自己紹介
「って、何でついてくる!」
俺はこめかみをピクピクさせながら、振り替えった。
視界に映ったのは、先ほどの赤い少女だ。
「さっき、完全完璧に別れのシチュエーションだったよな」
少女と別れ、二百メートルほど離れた所で走って追いかけてきた。
「うんそうなんだけどね、まだしてなかったから」
とたんに少女の顔が赤くなり、その真紅の髪と同じになる。
とたんにドグン、っと俺の心臓が高鳴る。すぐ脳内で検索エンジンをかけた末に、ある一つのことへと集束された。
つ、つまり、こ、これはあれなのか?
でもそんなフラグ立てた覚えは、いやハンカチあげたのがそんなに良かったのか!?
「あ、あ、あなたと!」
「自己紹介、してなかった!」
……………………へっ?
え、え、ええぇ。
少女の割かし高い声量に、路上が一瞬の静寂に包まれた、と思いきや、数秒もしない内に正常に戻る。
正常に戻らないのは、俺の思考だ。
勘違いしたことによる羞恥と、肩透かしの脱力感が、化学変化していき全身を貫く。
あ、あれだ。家庭用洗剤みたく混ぜると危険だ。有毒ガスが発生してしまったのだ。
「ど、どうしたの? 大丈夫?」
内心との葛藤を少女は変に思ったのか、一歩片足を引く。
心なしかさっきの大丈夫も、(頭が)と含みがあるように思えた。
「あ、ああ大丈夫だ。心配いらない、俺はいつだって冷静だ。そんなことより、自己紹介ごときで追いかけてきたのか」
いつまでもこの話を引っ張っていては、俺の利益にならないことは明白だ。速やかに話題の変換を試みる。
「うん、そうだよ。助けてもらったのに自己紹介もしないなんて、非人道的だからね」
ヒマワリのように満面の笑みを向けてくるが、はてさて。
「わざわざおおげさだな。それだと席を譲ってもらった老人もいちいち自己紹介をしなければならないことになるじゃないか」
「それもそう? けど、私は気が済まないの」
「それをなんと言うか分かるか」
俺はわざとらしく一拍を置くと、
「「エゴだ」」
ソプラノとアルトが重なり、俺はわずかな驚きを、少女はいたずらに成功した子供みたいに、屈託なく笑った。
「正気にいって驚いた、このわずかな会話の中で俺の言葉に合わせるなんてな」
「へっへ~ん、すごいでしょ。ほめてほめて」
「スゴイスゴイ」
ブンブンと振られるしっぽを幻視する勢いで、少女は跳び跳ねるが、めんどくさくなった俺はなおざりに返す。
本当にすごいとは思っているが、それを口に出すのはすごくシャクだ。
「へへへ~」
だが、少女はそれを気にした様子はなく、顔をだらけさせる。
両手に頬を当て、ムンクの叫びのようにクネクネさせる。ま、ムンクとは感情が方向性が真逆だけどな。
ーーーーーチャンスだ。
俺は一切の音を出さないように、この場から退散しようと。
「あれ? どこに行くの?」
してあっけなく失敗に終わった。
「ちょ、ちょっとトイレにな」
「ふぅん、なんか怪しいな」
なんでそんなに鋭いんだ。
「うーんいっか。すぐ近くセブンイレブンズがあるから、そこでトイレ借りれば?」
「そ、そうするとしよう。というわけで」
「うん、付いていくよ」
…………ホワイ?
