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12/22

突然の別れ

その日、僕はゆっくりと目を覚ました。カーテンの隙間から差し込む朝の光が部屋を柔らかく照らしている。9月の初め。まだ夏の暑さが残る中、窓の外では蝉の声が聞こえていた。


ベッドの上で伸びをして、習慣のように枕元の携帯を手に取る。画面を開くと、ナオからのメッセージが届いていた。

「おはよう! 今日も頑張ろうね!」

簡単な一言だったけど、それを見ると不思議と気持ちが軽くなる。これが僕の毎朝のルーティンで、ちょっとした心の支えでもあった。


その時、部屋のドアをノックする音がした。振り向くと、母がそっと顔を覗かせた。


「テツ、ちょっと聞いてほしいことがあるんだけど…。」


声のトーンがいつもと違った。どこか重く、ためらいがちだ。母は部屋に入ってきて、ベッドの横に立った。その表情には、何か言いづらいことを抱えている気配があった。


「どうしたの?」

僕がそう聞くと、母は少し口を開いてから、重い言葉をゆっくりと絞り出した。


「カヅキ君…亡くなったそうよ。最近学校にもあんまり行ってなかったみたいだし、自殺だったんじゃないかって。」


その言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。心臓が一瞬止まったように感じ、耳鳴りがする。言葉の意味を理解するのに時間がかかった。


「え…カヅキって…あの野球部のカヅキ?」


声に出した自分の言葉が、他人事のように遠く感じた。母は静かに頷いた。


「お母さんも今朝聞いたばかりだけど…土曜日にお通夜があるって。」


信じられなかった。ついこの前、電車で見かけたばかりのあのカヅキが?何も変わらず、あの頃のままの姿をしていたカヅキが?言葉が浮かばず、ただ座り込んでしまった。


母が少し気まずそうに続けた。

「野球部のみんなもきっと行くんじゃない?あなたも考えておきなさいね。」

そう言い残して、部屋を出ていった。


部屋には静寂が訪れたが、僕の頭の中はぐちゃぐちゃだった。心臓がざわつき、胸の奥がひどく痛む。

「どうして…?」


その言葉が何度も頭を巡る。信じられない気持ちと、あの日声をかけなかった後悔が一気に押し寄せてきた。


あの日、電車の中で見かけたカヅキ。僕は彼の姿を見て「変わっていないな」と思った。その変わらなさを「カッコ悪い」と一瞬でも感じた自分がいた。でも本当は、彼の真っ直ぐさにずっと憧れていた。


「話しかけるべきだった…」

その後悔が胸を締め付ける。


中学時代、僕たちは同じ野球部で一緒に汗を流していた。カヅキは不器用で、口数も少なくて、でも誰よりも真面目だった。カヅキの変わらない強さで道を切り開くはずだと勝手に思ってた。何も変わらないように見えたけど、本当はずっと苦しんでいたのかもしれない。


僕は、そんなカヅキに何もできなかった。いや、何もしなかった。あの日、電車の中でただ目を逸らしてしまった自分が恨めしい。


「土曜日…行けるかな。」

小さく呟く自分の声が空虚に響いた。カヅキの死と向き合うことが怖かった。お通夜に行けば、彼の死を現実として受け入れなければならない。でも、逃げてはいけないという気持ちも同時に湧き上がる。


それから、ずっとカヅキとの記憶が脳裏をよぎった。中学時代、カヅキは僕がどんなに落ち込んでいてもそばにいてくれた。励ましの言葉をかけるのが下手で、それでも「テツなら大丈夫だよ」って、不器用な言葉で背中を押してくれた。


「(僕は、カヅキに何を返せたんだろう…?)」

その問いに答えられない自分が情けなかった。


土曜日、お通夜に行くべきか、友達との約束を優先すべきか悩む自分がいた。その悩み自体が、どれだけ自分が弱い人間なのかを突きつけてくる。


「(僕にカヅキの死と向き合う勇気はあるのか?)」

その答えが見えないまま、僕はただ床に座り込み、静かに過ぎていく時間を感じていた。


窓の外から聞こえる蝉の声が、妙に遠く感じた。その音は、今の僕には届かない。



「カヅキが、死んだ……」


その言葉が頭の中で繰り返し反響する。信じられない。まるで現実感がなかった。あのカヅキが、あの日電車で見たばかりの彼が、もうこの世にいないなんて。


何か言いたげな顔をしていたのに、僕は目を逸らしてしまった。あの瞬間に話しかけていたら、何かが変わっていたのだろうか?そう思うと胸が締め付けられる。


僕は床に座り込んだまま、頭の中でぐるぐると思考が回り続けた。過去の記憶、カヅキの笑顔、そしてあの電車の中での沈黙。その全てが絡み合って、ひどく重くのしかかってくる。


