自分の軸
『自分に正直に生きる強さ』を持つ。
カヅキと交わした約束の意味を、僕は何度も反芻していた。それが何を意味するのか、どうすれば手に入るのか、未だによく分からない。それでも、その中で一つだけ、確かに分かっているものがある。それはナオとの約束だ。
「わたしテツと同じ大学に行きたい!私が目指しているのはココ!一緒に行こ。お願い!」
ナオが望んだこれだけは、絶対にやり遂げる。これが達成されなければ、僕のすべてが崩れてしまう。だから、勉強だけは続けることに決めていた。
ここ数日、一人で色々と考え込んでいたけど、正直何をすればいいのか分からなかった。僕はこれまで、自分に正直に生きてきたわけではなかった。ただ環境の変化に流され、それに適応するために自分を変えてきただけだ。それがカヅキには『自分に正直に生きる強さ』に見えていたのかもしれない。でも、それは誤解だった。
「ならば本当の意味で、その強さを手に入れなきゃいけない」
そう決意したものの、何から始めればいいのか分からないままだった。
その時、スマホが震える音が部屋に響いた。画面を見ると、クリからのメッセージが入っていた。
「テツ横浜遊びに行くぞ」
「すぐ連絡しろ」
そのメッセージを見た僕は、返信もせずスマホをそっと閉じた。
「遊んでる場合じゃないんだよ」
そう呟いて、机に向かう。頭がぐちゃぐちゃな時は、とにかく勉強に集中して、余計な考えを追い払うようにしていた。ここ数日、頭が混乱することが多かった分、勉強の時間だけは確保できていた。
「ナオとの約束を果たす。自分に正直に生きる強さを身につける」
自分にそう言い聞かせた矢先、スマホが再び鳴り響く。見るとクリからの電話だった。メッセージに返信しなかった僕に、痺れを切らしたらしい。
「……こいつ、絶対出るまで鳴らす気だな」
仕方なく電話に出ると、クリの軽い声が響いた。
「なんだよ、しつこいな!」
「おっいきなりそれか?いいから遊びに行くぞ。1時間後、西口な!遅れんなよ」
クリの言葉に、少し笑いが込み上げてくる自分に気づいた。
「たく、しょうがないな……」
そう呟きながら、僕は準備を始めた。
約束の時間に駅に着くと、クリがいつもの気楽そうな顔で待っていた。
「お、よく来たな、テツ!」
「…しつこく呼び出しといて、何なんだよ」
クリは肩をすくめて笑いながら、「まずは飯でも行こうぜ」と誘った。二人で近くのファミレスに入り、席に着くと、クリが話を切り出した。
「お前、最近ちょっとピリピリしてるよな。昔は何も考えずに突っ走ってたのに、今は迷ってるって感じだな」
その言葉に、僕はハッとする。悩んでいることを見透かされているようで、思わず視線を逸らした。
「まあ、そういう時期もあるよな。でも、お前が悩んでるのを見るとさ、なんかお前もちゃんと成長してんだなって思うんだよ」
「成長…してるのかな、俺」
僕の問いに、クリはにやりと笑いながら答えた。
「してるさ。ただ、焦るなよ。お前はちゃんと前に進んでる。それにさ、ナオとの約束も、カヅキとの約束も大事なんだろ?」
僕は沈黙しながら、自分の中で言葉を探した。
「…ああ、ナオと一緒にいる未来を考えてる。でも、今の俺じゃ頼りなくて、彼女を支えられる自信がないんだ。それに、カヅキが言った『自分に正直に生きる強さ』って何かも、正直まだよく分からない」
クリは一瞬考え込むような表情を浮かべると、真剣な口調で問いかけてきた。
「じゃあさ、テツ、お前が考える『支える強さ』とか『自分に正直に生きる強さ』って、具体的には何だと思ってる?」
その質問に、僕は答えに詰まり、黙り込んだ。
「…俺がもっと強くなって、ナオやカヅキに誇れる自分になることだと思ってた」
クリは軽くうなずきながら、柔らかい口調で続けた。
「それってさ、ただ自分が強くなるだけでどうにかなるのか?テツ、カヅキが言ってた『自分に正直に生きる強さ』ってさ、きっと自分の大事なものをちゃんと見つけて、それを信じ続けることなんじゃないか?」
その言葉に、僕は目を見開いた。これまで強くなることばかり考えていたけれど、それは誰かの期待に応えるための強さだったかもしれない。自分自身の大事なものに気づき、それを守ることが本当の強さなのかもしれない。
「カヅキとの約束を果たすってのも、お前が自分の軸を持つことなんだと思う。それができたら、自然と強さもついてくるんじゃないか?」
クリの言葉が、静かに心に染み渡る。支える強さも、正直に生きる強さも、すべては自分の中にある「軸」を見つけることから始まるのだと、僕は初めて気づいた。
「……自分の軸か」
僕は小さく呟き、クリに向かって「ありがとう」と言った。その言葉には、少しずつ前に進む決意が込められていた。
家に帰り、「自分の軸」を持っている人を思い浮かべた。
「クリもジュンもきっと軸は待ってそうだけど、ヤマかな」
そうして、自然とヤマの顔が浮かんできた。
ヤマは喧嘩も強く、横浜でも有名で一目置かれている存在でもあった。
「あいつはなんか、いつも自分の軸を持ってる感じがするんだよな…」
