夜這い
アデールは落ち込んでいた。
勝手に、自分を邪魔だと思い込んで修道院送りになろうと画策していたことを、とても怒られた。
怒られるだけのことをしたと分かっているので、それはいい。
でも、その余波が、エドワードに向くとは思っていなかった。
エドワードはアデールと結婚したいから、大丈夫だと言ってくれた。
けれど、結局は、想定していたよりももっと悪い形でアデールを娶ることになってしまった。
爵位継承にもケチがつくだろう。
父やエドワードに言わせれば、周囲の評価が変わっても、結果は変わらないから大丈夫というのだ。
――自分一人で、責任をとれると奢っていた。
結局、守ってもらうことになるのだ。
明日――謁見で、王から許しがもらえなかったらどうなるだろう。
考えるだけで涙がにじんでくる。
「お嬢様。本日はもう休まれたらいかがですか」
カエラが声をかけてくる。
アデールは、ずっと傍に居てくれたカエラにも謝らなければならないと思った。修道院に行かずに、さらに彼女に謝る機会を得られたことは、有難く思う。
「カエラ……ごめんなさい」
カエラの顔を見ながら謝る勇気はなくて、俯いて、謝罪の言葉をつぶやく。
すると、ぶふっと吹き出したような笑い声が聞こえた。
慌てて上を見上げると、いつも通りのカエラの顔だ。……今の音は何?
「お嬢様が、なぜか頑張って意地悪をしたように見せかけているのは分かっていましたから」
「見せかけじゃなく、きちんと意地悪をしていたわ?」
きちんとというのもおかしな言い方だが。
カエラはそれを聞いて、ぐにゃりと口を歪ませた。まるで大笑いをするのをこらえているようにも見える変な顔だ。
「わざわざ冷ました紅茶の量を減らしてかけたり、片付けやすいように一つだけ紙くずを捨てたり、遠回しに褒めているんじゃないかと思うような嫌味を言ったりですかね。なんの被害もありませんでしたが」
……ショックを受けるのはおかしい。被害が無かったのだから、安心するところなのだが……。
呆然と見上げると、カエラはさっと顔を反らして口を抑えた。
アデールはため息を吐いて、
「それなら良かったわ」
とだけ、言った。
なんだか、少しだけ気分が楽になった。
最悪のことを想定すると、アデールは二度と家族に会えなくなることもあり得る。
今まで王太子につきまとっていたことから考えても、あまりいい結果にはならない気がする。
またにじんできた涙をぐいと手の甲で拭いて、アデールは立ち上がる。
自業自得だから、じめじめと泣いている場合ではない。
『大丈夫だって言ったじゃない!』なんて、エドワードたちに責任転嫁して責めるようなことにはなりたくない。
ということは、心残りになるだろう最大のことを済ませるべきだ。
「カエラ」
「はい」
寝支度をしてくれていたカエラを呼んで、アデールは自分の決心を伝えた。
胸元でガウンを握り締めながら、目の前のドアをノックした。
「はい?」
訝し気なエドワードの声がして、ドアが何のためらいもなく開いた。
多分、執事か使用人の誰かだと思っていたのだろう。
寝支度が終わったエドワードが無防備に立っていた。
「お義兄様。こんばんは」
アデールはにっこりと笑って、エドワードの横すり抜けようとして……。
「待て」
止められた。
「ちょっとお話が」
「だったら、リビングに行こう。ここには入れない」
「そんなお手間を取らせるわけには。このお部屋で充分です」
「だったら、ここで話せ」
「廊下でなんて。もう少しゆっくり」
「だったら、リビングだ」
「…………」
「…………」
しばし見つめ合って……アデールは、口をとがらせて「ケチ」とつぶやいた。
「ケチじゃないだろう……。アデール、何のつもりだ?」
エドワードはドアの場所で仁王立ちして、絶対にアデールを部屋に入れないようにしている。
「最後の思い出を貰おうと」
ガウンの下は、自宅の中でも廊下を歩くには不向きな下着姿だ。
部屋に入った途端、ガウンを取って、エドワードの理性を崩壊させる予定だった。
「最後?大丈夫だと話をしただろう?」
エドワードの眉間に深い皺を刻まれる。
アデールだって、話は理解していた。そんなに頭は悪くないのだ。……多分?
「でも、絶対ではないでしょう?明日には、私は家族と会えなくなってしまうかもしれない。だったら、最後の一夜、一緒にいさせてほしいのです」
あわよくば、濃い思い出をいただこうと思っていた。
エドワードは首を振って、アデールを廊下に押し出し、そのまま肩を抱いて部屋に送り届けてくれるようだ。
その途中、ちらりとアデールを見下ろして言う。
「そのガウンは、絶対に脱がないように」
アデールの考えることなど、全てお見通しのようだ。
アデールは自室のドアを開けて振り返る。
さっきまで肩を抱いてくれていたのに、エドワードはすぐには手が届かない場所に立っていた。
引っ張りこむのも無理なようだ。
開けたドアを閉じて、エドワードに向き合う。
「今までありがとうございました。迷惑かけて、ごめんなさい」
深く頭を下げてから、エドワードを見ると、とても苦しそうな顔をしていた。
「心配するな。……どんなことになろうとも、手放しはしない」
その言葉が嬉しくて、アデールはふわりと微笑む。
アデールの代わりに公爵家の利権を取り上げられそうになったら。領地が減ってしまうことになったら。きっと、父と義兄が、家をとるのは分かっている。
貴族は、領民のために存在する。領地の収入が減って困るのは、領民だ。
そのためにエドワードが努力をしてきたのは知っている。父が何故忙しいのかも知っている。
存在の意味とアデールを天秤にかけることすらしないだろう。
嘘だと分かっていても、アデールは嬉しかった。
「アデール」
アデールの微笑みをどう感じたのか、エドワードの眉間のしわが深くなる。
そして、一歩アデールに近づいたかと思うと、さっとかすめるようなキスをした。
少し……触れたかどうか分からないくらいなのに、唇がじんとしびれる。
「絶対だ」
至近距離で、目を見て言われ、反射的に頷いた。
突然の事態に驚いたまま、エドワードに肩を押され、くるりと方向転換させられる。そのまま、背中にエドワードの温かさを感じたと思った途端、ドアが開けられて、トンと押される。
「おやすみ」
アデールが部屋に入ったのを確認して、ドアが閉まる。
ぼんやりしながら振り返った先には、いつも通りのドア。歩き去るエドワードの足音がした。
アデールは顔を真っ赤に染めて、唇を押さえてベッドに潜り込んだ。
エドワードの部屋に行く前に考えていたことは、もっと……こう、口にできないようなことだったのだけど。
ちょっとの触れ合いで幸せになれるのだなと、アデールは熱くなった顔のまま、布団に潜り込んだ。




