十年前の真実が明かされる――現れた“赤いシルビア”
前回のお話は――
倒れたカズマは周囲の優しさに触れつつも、自分だけが空っぽだと苦悩する。簗瀬はアンダー隠蔽の真実を知り、アンダーへ向かう鍵を手にする。
アンダー東京に無理やり連れ戻されて数日。
何もすることもなく、カズマは縁側に座る。
アンダー東京――とはいえ、全部がスカイ東京の下ではない。
フィルターで隠されてはいるが、太陽の光も届くし雨も降る。
梅雨の晴れ間というべき穏やかな光は静かで、やけに優しい日常の匂いがする。
SSSも、養成校も、あのトンネル事故さえも……全部幻だったんじゃないかと思えるほどに、当たり前の日常がそこにあった。
「にゃーん」
黒猫が外から縁側に飛び乗ると、カズマにすり寄る。
「クロ! どこ行ってたんだよ? 元気そうだな!」
カズマは黒猫を抱き膝に乗せると、頭を撫でてやる。
気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らしながら、クロはカズマを見上げている。
クロはカズマが子供の頃に助けた猫で、それからはいつも突然やってくる。
気まぐれな猫らしい猫で、カズマによく懐いている。
「……なんであんなに、すごいんだろうな……」
カズマの膝に乗ったクロは、寝る準備のように毛繕いを始める。
「お前はいつも変わらないなぁ。オレも変わらないのかなぁ……」
自分から出ていったくせに、あっさり帰ってきてしまった。
情けない。悔しい。消えてしまいたい。
恥ずかしさと情けなさが、突然胸を締めつけた。
「カズマぁ。カズマー、ちょっと来てー」
声に呼ばれて行くと、小夏が押し入れを掃除していた。
扇風機や蚊取り線香の豚など、軽快な夏物が部屋に散乱している。
「もうすぐ夏でしょ。暑い日もあるし、出しとこうと思って」
小夏が抱えていた本の山から、一枚の紙がひらりと落ちた。
手に取ってみれば――青い180SXの前に立つ、二人の青年の写真。
「あ、写真? これ、昔のお兄ちゃんだよ。若い頃だね。今とあんまり変わってないなぁ」
小夏はカズマの手から写真を受け取り、懐かしそうに目を細める。
「車バカなのは、まったく変わってないけど!」
「……もう一人は?」
「こっちは幼なじみ。お兄ちゃんの親友で、一緒に走ってたんだよ」
小夏の声が少し弾む。
「お兄ちゃんが180SXで、信二さんがシルビア。私にとっては、二人ともお兄ちゃんみたいな人なの!」
「信二、さん……?」
カズマは写真を見つめて固まった。
信二――簗瀬教官と同じ名前だ。しかも、顔もほとんど変わっていない。
写真の端に、青いシルビアのテールがあった。
……これだけは、見間違えようがない。
「私を助けてくれた人。十年前の、あの地震でね」
小夏はゆっくり畳に座り、隣をぽんぽんと叩いた。
促されるままカズマが座ると、彼女は昨日のことのように語り始める。
――十年前、東京を襲った大地震。
幼かったカズマも体験したはずなのに、記憶は曖昧だ。
「大学に入ったばかりで……その時、研修で東京にいなかったの。やっと帰れるって思ったら、帰りのバスが……トンネルの崩落に巻き込まれて」
小夏の声が、わずかに震えた。
「その時、助けてくれたのが信二さん」
トンネル崩落。
あの時、教官の顔があんなにも切羽詰まっていたのは――思い出していたからか。
「たくさんの人が亡くなった。私は助かったけど……この足は、動かなくなっちゃった」
キレイな手が撫でる小夏の細い足が痛々しく見える。
カズマは胸が苦しくなる。
思わず声が漏れた。
「……助からない方が、よかった?」
小夏は目を丸くする。
この子はなんて優しいんだろう、と思う。
「……助からない方がよかった、なんて。そう思ったことが一度もなかったと言ったら、嘘になるけどね」
それでも、小夏は笑う。
カズマは笑顔を待っているハズだから……。
「助かってよかったよ。おじいちゃんも、お兄ちゃんも、みんないる。それに! こんな泣き虫な弟もいるしね」