「や、野郎のトイレに付いていくのか、お前は」
「うん、自己紹介もまだだし、コンビニでなにか買いたいから、ついでに」
仕方ないか。今さらコンビニいかなければ、不自然なだけ。
せめてもの仕返しに、背一杯肩を落としながら、首を縦に振った
「いらっしゃいませ!」
元気の良い褐色のショートカットの少女に出迎えられた俺と少女。
昨今こういう感じの店員が減ってきてる。まったく近頃の若者は、と関係ないことが脳裏によぎる。俺もまだ近頃の若者だがな。
「んじゃ、トイレいっといれよ」
赤髪の少女は親指グッと立てサムズアップする。南極並みの冷却を吐きながら。
予期せず、絶対零度を思わせる寒さに、手はガチコチに凍り、足はガクガクと震える。
と、いう冗談は置いといて。、
「ああ、行ってくるよ」
本当は尿意などないのだが。
適当に便座に腰かけて、適当に水を流して、適当に手を洗った俺は、少女を探すべく全方位を見渡した。
別に探さなくても良いのだが、少女を置いて店から出ると、さっきの元気の良い店員が、パトカーのサイレンより分かりやすく伝達してくれるだろう。
幸いコンビニはさほど広くない。むしろ狭いぐらいだ。数十秒としない内に見つけることができた。
「ん? なにをしてるんだ」
少女は熱心にどこか一点を見つめていた。興味のある商品でもあったのだろうか。
視界の先を追うと、白黒の包装がされた四角形のチョコがあった。サイズは親指と人差し指でつまめるぐらい。恐らく一度は口にしたことがあるのではないだろうか。
俺の問いかけに少女は応じず、ただ穴が空くほど見つめるだけ。
手で取ったり、財布の中身を取り出したりしていない。
それから数秒、数十秒ーーーーそして一分。
妙な沈黙に耐え切れなくなった俺は、遠慮がちに肩をゆすった。
「おーい大丈夫か。お前」
「…………e=mc2」
「なにゆえ質量とエネルギーの等価性?」
思考がぶっとびすぎていて理解ができない。
「あ、うん。人間の様々な知恵と技術がこの小っさいチョコを産み出したって思ったらね」
それでなぜ等価性になるのか分からない。
人間の群れる習性と、本能と脳の関連性についてなら分かるが。
「買わないのか?」
いつまでもこうしてはラチが明かない。購入の催促をしてみる。
少女は思い出したように、ハッと顔をあげると、照れ臭そうに頭を掻いた。
「忘れてた忘れてた。ありがとう」
少女はポケットから財布を取り出す。黒の艶が光る高級そうだ。
「うぅんと、これで足りるかな?」
「どれどれ…………ハッ!?」
持ち合わせがないのかと心配になり、財布の中身を拝見すると、見知らぬ人からハラパンされたかのような衝撃を受けた。
札しかないのだ…………一万円札しかないのだ。
しかもそれがパンパンに入れられている。
「…………たりる、足りるが、一応聞くぞ。当て付けじゃないよな」
「…………うん? なんに対する?」
ホームレス街道を歩いている俺に対する、だ。
情けなくて口が裂けても吐き出せないが。
しかし一万円札しか持っていない……か。
数十円のものを買うだけで一万円札を使っていては、店員の迷惑となるだろう。
「仕方ないか、そのチョコひとつくれ」
「君もひとつ欲しくなったの?」
「おごってやるといっているんだが、ふむ。童心に返ってみるのも面白いかもしれないな」
二つのチョコを片手で掴むと、会計に行く。
「いらっしゃいませ! ご注文はチョコですか?」
「おい」
そこの店員一歩間違ったらヤバイから止めろ。
「あ! 大変失礼いたしました。ウサギをご注文ですか? 申し訳ありません! ただいま品切でして。よろしければ野生のウサギを捕まえますが、いかがいたしますか?」
「ツッコミどころ満載すぎて、逆になにも言えんわ!」
だめだこの子。元気一杯で真面目だと思ったが、関わっちゃイケない部類の人間かもしれない。
「どうでした? 私のブラックジョーク」
「人を選ぶジョークでシタネ」
褐色の少女は「そりゃそうだ」、と愉快そうに腹を抱えて笑い、驚くほどのスピードでレジ打ちをした。
