976 五樹結界
美味しいお茶を一杯飲んだところで、ハッと用事を思い出した。
「ねえキルフェさん、オレたち森に出たいんだけど大丈夫かな?」
「うーん、あんたらなら大丈夫だろうね。森に嫌われると、中々帰りつかなかったりするかもしれないし、下手すると彷徨う羽目になるけど」
それ、全然大丈夫じゃなくない?! 聞いておいてよかった……!
オレたちは引きつった顔を見合わせた。
「それって、森人が一緒じゃないとダメってこと?」
「そうでもないよ。森人がいるなら確実だけど、あんたらは留守にしてたあたしらより、気に入られてるくらいだよ」
そう言われても、目に見えないからなあ……万が一それが勘違いってことになれば……。
『お前は森を抜けられる』
『ぼくもいるからね!』
オレの内側から声がして、そっか、と笑みが浮かんだ。
オレは森から逃げ切れる足と、高い空へ舞い上がる翼を持っている。
もし、万が一があったって大丈夫。
「じゃあ……行ってもいい?」
「いいけど、あんたら朝から行ったんだろう? まだ行くのかい」
不思議そうなキルフェさんに、オレたちは微妙な顔を見合わせるしかない。
「行ったんだけど……ちょっと、森で人を拾っちゃって」
「ええ?! こんなところで遭難者かい?! ここまで来られるなら、森の助けがありそうなもんだけど……」
「えーと、それが森人さんで。マナナの実に入っちゃってて」
「入っちゃって?? 何言ってんだい」
うん、それはすごく自然な反応だと思うのだけど。
「なんか、ヌヌゥって人が実の中にいたんだよな!」
「……あー、それは、まあ……ご愁傷様」
敢えて名前は伏せていたのに。スパッと言ってしまったタクトに、キルフェさんが額に手を当てた。
全然ヌヌゥさんの心配はしていなさそう。
「知ってるの?」
「そりゃ……まあ。気にしないでおくれ、森人って寿命が長いからさあ、変なとこ極めようとする輩がたまに……ね?」
ちら、と視線を走らせた先がプレリィさんだったのは、きっと偶然ではないだろう。
なんだか、納得してしまった。
「ひとまず~、僕らだけで行ってきていいってことだよね~?」
「いいとも、リリビアを目印に、三樹内なら問題ないさ」
……オレとタクトは、ちら、とラキを見た。これ、一般常識?
「リリビアって~? 三樹内~??」
あ、違ったらしい。当たり前みたいな顔で話題に出てくるから、オレたちが知らないだけなのかと。
説明に耳を傾けてみると、どうやら森人たちが目印にしている木らしい。中小魔物にはほとんど効果がないけど、強い魔物は魔力に乱れを感じて嫌うのだとか。
だから、一定の範囲で森人郷を囲むように五重になっているそう。
つまり五樹外、リリビア五樹結界の外は完全なる魔物領域。
「――俺、五樹外に行きてえ……」
言うと思った。そしてラキも、貪欲な目をするのをやめよう?!
案の定素材狩りをついでに頼まれ、代わりにここらの魔物図鑑をもらった。でも多分、森の中で呑気に魔物図鑑を開いてるの、オレたちぐらいな気がする。
一応、ニースたちも誘ったのだけど、飛んで皿洗いの方へ行ってしまった。マイナスの効果を発揮するんじゃなかったの……?
「ひとまず、リリビア結界内で大丈夫そうなら、行くってことにしようよ! プレリィさんたちにも、心配かけちゃうし」
「お前がまともなこと言うの、変な感じだ。ラキが使い物にならねえからな」
確かに今日のラキは、下手するとタクトより無茶しそう。
だけど、失礼な……! オレの方はいつもまともに、正統派王道ルートを歩いていると思うけど!
『主が歩いているのは、いつも外道派破滅ルートなんだぜ!』
『少なくとも、正規ルートではないわね』
そんなことはない、と思う。思うけど、諸々の正規ルートってつまりどういうものだったんだろう。それはそれで知りたい気もする。
「ピッ!」
「あ、まずここから二樹内だね」
リリビアの木、果たしてオレたちに分かるだろうかと思ったけど、大丈夫だった。
オレたちに分からなくても、ティアに分からないはずがない。
言われてみれば、サルスベリのようなすべすべした幹は目立つと言えば目立つ。でも、周り全部木と藪だよ?! 分かんないよ!
そもそも、リリビアは外周へ行けば行くほど樹木間が広くなっている。ちゃんと一樹内で目印となる一本を見つけてから次へ、と言う風に行動範囲を広げていくものらしい。
まあオレたちにはティアもシロもチャトも、ラピスたちもいるから、なんとかなりそうではある。
敢えてシロに乗らず、魔物の程度を確認しながら来ているけれど、今のところ問題は感じない。
「とっとと三樹内まで行こうぜ!」
「注文の素材も、そのあたりでしょ~? 早く行こう~」
我慢できなくなった二人にせっつかれ、一気にシロで三樹内まで来たオレたちは、いっそう深くなった森の雰囲気に圧倒された。
藪が、藪じゃない。藪の時点で森みたいだ。
何言ってるか分からないと思うけど、本当にそうとしか言いようがない。
多分これらも棚茸なんだろう、家より巨大なキノコが生え、オレの身体より大きな葉をもつ植物が林立する。
最下層を行くオレたちの視界は、常に薄暗かった。
もはやこうなると、むしろ魔物には見つかりにくくなってきた気がする。
普段と違って口数が減るのは、やっぱり危険度が桁違いだから。
キルフェさんたちは割と気楽な調子で、大丈夫と言っていたけど、ここは中々……。
「う~ん、リスクはあるけど、ここに居てもなんにも見えないよ~。少し、上がる~?」
上がる……この密集する葉の上へ。
地を這う虫より、葉の上にいる虫の方が、捕食されやすい。ましてやオレたち、全然保護色でもない。
だけど、最下層は本当に植物の茎しかない。
頷き合ったオレたちは、用心しいしい葉っぱの上へ登って行った。
いうなればここは中間層だろうか。折り重なるように生えた巨大な草のおかげで、葉から葉へ移動していくことができる。
途中、葉の裏についていた卵に少しゾッとした。
何の卵か知らないけれど、この時点でオレの半分ほどあるものがびっしり。どう考えても、ここの魔物たちはサイズ感が違う。
ふわ、ふわ、と揺れる葉の上で、ひとつ上の葉に登ったタクトを見上げた。
ここらまで来ると、随分明るい。葉の裏側からも、タクトの影がくっきりと見えて――
「タクト!」
「うわ?!」
ハッと声を上げたのと、タクトが剣を振ったのがほぼ同時。さすがの野生!
だけど、不安定な足場で最初の一撃を躱したのが精いっぱい。
伸びてきた丸太のようなものを剣で払い、すぐさまオレたちと合流した。
「なんだあれ? どこから?!」
正直、魔物の気配はたくさんある。でも、間近にはいない。
「あそこ、だね~」
静かな声と、小さな音。
そして、何かが落ちる大きな音。
「え、そんな遠くから?」
「遠いかな~? 狙撃なら楽勝の距離だよ~」
それは確かにそうだろうけども。でも、ガサガサ音を立てて何かが落下した場所は、オレたちから10mは離れているだろうか。魔物って基本、近い位置にいるものを狙うから、そんな距離にいるものから攻撃を受けると思っていなかった。
「ちなみに、僕の一撃じゃあ討ち取れてないからね~」
「わっ!」
のんびりした宣言通り、再び襲ってくる丸太のような……これ、舌?!






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