五月が消え、カズマが選ばれた日――静かに進み出す運命
前回のお話はーー
夢のような部屋で目覚めた三月は、A’sとノーザンクロスの仲間たちに“プリンセス”として迎えられる。優しさと違和感が交錯する中、彼女は新たな居場所へ足を踏み入れる。
式典まで、あと五日。
朝の校門で、カズマと由真は待ち構えていた簗瀬にあっさり捕まった。
そのまま連れて行かれた先は、校長室。
部屋の中には校長・教頭・簗瀬。
ただならぬ空気。
ふたりは思わず背筋を伸ばす。
「五月が、いなくなったわ」
その言葉は、まるで時間を止めるように静かに響いた。
冴子は、校長ではなく『母親』の顔でそう告げる。
「SSSの管理システムから、イツキのIDが消えたの。部屋にも帰っていないみたい」
――消えた?
SSS管理システムが、追跡できない?
世界最高精度の専用GPS。
その『絶対』を信じていたからこそ、誰もすぐには言葉を返せなかった。
そもそも五月が数日いないのはいつものことで、また任務かなにかだろうと二人は軽く考えていた。
まさかこんな大事になっていたなんて。
由真の不安は、そのまま顔に出てしまい言葉が出ない。
「ミツキは?」
あっけらかんと口を開いたのはカズマだった。
「三月は病院にいるわ。いなくなったのは、五月だけ」
「それ、大丈夫でしょ?」
あまりにも軽い言い方に、由真が思わず噛みつく。
「ちょっとカズマ君! 分かってる? SSSのシステムが『反応ゼロ』なのよ!?」
「うん。だからさ」
カズマは少し考えるように、視線を落とした。
「姫川が、ミツキを置いていなくなるとか、絶対ない!」
根拠はない。
理屈もない。
でも――それは、五月と一緒に過ごしてきた時間から出た言葉だった。
由真は何も言えなくなり、
張りつめていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。
「……そうね。五月のことはもう少し探すとして」
冴子は一呼吸おいて、真剣な目で言葉を続けた。
「式典まではあと五日。もし、五月が戻らない場合――代役を立てるしかないわね」
その瞬間、冴子・灯・簗瀬・由真の全員の視線がカズマに集中した。
「え、ちょ、オレ!?」
「これから新しく決めるより、会議にも出ていたカズマ君が一番適任です!」
由真が胸を張る。自信満々の笑顔。
――その信頼に、応えたい。
そう思った瞬間、カズマの中で何かが定まった。
「立派な代役なんて決めたら、アイツ『面倒くさい』って戻ってこないかもしれないしな!」
誰もが、思わず笑った。
根拠のない自信。
けれど――なぜか信じてみたくなる。
五月は、必ず戻ってくる。
その根拠のない言葉が、なぜか誰も否定できなかった。
三月がノーザンクロスに来て数日。
朝食が終わると、それぞれ自由だ。
三月は暇を持て余し、自分の部屋くらい掃除しようとしたが、
「姫、そのようなことはこの水月にお任せください」
と割烹着に箒を持った水月に部屋から追い出されてしまった。
良く晴れた海ほたるのデッキは、展望スポットとして有名だったのも頷けるほど気持ちがよかった。
遠くに見える街並みが少しだけホームシックな気持ちにさせる。
うつむいた下に広がる、海に反射する光に輝いた緑。
階段を下りた瞬間、ふわりと潮風と土の香りが混じった。
海しかないはずの場所で、三月は思わず足を止めた。
そこに広がっていたのは、海ではなく、鮮やかな緑――碧葉の菜園だった。
人の丈を越えた緑がざわりと揺れ、午前の清々しい光に照らされた葉脈が宝石みたいに光る。
「プリンセス?」
振り返ると、碧葉が静かに立っていた。
手にはカラフルな野菜でいっぱいのバスケット。
「うわぁ……キレイっ。色が、全部キラキラしてる!」
三月のテンションに、碧葉の顔が優しくほころぶ。
「これ、朝ご飯の野菜だよね? すっごく美味しかった! 碧葉が作ってるの?」
「僕の能力は植物の成長を操れるからね。……水月は『絶対無農薬で』ってウルサイんだよ。使わなくても大丈夫なのにね」
苦笑する碧葉の声は優しいけれど、どこか疲れている。
「碧葉、収穫終わった……ってクロが言ってる」
緑の奥から静かに、影ごと滑るように 一人の青年が現れた。
長い前髪で目元を隠し、背は猫のように丸い。
腕の中のカゴには、真っ赤なミニトマトがぎっしり。
「ミニトマト! 三月だいすき!」
勢いよく駆け寄る三月に、青年――ネコが一歩引いた。
「ありがとう、ネコ。クロも」
「にゃーん!」
黒い影がひらりと跳ねて、碧葉の足元にしなだれかかる。
ツヤツヤの黒猫、その瞳は宝石みたいに賢そう。
「猫ちゃん!!」
「あたしはネコじゃなくてクロよ。こっちがネコ!……ってクロが言ってる」
前半は高い女性風の声、後半だけ男性の低い声――。
まるで一つの身体に、二人が宿っているみたいだった。
「初めましてプリンセス! 朝はね、ネコが起きられないから、いつも食べ損ねるのよ。あ、あたしはクロ。こっちの暗いのが、ネコ。……ってクロが言ってる」
「えっと……人がネコで、猫がクロ……?」
「にゃーん!」
「そうよ。よろしくね、プリンセス!……ってクロが言ってる」
クロが三月の足元にすり寄り、くるんと尻尾で挨拶した。
たまらず抱き上げると、クロは全力で脱出して碧葉の腕に逃げ込む。
「クロちゃん、ごめん〜〜!」
ネコと碧葉が、少しだけ笑みを漏らした。
「これ、キッチンに持っていくよ。お茶淹れて来る。座ってて」
海が見える菜園のガーデンテーブルは、カフェそのもの。
「ねぇ、二人は友達なの?」
「にゃーん」
「仲間……相棒……そうね。ネコは弟、みたいなものかしら。あたしがいないと何もできないんだから!ってクロが言ってる」
「三月にもいるよ、弟! 五月も、ミツキがいないとほんっと何もできないんだから!」
クロと三月は『ねー!』と顔を寄せ合い、なぜか一瞬で意気投合してしまう。
「プリンセスには友達、いるの?……ってクロが言ってる」
「いるよ! 由真はね、すっごく頼れるの。カズマは……すっごく優しいんだよ!」
「カズマ、優しい……」
――あれ?
三月は違和感に気づく。
クロはテーブルの上で毛づくろい中。
今、語尾に「クロが言ってる」が……なかった?
「カズマ、好き……?」
それが、どちらの声だったのか。
三月には、はっきりしなかった。
「うん、大好き!」
「カズマ……大好き……」
噛みしめるようにつぶやいたネコの瞳が、ふいにゆるむ。
まるで――忘れていた記憶が、ひょいと戻ってきたように。
――遠い昔。
木に登って降りられなくなったクロに差し伸べられた一つの手。
『大丈夫だからな! すぐ助けるから……』
まだ小さかったカズマの、あの真っ直ぐで温かい声。
暗闇の中で、その手だけが光だった。
ネコのライラック色の瞳が細くなる。
三月にその理由はわからなかったが、不思議と胸の奥が温かくなる。
その優しいまなざしは三月まで優しい気持ちにさせた。
お読みいただきありがとうございました。




