978 対価
多分、絶体絶命――ってやつなんだと思う。うん、多分。
これは魔法植物というより、魔物の方に近いかな。
イソギンチャクのようにうねる蔓が何本も地を這い、その中央に大きな口が開いている。
そして、今まさに捕らえられた獲物が、涎を垂らす口へ運ばれようとしていた。
華奢な足首を幾重にも巻いた蔓が、ピンと張って己の元へ引き寄せようと力を込めている。
そして、そうはさせじと必死に木の枝を掴んで抵抗する人。
完全に体が浮いて、手を離してしまえばもう、一直線に口の中。まさに、絶体絶命。
ただ……
「どう見てもあれ、ヌヌゥさんなんだよね……」
そう、ただそれだけで、助けなくてもいいように思う不思議。大丈夫な気がする。
「今度は何やってんだ、あの人」
「こってり絞られて、罰金も取られるって話じゃなかった~? とりあえず、放っておこうか~」
今朝のあれは事故でも遭難でもなく、自主的な行いだったので……犯罪とまで言えなくとも、かなり厳しく怒られているはずなんだけど。
「あ~今、身体が見事に一直線! やだもう手が限界! けど見てこの美しき等尺性運動の極致! ああっ、こんな時に誰もいな――」
と、ひとりで騒いでいた声がぴたりと止んだ。
ぞくりと気配を感じて恐る恐る振り返ると、ビィンと真っ直ぐ引っ張られたままの姿勢で、ヌヌゥさんの瞳がギンと見開いてこちらを捉えていた。
次いで、ニタリと笑みが浮かぶ。……怖いんですけど?!
「ほうらね、ほら、やっぱり人がいた! ってか君あのベビちゃんじゃない?! 探してたのよ! とりあえずこれ見て! 伸びきったこの身体! これはね、ただのトレにあらず! 姿勢矯正とリフトアップからたるみ改善効果などが――」
……そう言えば、アイソメトリック運動がどうとか、地球で聞いたことがある気がする。
やっぱり、自主的にこの状況になったんじゃない! そして、まだ結構余裕ありそうだ。
意外とこの人、力があるな……鍛えるのも美容の一環だからだろうか。
「あの、じゃあお邪魔しました……」
面倒なことになる前に、と愛想笑いでその場を後にしようとしたら、ひと際大きな声が追いすがってくる。
「え、ちょ、ええええ?! そんな非道なことしないよね?! あ、もうっ……限界! 限界来ちゃう!! ヘルプヘルプヘルーープ!」
本当に……? 疑いの目で振り返ったものの、そう言われてしまえば選択肢は他にないわけで。
「――いやぁ、今回ホント無理かと思っちゃった! ありがとね! ついでにこのことは内緒にしてくれると嬉しいな! 最近罰金の取り立てが厳しくってぇ」
「じゃあ、やらなきゃいいのに……」
「やらないわけにはいかないでしょう! ふふふ、効いてる効いてる。私の美ボディを形作る美筋肉にビリビリ来てるわ」
渋々救出したヌヌゥさんは、やっぱりピンピンしている。結構な間、全力のアイソメトリック運動をしていたはずだけど。
「そもそも、どうして魔力も回復してないのに森に入ったの~? しかも一人で~?」
そう、魔力すっからかんのままなんだよこの人! さすがに放置していくのも後味が悪いので、一緒に行くしかない。
「よくぞ聞いてくれたわ、そもそも、ちょうどいい所にギバインがいたから寄り道しちゃっただけで、本来あなたを探してたの!」
「オレ……?」
そう言えばさっきもそんなことを言っていた気がする。そしてギバインってあの陸上イソギンチャク? 聞く限り初犯じゃないんだろう……毎度トレーニングに使ってるのか。魔物にまで迷惑が波及している……。
「そ! ちゃんと言ってたでしょ? あの魔法を教えてって!」
あの魔法? と首を傾げて、洗浄魔法のことだと思い当たった。あれ、本気だったんだ。
「でもオレ、なんとなく使ってるから教えられないよ」
「珍しいわよね、人間で無詠唱って。でも大丈夫、私、美に関することなら絶対できるって信じているから」
そ、そう。全然大丈夫の根拠を感じないけど、まあ森人だし……洗浄魔法の白血球モドキはともかく、『普通』の洗浄魔法なら水魔法の一環だし覚えられるんじゃないかな。
「でもさあ、今魔力ないんだろ?」
「「あっ……」」
ラキが傍らでふう、と息を吐いた気がする。その溜息の中に、オレが含まれていた気がしてならない。
「ヌヌゥとしたことが、ウッカリしちゃった! じゃあその魔法、さわり部分だけでも教えていただいて……」
「それ、結構凄いこと言ってるけど~? 代わりにヌヌゥさんは何をくれるの~?」
了解、と頷こうとしたところで割り込んだ声に、ハッとした。
そうか、これも他人に無償提供していいものじゃないのか。まあ、ヌヌゥさんが既に他人という気がしていなかったのもあるけど。
同じくハッとしたヌヌゥさんが両頬に手を当てた。
「えっ、やだ、そういうこと?! おませさん!!」
「わ、なに?!」
まだヌヌゥさんが話している途中で、瞬時にタクトに耳を塞がれた。
な、何なの……?! 振り仰いだタクトがほんのり赤いのを見て、ははあ、と思う。
ヌヌゥさんだもんね……お姉さんの美ボディ目当て?! とかなんとか、そういうことだろう。
あの……俺さ、タクトたちよりずっと大人……。まあ、今こんな見た目だもんね。
とりあえず、ヌヌゥさんがラキにデコピンならぬデコ射撃されて悶絶している。
ちょ、ちょっとやりすぎでは……??
「ちょ、ちょっとした年上ジョークだったのにいいぃ!! 冗談が通じない!」
「うん、幼児に言っていい類のジョークじゃないね~?」
「はいっ……ごめんなさい!!」
ラキが極寒になっている……こっちにもとばっちりがきそうだから、心底やめていただきたい。
「って言ってもさあ、金とかもらうのもなんかなあ。ユータは何か欲しいもんある?」
「そ、そう言われても……」
「ええ?! こんなに価値しかない私に、望むものがないの?! 美しいって罪!」
前後の繋がらないヌヌゥさんのセリフは置いておくとして、美容にいい食材とか? でもそれならプレリィさんの方が信用できる。なんか、ヌヌゥさんは毒でも美容にいいなら飲みそうだし。そもそもオレは美容に興味ないし。
「魔法の交換したらいいんじゃね? 変わった魔法持ってそうだし」
言われて、なるほどと膝を打つ。
使えるかどうかは別として、対価としてもらうには、邪魔にならなくてちょうどいい。お金はちょっと……なんか個人から大金をもらうのは気が引けるし。
「それいいね! どんな魔法がいい? 色々あるわよぉ~! 大盤振る舞いしちゃう!」
「ホント?! オレ、それだったら興味ある!」
「それだったらって微妙に失礼~でも許しちゃう!」
互いに手を握り合って身を乗り出した時。
「でも、今魔力ないんだよね~?」
「「あっ……」」
そうだった……項垂れたオレたちに、生暖かい視線が注がれた。
「じゃあ、ひとまず帰ろうか~」
「「はい……」」
なんでだろう、オレまでヌヌゥ枠に入れられている気がしてならない……。