真実
テツ先輩と別れたあと、私は一人で駅へ向かって歩いていた。先輩と過ごした時間を思い返しながら、胸の奥に広がる複雑な感情を整理しようとしていた。
「テツ先輩、きっとカヅキさんのことでずっと苦しんでるんだろうな…」
そう呟くと、自分の中に芽生えた疑問が再び頭をもたげてくる。どうして芯が強く、最後まで諦めないと語られたカヅキ先輩が自殺を選んだのか。テツ先輩が感じている負い目は、本当に正しいのだろうか。
(違う気がする…何か、もっと別の理由があるはず…)
考え込んでいた私の肩を、急に後ろから誰かが軽く叩いた。
「ちょっと、アオイ!何一人でぼーっとしてんのよ?」
振り返ると、ミキが片手に大きなジュースを持ちながらこちらを見ていた。彼女は、少し呆れたような、それでいて心配そうな顔をしている。
「あ、ミキ…帰り道、つい考え事してて」
「まあ、なんとなく分かるよ。どうせテツ先輩のこととかでしょ?」
核心を突かれて、私は少し頬を赤らめながら言い訳をした。「そ、そんなことないよ!別に…その…」
「はいはい。で、どうだったの?勇気出して話しかけた成果は?」
ミキはニヤニヤしながら私の顔を覗き込む。
「ちゃんと話せたよ。それに、中学時代の野球の話とかカヅキ先輩のこととか、いろいろ聞けた」
その言葉に、ミキの表情が少し変わる。「…カヅキ先輩って、あの亡くなったっていう?」
「うん。テツ先輩、今でも気にしてるみたいだった。自分がもっと何かできたんじゃないかって…それにカヅキ先輩の話を聞いていたら自殺するような人じゃない気もするんだ。」
私がそう言うと、ミキは少し考え込むような表情をしたあと、真剣な口調で言った。
「アオイ、それならさ…もっとちゃんと調べたら?私も手伝うよ」
「え?」
「だってさ、テツ先輩がずっと気にしてるんでしょ?その原因が本当に自殺だったのか、それとも違う理由があったのか。それが分かれば、テツ先輩も少しは楽になるんじゃない?」
ミキの言葉に、私はハッとした。確かに、漠然とした疑問や違和感を抱えているだけでは何も変わらない。行動に移さなければ、テツ先輩の抱えている苦しみを少しでも和らげることはできないのかもしれない。
「…ありがとう、ミキ。本当に助かるよ」
「まあ、親友だからね。ほっとけないってだけ。んで、具体的にはどうするの?」
ミキがジュースのストローをくわえながら尋ねる。
私は少し考えたあと、決意を込めて答えた。「カヅキ先輩がいた高校の野球部の人たちに話を聞きたい。それに、カヅキ先輩のご家族にも会えたら…」
「なるほどね。じゃあ、最初のターゲットは高校時代のチームメイトか。ちょうどカヅキ先輩の高校の野球部のメンバーを調べてみようよ」
「そうだね。でも、どうやって調べるの?」
ミキはスマホを取り出し、にやりと笑った。「こういうのは私に任せなさい。SNSと知り合いネットワークを駆使すれば、たいていのことは分かるってば」
頼もしいミキの姿に、私は少しだけ希望を感じた。
それから数日後、ミキの迅速なリサーチのおかげで、カヅキ先輩の高校時代の野球部キャプテンに連絡を取ることができた。ミキの友人の知り合いを介してアポを取り付けることに成功したのだ。
「ほんと、ミキには頭が上がらないよ…」
そう言いながらも、私は初対面のキャプテンに何を聞けばいいのか、どう伝えればいいのかで頭を悩ませていた。
(カヅキ先輩の真実が分かったら、きっとテツ先輩も救われる…)
その思いが、私の背中を押していた。
「アオイ、次のステップは野球部の人たちとの接触ね。あんたが持ってるその熱意、ちゃんと伝えなさいよ?」
ミキがそう励ましてくれるのを聞きながら、私は静かに拳を握りしめた。
「うん。必ず何か分かるはずだから…!」
新たな決意を胸に、私はカヅキ先輩の真実を探るための一歩を踏み出した。
夕方の柔らかな陽光が街を包む中、アオイは一人カフェの入り口で立ち止まっていた。スマートフォンには、ミキが取り付けてくれた約束の詳細が表示されている。画面には「野球部キャプテン・西村啓太」の名前が記されていた。
「ミキも来てくれるんでしょ?」
「えっわたし行かないよ。部外者だし、どんな顔して聞いてればいいかわかんないし、重い話とか苦手だし」
と言って一人にされてしまった。
(本当に聞いてもいいのかな…)