小夏の指先がカズマのおでこをはじく。
「な、泣き虫じゃねーし!」
おでこを抑えながら反論はするが、不思議と嫌ではない。
「……国はね、七十二時間で救助を打ち切ったの」
小夏の声が少し硬くなる。
「三日を過ぎると生存確率が下がるって理由で。まだ助けを待つ人はいたのに」
「そんな……!」
授業で習ったことのない事実。
カズマの中に、戸惑いと怒りが芽生える。
「SSSは当時まだ国の一部だったけど、逆らって救助を続けてたの。信二さんもその一人だった」
「……じゃあ、あいつは?」
「お兄ちゃん? そのときは海外にいたの。交通も止まっちゃって、日本に戻れなくて……でも、もともとSSSだったから、優先的に帰してもらえた」
やっぱり、あいつは……。
カズマは写真の180SXを見つめる。
「小さな事務所だったけど。180SXで走り回ってたのよ!」
写真の180SXを指差しながら、小夏は嬉しそうに「かっこよかったのよ!」とトビキリの笑顔を見せる。
「地震が落ち着いて、国が空中都市を作る計画を発表した時に、ほとんどの人は地方に行ってしまった。でも、ここが故郷の人はドコへ行けばいいの? そんな人たちが残って、作り上げたのがココ」
アンダー東京。
頭上に広がる屋根のような東京はもちろん、他の場所とも関係を絶った町。
ここの存在が隠されている理由を、カズマはやっと理解した。
「おじいちゃん、生まれたときからずっとここだし、絶対出ないって居座っちゃってたの。……同じ人、結構いたから。放っておけなかったんだよ。お兄ちゃん、優しいでしょ?」
「ね?」と念を押す小夏の様子に、文句を言いながらも兄が大好きなのは、よく分かった。
「でもね、私には上に残れって言ったの。……わかるけど。お母さんも行方不明で、もう家族はおじいちゃんとお兄ちゃんしかいないのに……ここにいたら、友達とも会えなくなる。でも、私は自分でここを選んだ」
その決断に、どれほどの想いがあったのだろう。
みんなに小言を並べ、家事をこなし、よく笑って世話を焼く。
そんな小夏の姿が、ふと頭をよぎる。
写真を見つめるその目が優しい。
裕一と簗瀬を、指先でそっとなぞる仕草が――胸に残った。
「……その人に、会いたい?」
「会いたいよ」
小夏の声は小さく濁る。
その時、GT-Rのエンジン音が近づいた。
小夏は慌てて写真を本の間に戻す。
「さ、片づけ、片づけ。はやく終わらせて、夜ご飯の支度しないとね」
聞いてはいけない話を聞いてしまったみたいで、なんだかカズマは落ち着かなかった。
月明かりの下、夜の工場は静かだった。
いつもは集まっている連中も、環状線でレースの日は誰もこない。
「行かなかったのか?」
コッソリ覗いていたつもりが、やっぱりバレていた。
車をいじる手を止めず、振り返りもせず、裕一は口だけを動かす。
「なんでいつもオレだって分かんだよ?」
「勘」
昔からずっとこうだ。
裕一が整備している背中をこっそり眺めているつもりでも、いつも気づかれている。
なんでだよ……。
小夏の話が頭の中でぐるぐるして、どう言葉にしていいか分からない。
地震のとき、政府はどう動いた?
教官との関係は?
今もSSSなのか?
聞きたいことが多すぎて、どれも喉の奥から出てこない。
「なぁ、カズマ」
工場の奥。
シートをかけられたまま、ずっと気になっていた一台の車。
何度聞いてもはぐらかされたそれの前で、裕一がカズマを呼んだ。
シートが舞うように外される。
赤い。
眩しいほどの赤だった。
簗瀬の青と向き合うような、真紅のシルビア。
埃ひとつないボディは、誰にも触らせなかった年月を物語っている気がして――カズマは息を呑んだ。
「乗ってみるか?」
その声に応えるように、エンジンの下から微かな熱が立ち上る気がした。
まるで、走りたくて誘っているように見えた。
お読みいただきありがとうございました。
次回は幼馴染の本気首都高バトルです。




