岩と植物が飛び交う湾岸追走戦――消えた異能と、霧の向こうに残された気配
前回のお話はーー
偽医師に扮した男たちが、特別病棟から三月を連れ去った。
異変に気づいた五月は救急車を追走し、巻き込まれたカズマと由真も湾岸線へ――静かな疾走が、事件の幕を開ける。
容赦なく、暴走車たちが煽りや幅寄せを繰り返してくる。
だが――攻撃してくるわけでもない。
それが、逆に気持ち悪かった。
逃げ続けるうちに、スピードはどんどん上がっていく。
危険な嫌がらせの暴走行為。
カズマはアクセルを踏み続け、ハンドルを切り、わずかな隙間を探った。
由真は、初めて体験する速度の域に放り込まれていた。
幅寄せされ、壁やスポーツカーが、真横すれすれまで迫る。
息が詰まる。
そのギリギリ感。
その恐怖。
――これが、『現場』という世界。
怖い。
その感情が、自分のすべてを縛りつけようとしていた。
「ふざけるな!」
視線を前に向けたまま、カズマが吐き捨てる。
次の瞬間――
路面が弾けた。
コンクリートの裂け目から、岩の礫が弾丸のように飛び散る。
「くそっ!」
五月は即座にハンドルを切った。
バイクを滑らせ、跳ね上がる岩の隙間へと突っ込む。
――それを、楽しそうに眺めている者がいる。
SUVの運転席で、雪兎はハンドルをくるりと回す。
「いい調子ですよー、野岩氏。さすが、土属性だけありますなぁ!」
ピンクの髪が、フロントガラス越しにきらめいた。
軽口とは裏腹に、その操作は正確だった。
体を粒子のように散らせる彼は、車と一体化するような操縦を得意としている。
「当てないように調節って、難しいんだよぉ……」
助手席の野岩が、髪をくしゃっとかき上げる。
声は弱々しく、額にはうっすら汗。
それでも、その手は確かに地面を震わせていた。
「ていねいな攻撃! 土属性の得意とするところではないですか?」
「無理言うなよぉ。オレ、攻撃型じゃないんだってばぁ……」
泣き言めいた野岩の声を、雪兎は笑って聞き流す。
楽しそうに。
まるで、ただのドライブでもしているかのように。
次の瞬間、路面が跳ねた。
土砂が盛り上がり、弾丸のようにクラウンへ飛ぶ。
「ほら、やればできるじゃないですかー!」
「できてるけど怖いんだよぉ!」
左車線のスポーツカーの助手席で、
夜の光を映したような黒髪の碧葉が小さくつぶやく。
「右」
その声は、夜の静寂よりも静かだった。
「はいよ!」
運転席には、彫刻のようなはっきりとした顔立ちに、金色の髪が輝くエル。
二メートル近い長身がシートに収まらず、膝がつかえるほどだ。
ハンドルを握ることはない。
エルが顎を傾けるだけで、車体が応じて右へと滑る。
「動きが雑」
「その方が早いだろ?」
「いつか壊れる」
「そしたら次があるじゃん」
軽口に、碧葉は何も返さない。
代わりに、窓の外へ指先を伸ばした。
風が逆巻き道路脇のツルが一斉にうねり出す。
そのオッドアイだけが、静かに前方を捉えていた。
「ツルが動いてるわ!」
由真の叫びと同時に、ツルが前方のバイクへと襲いかかった。
植物が、バイクを狙う。
信じがたい光景に、カズマも由真も言葉を失う。
それでも――五月は、紙一重でかわした。
無事だった。
その事実に、息をつく間もなく。
次の瞬間。
炎のような排気音を響かせ、ハーレーがクラインに並走してくる。
クラウンの目前で前輪を浮かせ、蛇行しながら、挑発するように走った。
フルフェイスのヘルメットで顔は見えないが、岩のように厚い肩と腕。
ハンドルを握るたび、筋肉が、バイクごと唸りを上げる。
「お、出た出た。烈じゃん!」
スポーツカーの運転席で、エルが楽しそうに笑った。
「やっぱアイツ、登場の仕方が爆発してんな!」
助手席の碧葉が、ちらりと横目を送る。
「……派手すぎる」
その言葉が終わるより早く。
ハーレーの後輪が火花を散らし、アスファルトが破裂音を上げた。