迷いが胸をよぎるが、一度決意した以上、後戻りはできない。カヅキ先輩の死の真相を知りたい。その理由は、自分の中ではっきりと形になりつつあった。
カフェの中に入ると、窓際の席に制服姿の少年が座っていた。短髪で健康的な肌、背筋を伸ばして座る姿に真面目さが滲み出ている。
「こんにちは、初めまして。お時間いただいてありがとうございます」
アオイが声をかけると、西村は柔らかく笑いながら立ち上がり、挨拶を返した。「ああ、話を聞いて正直驚いたよ。カヅキのことを知りたいなんて。」
席に座ると、アオイは緊張しながら本題に切り出した。
「実は、カヅキ先輩が亡くなられた理由について、ずっと気になっていて…本当に自殺だったんでしょうか?」
その質問に、西村の表情が一瞬曇った。彼は視線を少し落とし、苦しげな表情でゆっくりと口を開いた。
「いや…自殺なんかじゃない。カヅキは病気で亡くなったんだ。」
アオイは驚いて息を呑んだ。「え…病気だったんですか?でも、それならどうしてそんな噂が…」
「それは俺も分からない。ただ、あいつは最後まで自分の病気を周りに隠していたから、俺たちチームメイトでさえ知ったのは、最後の大会が終わってからだった。」
西村の言葉に、アオイはさらに驚いた。
「最後の大会が終わったあと…?」
西村は頷きながら続けた。「練習中に背中の痛みで倒れて病院に運ばれた。でも、あいつはその後も病気を誰にも話さずにリハビリを続けてたんだ。戻ってくることを目標にしてたけど、結局、戻れないまま病気が悪化していった。」
アオイはカヅキの強さと覚悟に驚嘆しながら、西村の言葉に耳を傾けた。
「最後の大会が終わって、あいつが病気だと知ったとき…正直、全員がショックを受けた。でも、俺たちはあいつの意志を尊重して、何も言わないことにしたんだ。」
西村の声には苦しみが滲んでいた。
「それからしばらくして、あいつの病状が急に悪化して…亡くなった。」
アオイはしばらく何も言えなかった。カヅキが病気を隠しながらも最後まで戦い抜いた姿を思い浮かべると、その重さに胸が締め付けられるようだった。
「でも、俺たちはあいつに最後に会えたんだ。」西村が続ける。
「病室でですか?」
「ああ、最後の試合の後、俺たち全員で病院に行った。あいつはすごく痩せてたけど、俺たちを見ると少し笑ってくれた。」
西村は当時を思い出すように少し視線を上に向け、静かに語った。
「あいつ、自分がチームの役に立てなかったって謝ってた。でも俺たちは全員で言ったんだ。『カヅキ本当にごめん。俺たちは変わるのが遅すぎたよな。でもお前がいたから、俺たちは勝てた』って。あいつが最後まで全力で戦ってくれたから、俺たちは団結して勝利を掴むことができたって。」
「その言葉、カヅキ先輩はどう受け止めたんですか?」
「しばらく黙ってたけど、やがて泣きながら笑ってたよ。『そうだったんだ…俺の努力は無駄じゃなかったんだな』って言ってた。それを聞いて、俺たちも救われた気がした。」
西村の声が少し震えるのを、アオイは感じた。彼もまた、深い感情を抱えているのだ。
「それと、最後に一つだけ伝えたいことがある。」西村はふと思い出したように話を続けた。
「カヅキ、最後に手紙を書いていたみたいなんだ。自分がいなくなったあとも仲間たちに思いを伝えたくて。中学の野球部のメンバーの分も書いて両親に託してたはずだ。」
「手紙…」
「そうだ。きっと、あいつの家族がまだ持っているはずだ。もし本当にあいつのことを知りたいなら、その手紙を読むといいよ。」
アオイは深く頷き、決意を固めた。
失礼かもしれないけどカヅキ先輩の家に行こう。
夕方、カヅキの家の玄関先に立つアオイの心は、緊張と決意で張り詰めていた。西村の話を聞き、カヅキが最後に書いたという手紙の存在を知った以上、それをテツ先輩に届ける使命が自分にあると感じていた。
チャイムを押すと、数秒後に優しそうな女性が扉を開けた。カヅキの母親だった。アオイは深く頭を下げ、「突然お伺いしてすみません。アオイと申します。カヅキ先輩の中学時代の後輩で…少しお話を伺えればと思いまして」と声を震わせながら伝えた。
母親は一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに柔らかい笑顔で「中学の後輩さんなのね。どうぞ、入ってちょうだい」と言い、アオイを家の中へ招き入れた。