迷いながらも、テツはヤマに連絡を入れることにした。するとヤマはすぐに応じてくれ、近くの駅で待ち合わせることになった。だが、待ち合わせ場所に行ってみると、ヤマの隣にはヒトミも立っていた。
「テツ、ナオの事どうするつもり!?」
ヒトミは開口一番、鋭い目でテツを睨みつけてきた。その強い口調に、テツは少し怯みながらも答えを探そうとする。
「俺は、ナオとちゃんと向き合おうと…」
「向き合おうと?それってどういう意味だよ。ナオは今、どれだけテツを支えようとしてるか知ってる?あいつは強い女じゃないんだよ。頼ってばっかりいやがって。ナオはテツにはもったいないから今すぐ別れろ」
ヒトミの声が次第に大きくなる。ヤマが間に入り、ヒトミの肩を軽く叩いてなだめた。
「まあまあ、落ち着けって、ヒトミ。テツもいろいろ考えてるんだからさ」
ヒトミはしぶしぶ一歩引いたが、テツに対する厳しい視線は変わらない。彼女の言葉が胸に刺さり、テツは再び迷いを感じた。
ヤマはそんなテツを見つめながら、ふと静かに口を開いた。「なあ、テツ。小学生の頃、俺にとってお前はヒーローだったんだぜ」
「え?」
「お前が恐ろしいほどブカブカなユニフォームで、あの頃の大人たちに平然とヒット打ってたの、覚えてるか?俺はそれがすごいカッコいいって思ってさ。お前は自分の力を信じて、ただ目の前の勝負に全力で向き合ってたよな」
テツはその言葉に、一瞬言葉を失った。まさかヤマがそんな風に思っていたとは知らなかったのだ。
僕はヤマに自分の軸について尋ねた。
「俺の軸って言うなら、それは『カッコよく生きる』ってことだ。誰かを守る強さだったり、知識だったり、ファッションだったり…でも結局、自分が『これがカッコいい』って思う自分でありたいってことさ」
「カッコよく、か…」
ヤマはテツの目をじっと見つめて、さらに問いかけた。「じゃあ、テツ、お前が今まで後悔しなかった選択って、何かあるか?」
テツは少し考え込んだが、やがて答えが浮かんできた。「…ナオと付き合ったこと、小学校で野球を始めたこと、あと、高校でDJを始めたこと、かな」
ヤマは静かに頷くと、さらに質問を続けた。「じゃあ逆に、後悔してることって?」
テツは言葉を詰まらせ、迷いながらも口を開いた。「…カヅキに何もしてやれなかったこと、勝手に野球を辞めて中学の仲間たちと離れてしまったこと、かな」
ヤマはテツの答えを聞きながら、少し微笑んで続けた。「その後悔してない選択と後悔してる選択、何か共通点はあるか?」
テツはヤマの問いに答えを探し始めた。そしてふと、心の中で気づきが生まれた。自分が後悔しなかった選択には、自分の思いや意志をまっすぐに貫いた瞬間がある一方、後悔している選択には、周りに流され、自分の気持ちを見失った瞬間があることに気づいた。
ヤマはテツの表情を見つめて、静かに言った。「それが、お前の軸なんじゃないか?『まっすぐ生きる』ことだよ。周りや結果に左右されず、自分の気持ちを信じて、選んだ道を進むってことさ」
テツはその言葉に、やっと何かが腑に落ちたような気がした。「まっすぐ生きる」。それが自分の軸だと感じた。
だが、ヤマはさらに問いかけてきた。「じゃあ、お前がまっすぐ生きるために、何が必要なんだと思う?」
「まっすぐ生きるために…?」
「そう。例えば、俺がカッコよく生きたいって思うなら、自分のスタイルを持ち続けることとか、決断に迷わない自分でいることが大事なんだよ。お前にとっては、何が必要なんだ?」
テツはしばらく考え込んだ。そして、ひとつずつ答えが浮かんできた。
「…まずは、流されないこと。自分の意志をちゃんと持つっていうか」
ヤマは頷き、「いいじゃん。他には?」
テツはさらに考えを巡らせる。「あとは、正直でいることかな。自分にも、人にも嘘をつかないで、ちゃんと向き合うこと」
「それも重要だな。まだあるか?」
テツは深呼吸し、もうひとつ思い浮かべた。「結果を怖がらないこと。何かを選ぶってことは、いい結果も悪い結果もあるだろうけど、それを受け入れる覚悟もいると思う」
ヤマは満足そうに笑い、「いい感じじゃん。『まっすぐ生きる』ために、お前が大事にしたいものが見えてきたな」と肩を叩いた。
ヤマは言葉を続ける。「いいかテツ、今後の人生で迷った時、その軸で決断していけばお前は今後の人生少なくとも後悔はしない。」
テツはその言葉に微笑んで、
「てかヤマすごいな。お前将来何になるつもりなんだよ?」
「決まってんだろ。大物だよ」
「テツ、ヤマをお前みたいな小物と一緒にすんなよ」
ヒトミが偉そうに言う。
そして、ふとヒトミにも聞いてみる。
「てか、ヒトミ。ちなみにヒトミの軸って何?」
ヒトミは驚いたように目を見開いたが、すぐに腕を組んで得意げに答える。
「それはもちろん、『一番輝いてる私でいること』よ!」
テツとヤマは思わず顔を見合わせ、吹き出してしまった。
「さすがヒトミだな、ブレないわ…」
ヒトミは肩をすくめて笑いながら、「いつだって周りが見とれるくらいキラキラしてなきゃ私じゃないしね」と胸を張る。
その場が和み、三人の間に軽やかな笑いが広がった。ヤマのおかげで自分の「軸」が見えてきたテツは、二人に「ありがとう」と静かに微笑んだ。




