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勝利の意味

春になり、カヅキは高校3年生になった。昨年の敗戦以降、彼は自分を変えたいと切望していたが、具体的に何をすればいいのか見当がつかなかった。


野球は絶対に辞めたくない。彼には野球しかないと思っていたが、チーム内での彼の孤立は更に深まる一方だった。


「僕は誰よりも練習しなければならない」


でも、周囲との溝は広がるばかりで、彼の孤独感は日増しに増していった。ただ自分の居場所を作りたいだけなのに現実は厳しいものがあった。


「カヅキ、お前まだやるの?練習とかもう意味ないって」とチームメイトに言われ、彼の心は折れかけていた。


しかし彼はそれでも野球を諦めることができなかった。それが彼のアイデンティティであり、自分が自分である証だったからだ。


チームの練習中、カヅキは経験した事のない痛みを背中に突然感じる。冷や汗が流れる。呼吸も苦しい。その場にうずくまり動けなくなった。


病院に行き検査を受けたがその時点では理由ははっきりしなかった。


彼はリハビリをしながら、一人で時間を過ごすことが増えた。その孤独な時間は彼にとってさらなる精神的な試練となった。


彼は次第に自己疑念に陥り、自分の価値やこれまでの努力が無意味だったのではないかと感じるようになる。孤独と痛みに苦しみながら、彼はどん底の状態に追い込まれていく。


中学生の時に回った歯車が環境が変わって高校に進学した途端に全然回らなくなった。カヅキにはその理由がわからなかった。僕はあの頃より頑張っていたのに。


カヅキのチームメンバーはカヅキの怪我を受けて緊急ミーティングを行なっていた。


「なあ俺たち本当にこのままでいいのか?」

何人かのメンバーが疑問を呈した。


「俺はカヅキの分まで頑張りたい。できるやつだけでいいから練習しないか?」


一部のメンバーがカヅキの精神を受け継ぎ、より一層練習に打ち込むようになる。


カヅキの献身的な姿勢が、彼らを奮い立たせたのだ。その輪は次第にチーム全体へと広がっていく。

チームが初めて一つの目標に対して纏まる。


それはカヅキが変わらない姿勢を貫いたからだった。中学生の時とは少し違うでもカヅキの変わらない姿勢はチームを動かした。


しかし、この変化はカヅキ自身には伝わらなかった。


彼の心はすでに絶望で覆われていた。最終的に、彼はチームの変化に気づくことはなかった。


結局カヅキは背中の痛みが原因で3年の最後の試合も出る事ができなかった。


3年生の一回戦をカヅキはスタンドでチームの試合を一人で見ていた。


途中までは息の詰まる投手戦。


チームは一致団結して声を上げる。

「試合に出れなかったカヅキのために今日は絶対に勝つぞ!あいつが一人で頑張ってたとき俺たちは何もしてなかった。」


ついに5回に一点を入れる。


カヅキは複雑だった。負けてしまえばいいのにとまで思った。


結果、チームは3-1で勝利した。

チームはカヅキのために一丸となり見事に勝利を収めた。



その勝利の意味はカヅキには伝わらない。彼らの変化は遅すぎた。


自分がいない勝利にわくベンチを見てカヅキは涙が止まらなかった。


「自分がいなくてもチームは変わる。僕がいなくても、みんなは前に進むんだ…」


カヅキは自分の存在の無意味さを痛感し、涙を抑えることができなかった。


彼は自分がいない場所での勝利の本当の意味を知らずに、どん底の孤独感に包まれていた。


それ以来結局高校にも行けなくなってしまった。

今も残る背中の痛みが心の痛みとして重くのしかかる。

「僕がやってきた事はなんだったんだろうか」



DJバトルで準優勝した僕はネットのニュースで紹介されて少しだけ有名人になっていた。


高校生DJとしてクラブで回す事もできるようになった。でも3年になると本格的に大学受験の勉強に励む事になった。


「わたしテツと同じ大学に行きたい!私が目指しているのはココ!一緒に行こ。お願い!」

と言われたのだった。正直今の僕の偏差値では厳しい。でもナオのにお願いされたら僕は引けない。夏の間に必死に勉強していた。


「おいテツ!勉強ばっかりしてないで遊ぶぞ!」

とたまにクリとジュンが誘いにくる。あいつらは要領よく推薦を勝ち取っていた。


「うるさい!推薦組!遊べないの分かってて誘ってるだろ!」


ちょうどその頃夏の高校野球の甲子園大会が開催されされていた。中学校時代のエースのヒカルが甲子園にエースとして投げる。


その中継を僕は見ていた。中学校卒業以来一度もヒカルとは会っていない。僕が野球を辞めたのを1番何か言ってきそうなのがヒカルだった。テレビで見るヒカルは身体も大きくなり凄みを増していた。


