いつもと変わらないはずの日常
いつもと変わらない学校生活を送り、いつもと変わらない帰宅路を歩き。いつもと変わらない家に着く。
時刻は夕方の七時を回ろうとしていた。
俺と妹は色とりどりの食卓を挟んで箸を持つ。
「「いただきます」」
妹はしっかりとご飯にお辞儀をしていただきますをする。
普段は髪を結んでいないがこの時に限っては後ろで縛ってポニーテールになる。
料理をする時に邪魔になるんだとか。
仕事好きの両親はいつも遅くまで家に帰ってこないため、夕飯は妹が作ってくれるのだ。
身につけているピンクのエプロンは小さい頃からの御用達で、もう十年近く使っていると思う。
ツンケンしてる妹がピンクのエプロンを使って料理しているだなんて妹の同級生男児が知ったら一体どうなっちまうんだろうな? と俺は箸を進めながら、妹の顔を覗く。
「何?」
俺の視線を感じ取った妹が嫌悪感たっぷりの顔で俺を睨んできた。
「今日も俺の妹は可愛いなと思って」
「死ね」
褒めたはずなのに死ねと言われた。
お兄ちゃんショッキング。でもめげない。俺は自己肯定の権化なのだから。
「今日も妹の手料理を食べられてお兄ちゃんは幸せ者だな~? あぁ幸せ・・・・・・」
大袈裟に幸せアピールをした俺は、閉じていた目を片方だけ開けて妹の反応を窺う。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
あれ? いつもと反応が違う。
いつもならさっきみたいに「死ね」とか「うざい」「きもい」みたいな単語が飛んでくるはずなのに。
それにーーーー
「そういやまだ制服着てるんだな。いつもなら部屋着にピンクのエプロンなのに・・・・・・はっ! もしかして制服エプロンの素晴らしさに気付いたとかーーーー」
「ーーーーちょっと忙しかっただけよ」
またしても反応が鈍かった。
何か兄に気づかれたくない、知られたくないことでもあるかのようだった。
と、ここで俺は気づいてしまった。
「妹よ」
俺は真剣な眼差しを妹に、いや、一人の女子高校生に向ける。
妹は俺の眼圧に迫られ、顎を引いて息を呑んだ。
「お前ももう高校生になった。義務教育という檻から抜けだし、自らの意思で選択をする自由も与えられた。それ自体は素晴らしいことだとお兄ちゃんも思う。だがな妹よ、良く聞け。ーーーー避妊だけはちゃんとするんだぞ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「む? 聞こえなかったのか? ならもう一度言おう。避妊ーーーー」
そこまで口にしたところで急にバンっという大きな音と机の食器がカチャカチャと揺れる音が聞こえた。
俺はゆっくりと視線を下に落とす。
俺の手の真横。そこには妹が握ったフォークが机に深々と突き刺さっていた。
俺は恐る恐る視線を戻した。
フォークを突き刺した衝撃が原因かは分からないが、妹のポニーテールはいつの間にか貞子ヘアになっており、今にもこっちに向かってきそうな勢いだった。
だが、俺もこんなことで引けない。
大事な事は二度言わないといけないんだ。
俺は唾を飲み込んでから深く息を吸った。
「避妊はちゃんとーーーー」
何故だろうか、そこからの記憶が飛んでいた。
気がついた時には妹のポニーテールは復活しており、普段通りの食卓に戻っていた。
でもひとつだけ違うところもあった。
「イタっ」
小指には包帯が巻かれていたのだ。
「はぁ・・・・・・。今日はちょっと忙しくてすぐに帰れなかったのよ。だからこれは全部スーパーの総菜」
何かに観念した妹が自白した。
そう、俺は最初から分かっていた。
今日食卓に並んでいる料理が妹が作った物ではないということを。そして妹がそれを知られたくないからわざわざ制服の上にエプロンを身につけ、ヘアゴムで髪を縛っていたことを。
だから敢えて、俺は妹の手料理なんて回りくどい言葉を使って妹を煽ったのだ。
