新・私のエッセイ~ 第214弾 ~ 英会話ねぇ・・・。うーん、好きな方は、やればいいんじゃない?
・・・昨今、
英語界では、やれ、
「会話会話」と騒がれて久しい。
その影響は、小学校のカリキュラムにまで影響を及ぼしている。
まだ日本語が固まっていないうちから、
表現は悪いかもしれないが・・・
「ちぃちぃぱっぱ英語」で、大人たちにお茶を濁されているような印象さえ、ぼくは感じるな。
「英語が話せない日本人」
「学校の英語の授業で、文法ばっかりやってるからダメなんだ。」
「これからは、英会話能力だろ。」
まぁ、いいでしょう。
たしかにね、
人前で、「ペラペ~ラ」って感じでもって、欧米人と話している才女なんかを見かける機会も増えてきました。
「うわー、カッコイイ。あたしも、ああなりたーい❤️」
って、あこがれる人も多いでしょう。
でもね・・・よーくと、彼らの話す会話の内容を、耳かっぽじって聴いてごらんなさいって。
全部が全部とはいいませんけど・・・
しょーもねぇ、買い物の話だの、明日のお天気の話だの、TVのタレントのスキャンダルの話だの、
そんなのばっかだから(苦笑)。
・・・あとは、せいぜい「自己紹介」っスね。
「人生について」とか、
「キミにとって、小説を書くことの意義や価値とは、いかなるものよ。」
とか、
「私の恋愛観や死生観とは、こういうものです。」
とか、そんな深い会話は、ついぞやらねぇから。
よくよく分析してみますと・・・
単なる「情報交換」と「ご機嫌いかが?」「ありきたりの無難な範囲の虚礼なの❤️」あたりですかね。
ぼくにいわせれば、
「失礼ながら、あんまし中身が入ってねぇ英語だぁね。」って感じ。
でもね、しょーがないっす。
普段から、日本語の会話でも、あんましそういったシリアスな話はしないでしょうから・・・。
ぼく個人の意見や感覚としましては、
「英会話よりも英語の読解力や洋書などの読書力、日本語そのものの実力」を磨いたほうがイイんじゃないか・・・と。
それとね・・・
英検やTOEICを過大評価しないほうがイイと、ぼくは思いますね。
ああいった試験の結果を重視して、
「英検1級」あれば、二次試験の英語を免除するとか、おかしな流れになっているようですけれども、
アレも、どうなんですかね。
試験で測れる外国語の「能力」なんて、ごくごく一部。
「翻訳力」とか「表現のたくみさ」みたいなものは、まったく測れません。
会話には、どの言語においても、
やはり、独立した訓練・トレーニングが必要です。
ちょっと乱暴な物言いになってしまいますが・・・
「とどのつまり、英作文を口頭にしたのが、ようするに英会話である。」
「英作文の口頭による、相手とのリアルタイムでのやり取りこそが、コレすなわち英会話の本質なり。」といえます。
だからね、
「英作文の能力・チカラ」・・・果ては、「語彙力」が低いと、
会話自体のレベルも低くおさえられちゃう、ということになりますよね?
英会話を、レベルの高い・・・さらに、中身の濃い、尊敬に値する領域にもっていきたければ・・・
数限りない、
「例文の音読と暗唱・英文のリスニング訓練」が要ります。
・・・本当に、血のにじむような努力ですね。
それに先立つのが、
いまぼくが取り組んでいるような・・・
「東大の良質な入試問題の英文読解・研究」。
究極的に、最後に「モノ」をいってくるのが、このあたりではないか・・・と。
m(_ _)m
追伸:
ちなみに・・・
ぼくの3人の「心の語学師匠」のうち、
猪浦道夫先生と、黒田龍之助先生は、
そういった、語学の資格試験には関心がなく、持っていらっしゃらない・・・ということである。
しげちゃまもね、
「英検4級」しかありませぬ。
語学の資格試験で関心があるのは、
いま取り組んでいる「全国通訳案内士」の国家資格のみっすね❤️