「野球続けてたらどうなってたんだろ」

ふとそんな事が脳裏によぎった。

でも野球を続けてたらナオともクリともジュンとも会っていないだろうし、今の生活はない。だから野球を辞めた事に後悔はないと自分に言い聞かせた。


人生において様々なタイミングがあって何かを得るためには何かを捨てなきゃいけない。

それが僕がこれまで生きている中で学んだ事だったら。


「ヒカルはやっぱりすげーな」

ふと、そのピッチングを見ていると中学生のときカヅキがヒットを打った光景がなぜか思い浮かんだ。


「カヅキどうしてるかな。野球ももう引退だよな。」

前に会った時の元気のなさが少し気がかりだった。


試合はヒカルが4安打1失点の完投勝利だった。

ガッツポーズをするヒカルを見て少し羨ましかった。


ヒカルのヒーローインタビューを見ていたらヒカルが最後の方に口にした。


「実は僕にはライバルがいるんです。そいつは勝手に野球辞めちゃって。頭きたんですけどでも違う世界で活躍しているって事が分かって、負けてられないなと思ったんです。そいつは2位だったんでぼくは1位目指します!」


「(僕のことだ…)」


ヒカルは何も変わっていなかった。やっぱりあいつはカッコいい。離れていてもヒカルはヒカルだった。僕はなんでヒカルから距離をおいてしまったんだろう。後悔がその時によぎった。



カヅキは、テレビをぼんやりと見つめていた。テレビに映るのは甲子園の試合。中学時代のチームメイトだったヒカルが、エースとして登板している。


カヅキの手はリモコンを握り締めたままだが、チャンネルを変えることはできなかった。


彼の心は、試合ではなく過去に囚われていた。ヒカルは中学時代から自分とは全く違っていた。周囲の期待に応え、結果を出し続け、何より「変わらない」強さを持っていた。


自分が失ったもの、そして変わりたくても変われなかった自分をヒカルの姿に重ねてしまう。


ヒカルがストレートで三振を奪うたび、観客席が沸き立つ。カヅキはそんなヒカルに対して、自分がどれだけ遠く離れてしまったのかを感じ、深い無力感が押し寄せてくる。


カヅキの頭の中に、こうなる前の最後の打席が蘇る。


打つべきだったあの一球。あの時、僕も何か変われたかもしれない。だけど、現実は違った。医者に言われた原因不明の背中の痛み。試合に出られず、チームは自分なしで勝ち進んだ。


僕のいないチームは完璧に機能していた。


そして、僕は誰にも気づかれないまま、消えていく存在になった。


「ヒカルはあの頃から何も変わっていない。僕だけが、ここに取り残されているんだ…」


試合は最終回。ヒカルがマウンドに立ち、チームを勝利へと導こうとしている。


カヅキはその姿を見て、自分が望んでいたものが何だったのかを改めて痛感する。勝利という結果だけでなく、ヒカルはチームの中心に立ち続け、自分の居場所を守っていた。それが、カヅキには何よりも眩しく見えた。


試合が終わり、ヒカルのチームが勝利した瞬間、カヅキの目から涙が零れる。しかし、その涙はヒカルに対する嫉妬や悔しさだけでなく、彼自身が「もう戻れない」ことへの絶望でもあった。


勝利に湧く観客の声も遠くに感じた。


「僕にはもう、何も残っていない…」


ヒカルの試合を見終わった後、カヅキは深い沈黙の中で白い天井を見上げる。自分がこれからどうなるのか、自分でも分からない。ただ一つ確かなのは、もう過去には戻れないということだけだった。


いつからだろう景色がこんなに灰色に見えるのは…。


テレビの光も、部屋の壁も、見慣れない外の風景も、天井の蛍光灯もすべてが灰色のベールを纏ったように見えた。


背中の痛みの原因ももうカヅキには関係なかった。


カヅキは自分の未来を見上げた狭い天井の中で考えられないでいた。



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