表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/12

第10話『多々良さんの告白』

「どういうことだよ!? 告白止めたほうがいいって!?」


 声が裏返るほど焦った俺に、蓮の声が、珍しく少しだけ曇っていた。


「今、練習の休憩中なんだけどさ……たまたま聞いちゃったんだよ。三年の先輩たちが話してて──桐生先輩、東高の彼女がいるっぽい。まだ確定じゃないけど、雰囲気的に……」


「……嘘、だろ……」


 息が詰まる音が、自分でも聞こえた。


 確かに、彼女がいる可能性は考えた。

 でも、それなら普通はもっと分かりやすくなるもんじゃないのか?

 特に、サッカー部みたいなキラキラリア充集団なら──情報はもっと前に出回ってるもんだと思ってた。


「蓮、お前それ……もっと早く知ってたら……!」


「いや、俺も初耳なんだよ! ほんとにごめん!……練習戻る! どうするかは冬真が伝えてやってくれ!」


 通話がブツッと切れる。


 静寂が、重たい。


「どうするも何も……とにかく、止めないと……」


 すぐにスマホを握り直し、LINEを開こうと親指を動かしかけたその時──


「待って」


 月島が俺の手を、そっと掴んだ。


 いつもは冗談ばかりの彼女の顔が、今日はやけに静かで、柔らかく、どこか切ない。


「止めないほうが……いいと思う」


「……えっ?」


 予想外の返答に、言葉が詰まる。


「おいおい、これ……ほぼ『負け戦』だぞ? 多々良は知らないんだぞ、相手に彼女がいるかもしれないって……!」


「……うん、それでも」


 月島は俯いたまま、ぽつりぽつりと呟くように続けた。


「でもね……さくらちゃんは、中学生のときから、ずっと桐生先輩が好きで……。やっと、やっと近づけて……勇気を振り絞って、今日を決めたのに……。ここで止めちゃったら、何というか……告白したときよりも後悔しちゃうと思う……」


 それは、いつもの月島じゃない声だった。


「そ、そう……か?」


 俺は思わず聞き返した。自分の心に引っかかっていた何かを、月島が言葉にしてしまった気がした。


「『不戦敗』は『大敗』より……悔しいよ……」


 月島は小さく笑った。だけどその笑顔は、どこか痛々しかった。


「勝てないかもしれない。傷つくかもしれない。けど……『言わなかった後悔』って、『フラれた後悔』よりずっと深いと思うんだよ」


「……」


 俺は黙ったまま、スマホを見つめた。

 すでにLINEを送るべきかどうか、指が止まったまま動かない。


「だから……迎えよう。何も言わず、全部終わって、戻ってきたさくらちゃんを。そのとき、話を聞いてあげればいい。西宮なら、きっと、うまく受け止められる」


 月島がそう言ったとき、「隣にいる」ってこういうことなんだと理解した。


「……ああ、わかった。迎えるよ。何があっても、ちゃんと聞く」


「うん……それでいいと思う」


 部室からは、先ほどまでの焦りも緊張も消えていく。

 ただ、来るべき時間を、ふたりで静かに待っていた。


 ──だが、いくら経っても多々良は部室に現れなかった。


 時計の針はとうに予定の時刻を過ぎている。


(おかしい……そろそろ練習も終わって、戻ってきてもいい頃なのに……)


「……さすがに、遅いよね」


 月島も椅子に座ったまま、さっきよりずっと真剣な顔で呟いた。


「……やっぱ気になる! 月島はここで待ってて! 俺、多々良探しに行ってくる!」


「え、ちょっと──」


 月島の制止を振り切って、俺は部室を飛び出した。


 脚が自然と走り出す。教室でもない、昇降口でもない。

 告白をする予定だった──体育館裏だ。


 生徒の気配も少なくなった校舎を駆け抜けながら、頭の中で様々な可能性が渦を巻いていく。


(もしかして、振られて泣いてるとか……)


 胸の奥がざわつく。


(先輩と話すことができたといってもまだ数日間……やっぱりまだ早いって止めたほうが……いや、でも先輩に彼女がいるなら早かれ遅かれ……)


 あのとき止めるべきだったかどうかなんて、今更考えてもしょうがないことが脳内をめぐる。


 雨音が響く渡り廊下を通り抜け、体育館裏に差し掛かったそのとき──

 視界の端に、小さな人影が見えた。


 体育館裏、屋根の下のベンチに、小柄なシルエット。

 それは間違いなく、多々良さくらだった。


 いつもより少しだけ小さく見える背中。

 声をかけるべきか、迷った──でも、立ち止まっている場合じゃない。


「多々良!」


 俺の声に、彼女の肩がピクリと揺れる。


 ゆっくりと振り向いた顔は、笑っているようにも、泣いているようにも見えた。


「西宮くん……」


 小さな声が、確かに俺を呼んだ。


「ごめんなさい……振られちゃいました……」


 彼女の声は震えていたけど、それでも泣いてはいなかった。


「でも……話は、ちゃんと聞いてくれました。『ありがとう』って、言ってくれたんです。でも……もう、彼女がいるって……。届きませんでした……」


 俺はなにも言えなかった。

 言葉を選ぼうとしても、全部、軽すぎる気がした。


「そっか……」


 ただ、それだけが絞り出すように出た。


 しばしの沈黙のあと──


「──でもね、西宮くん」


 多々良が顔を上げた。


 瞳は濡れていて、それでもその目は、真っ直ぐだった。


「言えてよかったです……後悔は、してません……!」


 灰色の空の隙間から、かすかな光が差し込み、彼女の頬を淡く照らしていた。


「でも……でもやっぱり……悲しいです……」


 その瞬間、張り詰めていた何かがぷつんと切れたように、

 多々良の瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。

 声も上げず、ただ静かに、絶え間なく。


 ──その涙は、どこか凛としていて、美しいとすら思えた。


 泣きじゃくるわけでも、崩れ落ちるわけでもない。

 彼女は涙を拭こうとさえしなかった。

 まるで、すでにこの事実にも、ちゃんと受け止めようとしているみたいだった。


 止めるべきだったかもしれない。言うべきだったかもしれない──桐生先輩に彼女がいるという、あの情報を。


 でも。

 それでも。


「……よく、伝えられたと思う」


 絞り出した声は、ただそれだけであった。


 多々良は少しだけ、首を横に振った。


「……だって、背中を押してくれたの、西宮くんだから……」


 その声は震えていたけど、芯の通ったものだった。


「私……伝えられないままだったら、ずっと後悔してた。だから……ありがとう……!」


 彼女は、知っていたかもしれない。

 何かを、察していたのかもしれない。


 それでも自分の想いを、真っ直ぐにぶつけた。

 きっと、正解なんてなかった。


 多々良の言葉に、俺は黙って頷いた。


 雨は、いつのまにか止んでいた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