971 虫の視界
「はあぁ……無駄に疲れたよ」
割り当てられた部屋で、ようやくベッドに飛び込んで溜息を吐く。
「まさか、森人の認識があそこまでズレてるとはね~」
「ここに来る人間の子って、そうそういねえからじゃね?」
なるほど、それはそう。彼らにとっては、成人していない人間の子を見るのが初めてなのか。
『あなたは人間の認識でも、普通に驚くと思うけど』
まふ、まふ、とオレの頭を乗り越えていったモモがそんなことを言う。
幼児だもんねえ……ギルドはじめ、大分周りが慣れてきたんだけど。
『慣らされた周りが気の毒だぜ……』
やれやれ、みたいな顔のチュー助に腹が立つ。
「けど、こういう時こそCランクの証明って役に立つね!」
「だな!」
幼児だろうが何だろうが、確固たる実力の証がそこにある。どんなに首を傾げられたって、きちんと証明されているっていうのはいいものだ。
そして、この世界にはカロルス様みたいな規格外がいるっていう前提がありがたい。
『スオー、つまり規格外ってことだと思う』
『異常を認めるってことだな』
い、異常じゃないでしょう?! 規格外のお野菜だって同じお野菜だし、美味しいよ?! ほら、定形外郵便にも規格内と規格外ってあるじゃない? そういう感じで……オレは規格内、カロルス様は生粋の規格外ってことだ。いや、むしろ郵便の範疇じゃないってことかな。
「でも、あんな認識で一緒に森に繰り出して大丈夫かな~?」
「うわ、危ないとか言って、俺らの方が檻に入れられたり?!」
「ええ~?! でも、立ってることすら危ないって言われたもんね……」
途端、明日の冒険に暗雲が立ち込める。彼らにとって、新生児を連れて森を行くような気分なのか。うん、彼らの悲壮な表情が目に浮かぶ……。
「早めに実力を見せておく必要がありそうだね~」
「けどさ、どうせここ切っちゃダメとか色々あるんだろ? めんどくせえ」
タクトが不服そうに、ばふっと布団に倒れ込んだ。
「食材系だったら、そこまで気にしなくていいんじゃない~? この間のロクロスみたいなのは、結構特殊だと思うよ~」
ロクロスか……あれは、美味しかった。
お腹は満たされているのに、じわりと唾液が滲む。きっともう、口にすることは叶わないだろう至上の一杯。
「あんなに美味しいものが食べられるなら、多少めんどくさくても頑張れる……!」
「確かに……俺も気ぃつける!」
「加工素材の時も気を付けてほしいけど~?」
「あれは心底めんどくせえんだよ! 討伐すんのに傷つけんなとか、無茶にもほどがあんだろ?!」
「だって~」
「だってじゃねえよ?! 素材は無事でも俺の身体が傷つくわ!」
まあ、タクトの傷はすぐ治るし……。加工系の討伐は、むしろラキの砲撃魔法が一番向いていると思うけどね。
この広大な森に潜む魔物について、ウキウキ話を弾ませているうち、俺たちはいつの間にか眠りに落ちていたのだった。
「「「おはようございます!」」」
「……おはよう」
元気に挨拶したオレたちと、今から死地に赴くかのようなリスリスさんと森人たち。
案の定な悲壮感はあるものの、ひとまず檻に入れられることはなさそうでほっとした。
「君ら用に、1人ずつ担当を付けたから……決して離れないように」
多分、普段より人数が多いんだろうな。それプラス3人、屈強な森人がオレたちの側にいる。
「じゃあ……乗って」
オレの隣にいた人が、屈み込んで背中を見せる。反射的に飛び乗ろうとして、はたと止まった。
「乗らないよ?! 自分で歩くからね?!」
ちゃんとラキたちも背中に乗るよう促されていて、苦笑する二人に少し満足する。今回ばかりは、オレだけじゃない。森人にとって6歳と9歳はきっと大差ないんだろう。
森人たちにものすごく納得いかない顔をされているけど、本当に大丈夫なの! 早く行こう、そしたら分かるから。
「仕方ない、歩けなくなったらということで……行こうか」
がっちり森人たちに周囲を囲まれ、オレたちはようやく森人郷を離れ、森の中へ足を踏み入れた。
「――うわあ、凄いね、本当に何もかも大きい」
これは、地を這う虫の視界だ。この森では、オレたちは虫と同じだな。むしろ、虫の方が大きいかもしれない。
「ところで、その日必要なものをとりに行くって言ってたけど~、今日は何をとるの~?」
「ああ……ウルスの実が切れそうだから、それがメインだ」
……あれ?
