救急車を追え――特別病棟から始まる“静かな疾走”
前回のお話はーー
アンダー東京で再会した大人たちの過去と想いを知り、少年カズマは自分の未熟さを痛感する。届かない背中を前に、それでも彼はハンドルを握り、夜明けへ走り出す。
午後三時過ぎ。
特別病棟の廊下は、ひっそりと静まり返っている。
その廊下に、場違いな男がひとり立っていた。
氷のように冷たい瞳。
白衣に身を包んだ|翔夢は、ナースステーションの前で、ゆっくりと唇を歪める。
「柊先生、午後からじゃなかったんですか?」
ナースステーションの奥から、看護師が声をかける。
「予定が変わりましてね。これから……」
柔らかく微笑む。
その奥で、瞳がひときわ強く光を弾いた。
幻覚が、静かに広がっていく。
看護師たちは、夢を見ているかのように、素直に頷いた。
搬送用の救急出入り口前。
病院専用の救急車が、すでに待機している。
ストレッチャーを押す看護師の足取りに、迷いはなかった。
『柊先生』が通ると、警備員もまた、当然のように敬礼した。
疑う理由など、誰にもなかった。
「検査センターへ搬送します。書類はあとでまとめますので」
「はい、柊先生」
ストレッチャーを乗せた看護師が深く頭を下げ、病院内に戻って行く。
扉が閉まる瞬間――。
男の笑みが消えた。
髪を掻き上げ、ネクタイを乱暴に緩める。
「……バレてないね」
光を跳ね返す冷たい瞳で、救急車の助手席のドアを開ける。
「さすが、バレてないね!」
運転席でハンドルを握る奏は、救急車の運転手としては軽装すぎるパーカーで翔夢を迎える。
「ネコによると、柊先生って、けっこうイケメンらしいよ?」
「オレがブサイクに見られるとかありえない! 絶対イヤ!」
その整った顔に、露骨な嫌悪を浮かべる翔夢。
助手席に乗り込むと、奏はわずかに笑って答えた。
「幻影なんだからいいじゃない。翔夢は誰よりも美しいよ」
「当然でしょ! 次は?」
軽口を交わす二人の間で、ホログラムが立ち上がる。
奏の指先が光をなぞるたび、データの層が静かに切り替わっていく。
「ふふ、まかせて」
穏やかな表情だが、その奥にどこか計算された余裕が見えた。
その横顔は、まるで冷たいガラス越しの知性――。
通信回線の隙間に入り込み、病院スタッフの声色を再現する。
完璧に調律された、嘘の音声。
『三月さんが、いなくなりました』
わずか一言で、車内モニターの地図上の点が動き出した。
放課後の校門前。
約束の時間になっても、五月は現れない。
式典が近づくにつれて、会議や準備で中央に通う日々が続いている。
放課後から始まり、夜遅くまで及ぶことも珍しくない。
「姫川君、遅いなぁ……?」
やる気はなくても、五月は今まで一度も遅れたことがない。
それだけに、胸の奥がざわついた。
その時――。
ジヲオォォォォォォォン、と空気を切り裂くようなエンジン音が近づく。
と思った瞬間、横をバイクが駆け抜けていった。
「今のって……?」
「姫川君? カズマ君、追って!」
言われるがまま、カズマはクラウンに飛び乗り走り出す。
「やっぱり、姫川くんのバイクよね?」
前を走る五月のバイクは、車と車の間を滑り抜けていく。
少しでも気を抜けば見失いそうな速さだ。
信号を無視して突っ込むような走りに、ただ事ではないと悟る。
さすがに同じことはできず、カズマは距離を取るが、バイクを見失ってしまう。
「どこ行ったんだ……」
焦る気持ちを抑え、二人はバイクの進んだ方向をゆっくりと探していく。
「カズマ君! あれっ!」
由真が指さした先。
大きな建物の前に、五月のバイクが停まっていた。
「ここ……病院よ?」
SSS中央病院。
特区内で唯一の医療機関であり、大学病院並みの巨大施設だ。
棟が分かれ、一般病棟と特別病棟は離れた位置に配置されている。
嫌な予感が、静かに背筋を這い上がる。
何かあったから病院なのか?
二人は病院前で不安募らせながら迷っていた。
闇雲に探すより、ここで五月を待つべきなのか?
その時、救急車が猛スピードで通り過ぎる。
けれど、どこかがおかしい。
二人は顔を見合わせて首を傾げる。
サイレンが――鳴っていない。
「音だ!」
二人は同時に気づいた。
緊急車両のスピードなのに、音がない。
その違和感を飲み込む間もなく――。
五月が、血相を変えて走ってきた。
「あ、ちょっと、姫川君! 会議おく――」
「うるせぇッ!」
怒鳴りつけるように叫ぶと、由真を押しのけてバイクに跨がりそのまま走り去った。
何かが起きている。
カズマは直感でそう確信した。
「な、なんなのよ! あれっ!」
由真が悔しそうに唇を噛む。
お嬢様らしからぬ怒りが、その顔に宿る。
「カズマ君! 行くわよ! 文句言ってやる!」
いつもは後部座席に座る由真が、この時ばかりは助手席に乗り込んだ。
慌ててカズマも運転席に乗り込み、クラウンEVは走り出した。
単調に続く直線道路の先、イツキのバイクはすぐに見つかった。
その前を、赤色灯もサイレンも鳴らさず、異様な速度で走る救急車が走る。
「あの救急車、やっぱり変よ!」
五月が追っているのは、間違いなくあの救急車だ。
特区SSSを横断する高速湾岸線は、非常時以外では閉鎖されている。
外部と繋がる道路は厳重に扉で封鎖し、他の進入を防ぐのがSSSの自己防衛だ。
通行は完全に遮断しているはずだった。
それなのに――。
本来なら、特区の端にある東八潮ゲートで止められるはずだったのに、救急車は有明ジャンクションから湾岸線に入った。
その後を、バイクとクラウンEVが迷いなく追いかけていく。
緊急時以外には開かないはずの扉が開いていた。
胸の奥に、ひやりとした違和感が広がる。
静かに、不安だけが形を持ちはじめていた。
トンネルを抜けると、静かな三車線が広がった。
他に車のいない道は、かえって落ち着かない。
耳の奥で、何かがざわめく。
その瞬間――。
聞き覚えのあるエンジン音に、カズマの意識が鋭く跳ねた。
SUVとスポーツカーが後方から迫ってくる。
「あれって……SSSの? やっぱり事件とか?」
この時代、スポーツカーを堂々と走らせるのはSSS関係者くらいだ。
だが、そこから伝わるのは明確な敵意。
視線をロックオンされた獲物のような、圧迫感が車内を満たす。
本来なら、SSS所有車には社章のマークがあるはず。
それなのに、窓はスモークで覆われ、内部がまったく見えない。
どちらも車種の分からないような改造車。
カズマは露骨な敵意を感じる。
「少し運転、荒くなる。捕まってろ」
乾いたエンジン音が、電動車ばかりの時代に異様なほど響いた。
カズマのハンドルを握る手に力がこもる。
「もー、ナニがどうなっているのよー。ワケ分かんない!」
由真が叫ぶように、相手の目的が分からなければ手出しが出来ない。
五月も後方の車に気づき、バイクは唸りながらスピードを加速させた。
お読みいただきありがとうございました。
次回は車と超能力バトルが始まります。
更新→来週更新予定です。