居間に通されると、そこにはカヅキの写真が飾られていた。野球部のユニフォーム姿で微笑む彼の姿を見て、アオイは胸が熱くなるのを感じた。母親が温かいお茶を差し出しながら話し始める。
「カヅキのことを覚えていてくれるなんて…ありがとう。あの子、いつも真っ直ぐで、不器用だけど一生懸命な子だったのよ。」
アオイは頷きながら、母親の言葉をじっと聞いていた。
「実は、私たち家族にも最初は病気のことを隠していたの病院にも行かず苦しかったと思うわ。最後の大会が終わるまでは、友達にも絶対に口にしないって決めていたみたいで…。病院に運ばれて初めて、あの子がどれだけ苦しんでいたのかを知ったわ。」
声が少し震え始めた母親は、そっと目元を拭った。
「でも、あの子は決して弱音を吐かなかったの。『僕は大丈夫だから』って何度も言って…。それが、あの子の強さでもあり、親としては悲しいかったわ。」
アオイはその言葉に胸を締め付けられるような思いを抱きながら、「本当に強い方だったんですね」と静かに答えた。
「最後に、チームの皆さんが病室に来てくれたことは、あの子にとって本当に救いだったと思うの。それまでずっと、自分が役に立たなかったんじゃないかって思い込んでいたみたいで…。でも、みんなが『お前のおかげで勝てたんだ』って言ってくれて、やっと笑顔を見せたのよ。」
母親は写真を見つめながら、少し微笑んだ。
「あのときのカヅキの顔、今でも忘れられない。きっと、あの子の人生で一番安心できた瞬間だったんじゃないかしら。」
アオイもまた、カヅキの最後の笑顔を想像し、胸が熱くなるのを感じた。
少しの沈黙の後、母親はふと思い出したように立ち上がり、居間の隅に置かれた木箱を開けた。その中から数枚の封筒を取り出し、アオイの前にそっと置いた。
「実は、あの子が亡くなる少し前に手紙を書いていたの。『自分がいなくなったあとに渡してほしい』って…。仲間たちやお世話になった人への感謝を書いたみたいで、これがその一部。」
アオイは思わず息を呑んだ。
「これ、テツ君宛ての手紙もあるの。お通夜の日に渡そうと思ったんだけど…どうしても渡せなくて。それ以来、ずっとここに置いたままだったの。」
母親の声は震え、目には涙が浮かんでいた。
「アオイさん、これをテツ君に渡していただけないかしら?私が渡すより、きっとテツ君も受け取りやすいと思うの。」
アオイは驚きながらも、静かに頷いた。
母親は感謝の言葉を繰り返しながら手紙をアオイに託した。封筒には「テツへ」と丁寧な文字で書かれている。
手紙を手にしたアオイは、その重みを感じながら、心の中で静かに誓った。
(これがカヅキ先輩の最後の想いなんだ…。絶対にテツ先輩が読まないといけない。でもそれを私の手から渡す?絶対に違う)
アオイは手紙を見つめながら深呼吸をし、慎重に口を開いた。
「カヅキさんのお母さん。失礼かもしれませんが…これはお母さんがテツ先輩に直接渡すべきだと思います。」
母親は驚いたようにアオイを見つめた。アオイは言葉を続けた。
「テツ先輩は、今もカヅキ先輩の死をずっと自殺だと思い込んで苦しんでいます。でも、テツ先輩にはその真実を、お母さんの言葉で直接聞いてほしいんです。そして…その上で、この手紙を読んでほしいんです。」
母親はアオイの真剣な瞳を見つめ、ゆっくりと頷いた。「そうね…あなたの言う通りかもしれないわ。私が渡さなければならなかったのに、勇気が出なかった。でも、ちゃんと伝えなきゃいけないわね。」
アオイは小さく安堵の息をつき、さらに言葉を重ねた。
「それに…私はテツ先輩ともっと仲良くなりたいと思ってカヅキ先輩が残した手紙の存在を知ってここまで来ました。でもこんな大事なことを、私自身のために利用するなんて、絶対にしたくないんです。お母さんが渡してくださるなら、テツ先輩もきっと素直に受け取れると思います。」
母親はその言葉に微笑み、静かに手紙を手にした。「ありがとう、アオイさん。私に勇気をくれたわ。テツ君に、ちゃんと伝えるわね。」
アオイは深く頭を下げた。「ありがとうございます。お母さんならきっと、テツ先輩に届くと思います。」
家を後にしたアオイの目には、新たな使命感と希望が宿っていた。彼女は強く信じていた。カヅキの想いは、お母さんの手によって、きっとテツ先輩に届くと。