攻撃が止まらない。
岩。
植物。
まるで、生き物の中を突っ走っているようだった。
カズマの額に、汗がにじむ。
ハーレーの横をすり抜けた五月のバイクを追って、ツタが伸びた。
五月は身体をひねる。
紙一重。
ギリギリでかわす。
だが、ツタは止まらない。
そのまま勢いを保ち、後方へと流れていく。
進路の先には――クラウン。
「――っ!」
ブレーキを踏む暇もない。
ツタが、運転席へ迫る。
「止まれッ!」
ツタに向けた、碧葉の命令。
だが、この速度だ。
急には止まれない。
迫るツタを、カズマはただ見つめることしかできなかった。
次の瞬間。
視界を、光が裂いた。
――消えた。
フロントガラスの手前で、
ツタが粒子のようにほどけていく。
渦に吸い込まれるように、跡形もなく。
まるで、『存在ごと削り取られた』かのように。
風が止む。
世界が一瞬、息を潜めた気がした。
「な、なに……これ……?」
由真の声が、震えた。
カズマはハンドルを握ったまま、動けない。
気づけば、車はかろうじて直進を保っていた。
何が起きたのか。
分からない。
説明できる言葉も、浮かばない。
ただ――ありえない何かが、たしかに、そこにあった。
ノーザンクロスのSUV。
野岩が、目を見開いた。
「……消えた?」
隣で、雪兎も息を呑む。
ハンドルが重くなり、車体がわずかにぶれた。
「消えたな! な、消えたよな!」
後方のスポーツカーから、エルの弾んだ声が飛ぶ。
碧葉が、露骨に顔をしかめた。
「……うるさい」
「何が起きてるんだー! ってカンジ?」
茶化すエルに、碧葉は答えない。
誰も、理解できなかった。
張りつめた空気の中、道路の上を車だけが静かに流れていた。
追う者と追われる者。
距離を保ったまま、車列は走り続けていた。
やがて――視界の先に、アクアラインの入口が現れる。
全車が、そのまま吸い込まれるようにカーブへ入っていった。
海の上を通るアクアライン。
かつては、神奈川と千葉を結ぶ海上道路だった。
その途中には、東京湾に浮かぶパーキングエリア――『海ほたる』がある。
展望景色やレストランを備え、地震前は観光施設としても賑わっていた場所だ。
しかし――大地震によって崩壊。
現在は、安全性を理由に閉鎖され、人の立ち入らない場所となっている。
大きなカーブを抜けると、海上道路は一直線になった。
SUVとスポーツカーが、カズマのクラウンの横を通り過ぎる。
二台はそのまま、五月のバイクさえ追い抜いた。
そして――ハーレーと合流し、壁のように横一列に並ぶ。
しばらく、前方を塞ぐように走っていたが、次の瞬間、急に速度を上げた。
外が、白く染まる。
霧だ。
視界が、急速に奪われていく。
音が消えた。
風も、エンジン音も、すべてが薄い膜の向こうへ沈んでいく。
「この霧じゃ……何も見えない……」
由真は平気なふりをしようとした。
だが、声は揺れて不安は隠しきれない。
海上道路とはいえ、一瞬で視界を奪うほどの濃霧は異常だ。
危険だ――
そう判断し、カズマはクラウンを停止させる。
だが。
すぐ前にいたはずのバイクの音が、消えていた。
何も聞こえない。
風もない。
波の音さえ、しない。
不気味な静寂が、
胸の奥をざわつかせた。
「……どうにもなんないのかよッ!」
叫んだ、その瞬間。
霧が――破裂するように、晴れた。
突風が吹いたかのように、霧は一瞬で引いていく。
その残滓の中。
海上の非常帯に、ひとりの男が立っていた。
白い霧をまとったまま、黒髪は水に濡れたように艶やかに光る。
長い睫毛の奥。
その瞳は、深い湖のように静かだった。
指先には、まだ水の粒が踊っている。
「……消された?」
雅な声が、風に溶ける。
水月は自分の手を見つめ、残った霧の香りを、指で静かに払った。
お読みいただきありがとうございました。
次回は三月の真実が明らかになります。
更新→来週更新予定です。