自分の作った料理じゃないものを美味しい美味しいと言われても良い気はしないだろうからな。
だが妹の異性関係を心配したのは本当だ。
一体妹が何を隠そうとしているのかは分からなかったが、もしそれが彼氏が出来ましたなんて内容だったなら、今頃俺はそいつの家に飛び込んでいただろう。
その予防線を張るためにも、わざとらしく大袈裟に言って確認を取ったのだ。
結果として妹に彼氏が出来たわけでは無いことが判明した。
これにて一安心。
「で、その忙しかった理由ってのは?」
「うん。帰りに生徒会長を見かけてーーーー」
「ぶっーー!!!」
全くもって安心では無かった。
俺は呑んでいた茶をぶちまける。
「ちょっと、何してるの!? 汚いでしょ?」
「そんなの後でいいから、続きを話せ妹よ」
俺は机を拭く妹の手を止めて、話しの続きを促した。
「会長が具合悪そうに歩いてたから声をかけたの。そしたら会長が家まで送り届けて欲しいって」
「それで?」
「肩を貸しながら家まで送ったわ」
「それで終わったのか?」
「ううん。お礼をしたいから是非家に上がってって言われて」
「家にお邪魔したのか?」
妹は無言で頷いた。
「紫会長とっても優しくてね? 色々話してくれたんだ。学校でのお兄ちゃんはこんな感じだったとか、生徒会のメンバーとはいつもこんな感じだよーとか。楽しかったな~」
妹はその時の会話を思い返しながら、笑顔で語る。
一方の俺は、今日の作戦が無意味に終わったことを嘆くと同時に、やっぱり紫生徒会長には叶わないなと良い意味で畏敬の念を抱いていた。
「ん? でもどうして俺の話を会長が妹にしたんだ?」
と、ここで俺は妹の話した内容を不思議に思って聞き返してみた。
「へぇっ!? そ、それは・・・・・・あ、あれじゃないかな? ほら、やっぱりお兄ちゃんは学校で一目置かれる存在だし、それにいずれ紫会長の後を継いで生徒会長になる存在だからだよ!」
なんだか忙しなく、早口になる妹。
確かに妹の言い分は間違いでは無いと思う。
だが式部紫にはそんなことよりももっと大事な、話すべきことがあったはずだ。
「他には何か言ってなかったのか? 例えばほら、生徒会への勧誘とか」
俺はその大事な部分を探る。
「他には特に無いかな? そんなに長居はしなかったし。あ、でも帰り際に「君はいずれ生徒会に入るよ」って言われたかな。それがどうかしたの?」
「いや・・・・・・」
確かにそんなニュアンスのことは俺も今日生徒会室で言われた。
占い師じゃあるまいし、そんな予言みたいなこと出来るはずないだろうとは思いたくもなるが相手はあの式部紫。なんなら占い師よりも占い師みたいな人だ。当たる気しかしない。
でもそれを有言実行するための今回の接触だったはずなのにどうして会長は俺の妹を直接生徒会に勧誘しなかったのだろう?
妹の口ぶりからして、もう会長のことは気に入っているみたいだし、会長の一言ですんなり承諾も貰えたはずだ。
まさかこうして妹の口から紫会長や生徒会のことを話させて、俺がいちいち葛藤するのを今晩のおかずにしているわけじゃないだろうな!?
「それよりさお兄ちゃん。ご飯も終わったことだし、食後のコーヒー呑まない? 駅前で人気のショートケーキも買ってきたから、一緒に食べよ?」
迷宮に入り込んで、迷走と妄想が止まらなくなってしまっていた俺に妹が水ならぬコーヒーを差す。
おかげで一旦平常に戻った俺は「いいだろう」と妹に告げた。
「珍しいな小雪がショートケーキなんて。いつもチョコしか選ばないのに」
キッチンでコーヒーを盛る妹の背に向かって俺はふと思った疑問を口にした。
すると妹はドリップ式のコーヒーにお湯を注ぎながら、
「高校生にもなったら味覚も変わってくるのよ」
小悪魔のような笑み俺に向けた。
食後のケーキとコーヒーを妹と愉しんだ後は特に変わったことも起こらぬまま就寝。
そして、次の朝を迎えた時ーーーー俺は妹に入れ替わっていた。