「俺が……俺が話しかけていれば……」


喉から零れ落ちた言葉は、虚しく部屋の中に響く。自分の声がやけに遠く聞こえた。突然、強烈な後悔の念が押し寄せる。あのとき、僕はただカヅキを「ダサい」と思って目を逸らした。自分が変わったことに満足して、彼をただ遠巻きに見ていただけだった。そして、その結果がこれだ。


「俺のせいだ……」


自責の念が胸を鋭く刺す。こんなことになるなら、何度でも話しかけに行けばよかった。何でもいいから、何か一言でも言えばよかった。でも、僕はそうしなかった。その事実が重くのしかかり、息苦しささえ感じる。


しばらくぼんやりと座り込んでいたが、急に動かなければいけない気がした。何か、何かしないとこの気持ちに押し潰されそうだった。けれど、何をすればいいのか分からない。ただ無意識にスマホを手に取り、昔の野球部のグループチャットを開いた。


そこにはもう誰もいないような空気が漂っていた。最終メッセージは、誰かが送った中学卒業の挨拶だった。画面をスクロールしても、そこにあるのは過去の痕跡だけ。


「カヅキが死んだ。みんな、知ってるか?」


そう打ち込もうとして、指が止まる。自分にはそれを送る資格がないように思えた。僕は野球を辞め、カヅキと疎遠になった。彼が苦しんでいたことに気づけなかった僕が、こんな風に知らせるのは違う気がした。


「……」


何も送れないまま、ただ画面を見つめているとスマホが突然震えた。画面には、ヒカルの名前が表示されていた。


「テツ、カヅキのこと、聞いたか?」


その短いメッセージが、胸に鋭く刺さった。僕は震える手で返信を書こうとするが、言葉が見つからない。


「聞いたよ」──それだけを打とうとしても、指が動かない。ようやく何とか送信したころ、すぐにヒカルからメッセージが返ってきた。


「今から電話してもいいか?」


一瞬迷ったが、拒む理由もない。少し間を置いて「いいよ」と返信すると、すぐにスマホが鳴り始めた。


「もしもし……」


僕が電話に出ると、ヒカルの低い声が聞こえた。いつもの明るい調子とは全く違い、どこか沈んでいる。


「テツ……信じられないよな、カヅキのこと。みんなからも連絡があったけど、誰もどうしていいか分かってないみたいだ。」


僕は黙ってその言葉を聞いていた。何を言えばいいのか分からない。ようやく声を振り絞って返事をする。


「俺も……信じられないよ。この前、電車でカヅキを見たんだ。でも、何も話しかけなかった。俺が、声をかけていれば……」


そう言うと、ヒカルはしばらく沈黙した。そして、ゆっくりと話し始めた。


「俺たち、何かできたのかな……。ずっと考えてた。でもさ、カヅキがどれだけ一人で苦しんでたか、俺たちは分からなかったんだよな。」


その言葉に、少しだけ救われた気がした。ヒカルも同じように後悔している。自分だけじゃないんだ。そう思うと、少しだけ気持ちが軽くなった。


「お通夜には行くよな?」ヒカルが問いかけてきた。


「……うん、行くよ。」僕はすぐに答えた。これ以上逃げるのはやめようと思った。


「みんなで集まろう。カヅキに最後の別れをしっかり伝えよう。」ヒカルのその言葉に、僕は静かに頷いた。


電話が切れたあと、部屋には再び静寂が戻った。窓の外から聞こえる蝉の声が妙に遠く感じる。それでも、少しだけ前に進む決意が固まった気がした。


カヅキに何もできなかった。けれど、最後の別れくらいはしっかり伝えたい。その思いを胸に、僕は深く息を吐いた。


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