受け入れてください」 と言われたら?

 人間は、食べないと生きていけません。国内で作る力がなくなっていれば、こちらは相手の条件を全て呑むしかありません。


 関税を上げるなと言われても、関税を下げろと言われても。

 輸出量を減らすと言われても、値段を上げると言われても。

 こちらに作る力がなければ、交渉の余地なんてありません。そうですね、と頷くしかできません。

 だから私は、生じゃがいもの輸入、そして食料自給率の問題を、農家を助けるための話だけで終わらせてはいけないと思っています。


 これは、私達自身の生活の話です。

 今日、10円安いじゃがいもを買う事。それ自体が悪いわけではありません。生活が苦しければ、少しでも安いものを選びたい。

 それは当然です。


 だからこそ、本来は消費者だけに国産を買えと押しつけるのではなく、国内で作り続けられる環境そのものを考えなければならないと思っています。

 農家が生活できる事。

 災害から立て直せる事。

 若い人達が農業を仕事にしてもいいと思える事。

 そして、今いる人達の技術を次の世代へ渡せる事。


 そこまで含めて、輸入を考えるべきではないでしょうか。


 安いじゃがいもを買う。

 その一袋だけを見れば、得をしたように思える。

 でも、その安さのために国内の生産者が一人、また一人と辞めていったら?

 その人が持っていた経験も、一緒に消えていったら?

 最後に残るのは、今、安く買えたというだけです。


 そして、その時になって初めて気づく。

 ああ。私達は、食べ物を買っていたのではない。食べ物を作れる国そのものを、少しずつ売っていたのだ、と。

 安い事は、確かにありがたい。

 でも、安さには必ず、誰かが負担しているコストがあります。


 その負担を農家に押しつけ続けて、農業そのものが消えてしまったら、次に困るのは、農家ではありません。

 私達です。

 そして、その時になって国産が必要だと言っても、農業はスイッチ一つで復活しません。

 人も、土地も、技術も、一度失えば簡単には戻ってこない。


 だから私は、生のじゃがいもの輸入解禁について、単純に安くなるならいいじゃないかとは思えません。要求があっても、はいそうですねとは言えません。

 これは、じゃがいもだけの話ではない。

 安さを理由に国内の生産力を削り続けて、本当に最後まで残るものは何なのか。


 就職氷河期で、私たちは一度、それを経験しているのではないでしょうか。

 今、安く使えるから。

 その発想だけで人を扱えば、将来、その人達がいなくなった時に困る。


 同じように、海外の方が安いから、要求されたから、という理由だけで国内の農業を削れば、将来、海外から買えなくなった時に困る。

 人も農業も、使い捨てにすれば、いつか社会そのものがツケを払う事になる。


 だからこそ、私は思うのです。

 その商品の向こう側に、誰がいるのか。

 何が失われようとしているのか。

 10年後、20年後に、私達は何を買えるのか。どういう状況になっているのか。

 そこまで考えなければならない時期に来ているのではないでしょうか。


 外国から農産物を輸入するいうのは、単に農家が減るという話ではない。


 私は、そんな未来を選びたくありません。

 今あるものを削り続ける。

 人を削る。

 農業を削る。

 技術を削る。

 国内の生産力を削る。

 その結果、何も作れなくなってから慌てても遅い。



 そうなると、ぺんぺん草も生えない荒野しか残らん、と思う訳です。


読んでくださってありがとうございます(*_ _)

ポイントを入れてもらえると、嬉しいです。

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 時司 龍さん、こんにちは。 「要求、その先にペンペン草は生えるのか? ~生のじゃがいも輸入しようという動きに懸念を示す ~超個人的意見」拝読致しました。  アメリカ産ジャガイモの輸入、反対。 …
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