オレたちは顔を見合わせた。待ってみても、続く言葉がない。
この人数で森に入って、それだけ? それって採取だよね? それなりに時間もかけるはずだけど……。
「絶対必要なのそれだけじゃねえよな?! 討伐は?!」
「深夜・早朝組がなんとか、必死にこなしたから……きっと今日はなんとかなる……たぶん」
もしかして、夜を徹して頑張らせてしまった……? オレたちに安全第一で森の中体験させるために?
オレたちのせい、とは言い難いかもしれないけど、思った以上に迷惑をかけていることにしょんぼりする。
そこまでして、同行してもらわなくても自分たちで行ったのに。お手伝いだから来ただけなのに。
きっとプレリィさんもそのつもりで言ったろうに……。
ひとまず帰ったら、夜中に頑張っていた人たちに回復魔法をかけることにして、頷き合った。
これは、本当に早々に実力を示さなければ。
ハッとオレとタクトが顔を上げ、笑みを交わす。ちょうどいいね。
「来るよ、右斜め前方!」
「え、何……」
「いや、来るぞ! 索敵にひっかかった!」
おお、さすが森人。ちゃんと索敵魔法使ってる人がいたのか。料理人なのに……。
「ガンミョウだ! 速いぞ、距離を取れ!」
触覚を動かしながら姿を現したのは、いかにも虫っぽい虫。カミキリムシに似たスリムな甲虫……だけど、やっぱり大きい。大型バイクと乗用車の間くらいかな? 長い触角と大きなアゴ、そして案外綺麗な甲羅を持っている。
速い、の言葉通り意外なほど素早く先制の魔法を躱した。
「下がれ下がれ! 子どもを抱き上げろ!」
決して焦ってはいないから、彼らにとって危機的な魔物ではないんだろう。だけど、ちょこまか魔法を躱す相手は、遠距離攻撃が不向きに見える。
「抱っこしなくていいよ!」
「俺が行くぜ!」
「あ、待って~」
パツン、パツン、と静かで、ささやかな音が妙に耳に残った。
「えっ……」
誰かの呟きが聞こえて、ガンミョウが戸惑うように数歩下がってまごついている。なんかフォルムがスッキリしたな、と思ったら……
「触覚と甲羅が素材だから~」
なるほど、長い触角はどこを攻撃しても当たりそうだし。
突如散髪されてしまったガンミョウは、急激な感覚変化に右往左往しているよう。
「じゃあ、もういいな!」
ガンミョウと同じように戸惑う森人たちを尻目に、ひとっ飛びでその目の前へ降り立ったタクト。
気付いた森人が我に返って魔法を放つより早く、難なく大あごの一撃を躱して、するりと剣が振るわれた。
「ラキ、触覚どこいったか分かんねえよ?!」
「え~」
屈み込むタクトと駆け寄るラキの前で、首を落とされた虫は、静かに横たわって足を縮めた。
オレも探そうと前へ出て、ふと振り返る。
「ね、大丈夫でしょう? オレも強いからね! Cランクだから! オレたちプレリィさんの護衛だよ? 守らなくていいから、ちゃんと戦力に換算して! この人数だったら、大物も狩りに行けるんじゃない?」
にっこり笑ったオレに、呆然とした森人たちが頷いた。
「人間の新生児って、こんなに強いのか……」
……だから、それはもういいから!!