金を払い終えた俺はつつがなく(?)買い物を終わらせ、少女の元へと戻る。
「待たせたな」
「か、買えた!?」
そんな、合格発表前の受験者のような表情をするな。
「ほら」
ひとつチョコを投げ、少女へ渡す。
手をバタバタさせながら、なんとかキャッチした少女は、顔をだらけさせる。
「ありがとう」
原価にして数十円程度だから、そんな感謝するな。こっちが気恥ずかしくなる。
コンビニでやることをやった俺たちは、「ありがとうございました!」というコールを背に外へ出た。
「そういえば自己紹介。忘れてた」
少女はチョコの包装を破ると、一口に頬張った。満面の笑みを咲かせながら、三ツ星レストランの料理を食べたように頬に手をやる。
「ああ忘れてたな、俺の名前はーーーー」
そう言い掛けたところで、子供の鳴き声に阻まれた。
「うぁっぁぁ! お母さん、どこ!?」
コンビニの入り口でわんわん涙を長し、母の名前を呼んでいる。
「迷子か?」
どうせ誰かが通報してくれるだろうと、見て見ぬ振りをすることに決めた。
「助けないの?」
少女の少しとがめる様な視線に、居心地が悪くなる。
けど、主張は貫き通してこそだろう。
「人間嫌いなんだ」
「なんで?私は好きだけど?むしろ大好きなぐらい!」
鼻息をハアハアと荒くさせ、目をらんらんと輝かす。
なんか、身の危険を感じるんだが。この子。
「って、訳で行ってくるであります!」、と敬礼をすると、幼児の元へと向かっていった。
「ぼく、どうしたのかな? そんなに泣いて」
「あのねあのね、おかさんが、おかぁさんが。うぁぁん!」
「え、えっと、だ、大丈夫。泣き止んで。お母さんはどんな人なのかな」
少女は原因を解決するのが確実だと思ったようだ。母親の人物像を幼児に聞こうとするが。
あれはだめだな。幼児の方が恐怖に陥ってまともに話が聞けない状態だ。
…………仕方ないか。
「少年よ、お前は男だろうなくな。これをやるから」
食べていなかったチョコを少年へと、ゆっくりと手渡しをする。
少女がなにか言いたそうな顔をするがハテサテ。
「お、お兄ちゃん。ありがとう」
「気にするな。それより俺から質問がひとつだけあるが、いいか?」
幼児はこくりとうなずく。
「おかあさんは優しいか?」
「うん! すごくやさしいよ!」
この返答を聞いて、納得したと同時に安心した。
どうやらオチは、ひどく簡単で起こりそうなことだったようだ。
「お母さんならまだコンビニにいるんじゃないか?」
「ううん。だって全部見たもん。いっぱい」
全てといっても商品を置いている所だけだろう。つまりーーーー
「お母さんはトイレにいる」
俺はきっぱりと断言すると、安心させるように頭を撫でた。
母親のお礼をどもども、と受けた後、わずかな達成感をごまかすようにため息を吐いた。
「………………」
少女は先程から一言もしゃべらず、考えに浸るように顎に手をやっている。
どうしたのだろうか。あの早朝に鳴り響く目覚まし時計のようにうるさかった奴が。
「ーーーー君って人間嫌いしている割りに、人間を助けるんだね?」
「なんだ?非難してるのか?言っただろう、これはエゴだと」
やっとしゃべったと思いきや、変なことをいう。
だが、その一言で少女は満足したのか、
「うんやっぱり君は君だよ。ありがとうチョコ」
一歩一歩と少女は前に進む。振り返りもせず、独り言のように、独白のように。
そして少女は、俺の海馬から二度と切り離せないだろう、情報を言った。
「私の名前はアリス。ただのアリス」
両手を後ろに組み、俺と目線を合わせる。
「覚えててね。天神祐君」
四日も間隔が空いてしまいまい申し訳ありません。
バイトをしている際にお客様から、
「君かわいいね」「素直でデレがあっていいな」「ちょっと背はちっちゃいけど全然イケる」
⚠️作者は男です。
等々小声でぼそぼそ独り言を老人が言ってました。
正直、今まで体験してこなかった類いの恐怖が背中を撫でました。これが貞操の危険に対する感情なのでしょうか。
ま、作者としては描写力が上がるので、良かったですが。(創作中毒者)