01 ミルクとポテトのポタージュ
柔らかいものに包まれている感覚に気がついて、自分が寝ていた事を知った。
目を開けると辺りは薄暗く、見慣れない天井がぼんやりと見える。
「ベッド、柔らかい。ここは……」
身体を起こそうとして倦怠感を覚えた。恐らく熱がある。
諦めて重力に従いながら視線だけで周囲を確認すると、どうやらここは屋敷の一室のようだ。灯りは無く、窓の外の暗さからして17時過ぎだろう。
自分の呼吸の音を聞きながら、目覚める前のことを思い出そうとする。
今日はお嬢様に初めて会う日だった。
メイド服を着て、ティーセットを用意して、庭園に出て……
コンコン。
部屋の端から木の音がして、ノックだと理解する前に扉がゆっくりと開いた。
「アリシア? 起きてる?」
「かあさま?」
乾いた声で返事をすると母がベッドに駆け寄ってくる。
「良かった……! 覚えてるかしら、あなた急に庭園で倒れたのよ」
「たおれた?」
そうだ、あの土の匂い。庭園の地面だ。
「朝は元気そうだったけれど、無理させてしまったみたいね……気づけなくてごめんなさい。まだ熱があるわね。」
母は泣きそうな顔をしながら私の頭を撫でた。いつのまにか髪は解かれていて、服もロングシャツになっている。
きっと母が介抱してくれたのだ。
「お嬢様も心配されていたわ。今度改めてご挨拶に行きましょう。今は元気になることがアリシアの仕事よ」
そう言うと母はパチンと部屋に灯りをつけて、持ってきたポタージュと水を置いて、自分の仕事に戻っていった。
一人になった部屋で灯りを見つめる。
パチン。
それはスイッチの音じゃない。この世界にスイッチなんかない。
指を鳴らしてランプに光を灯したのだ。この光は火じゃない。魔法だ。
チカチカと瞬く光を見ながら、回らない頭で自分が今どういう状況なのか少しずつ考える。
お嬢様とは今日初めて会った。
けれど、私はお嬢様の事をもっと前から知っている。それも、今のお嬢様ではなく未来のお嬢様、リズベット=カーラインを。
リズベット=カーラインは、乙女ゲーム「マジックアカデミア 〜青の星〜」(通称青マジ)に登場するキャラクターだ。
立ち絵やスチル、キャラクターボイスも用意されていて、ある攻略対象のストーリーで度々現れては主人公の邪魔をする。
いわゆる悪役令嬢と言われるポジション。
あの時思い出したリズベットの姿は、イベントで彼女が魔法を暴走させ主人公を傷つけようとしたシーンのスチルだ。
そう、青マジの世界にはタイトルからもわかる通り魔法がある。
リズベットは瞳の色と同じチェリーピンクの炎を操ることができたはずだ。
「いや、なんで青マジが現実に……」
魔法は小さい頃から見ていたし、自分もメラルーカ家の遺伝で風魔法を使うことができる。
だからおかしいのは、私が魔法の存在に違和感を覚えている事だ。
そもそも自然と出てきた乙女ゲームという単語。
何と言われれば携帯端末でプレイできる女性向けの恋愛ゲーム。そんなものはこの世界にはないけれど。
今の私の意識の中に、明らかに今までアリシア=メラルーカが経験していない知識が存在している。
すごく奇妙な感覚だ。
アリシアの記憶と別の記憶で頭がぐるぐるとパンクしている。
夢を見ているんじゃないかとベタに頬を抓れば痛みはしっかりあって、ポタージュの香りにお腹が鳴って、空腹を満たすためにそれをゆっくり飲んだ。
ミルクとポテトの優しい味がする。いつも母が作ってくれるポタージュの味だ。
「私は、アリシア。アリシア=メラルーカ」
耳に届いた声はひどく幼く聞こえたけれど、自分が存在している事を教えてくれている。
理解できない事だらけだけど、今は寝て、この熱を治す事が大事だと思った。
それが私、アリシアの仕事。
寝て起きてもまだ不思議な事を覚えていたら、その時考えればいい。
更新は不定期の予定です。
とりあえずあと数話は早めに更新したい。