969 宿のあて
「はーー美味かった」
「二人はここで働いてたんでしょ? 毎日美味しいモン食べられていいなあ」
だらしなく椅子にふんぞり返って腹をさすっている2人と、まだ食べているリリアナ。
そりゃあ、自分で作れるんだからねえ……。どこにいても美味しいものを食べられるだろう。草原の牙も鍋を持ちあるくようになったはずだけど、作っていないんだろうか。
「お値段も鍋底亭と似た感じかな~? 良かった~」
そう言えば、美味しさにかまけて値段のことを忘れていた。
ラキは素材という観点で、メニュー表を見るのも好きなんだよね。そんな目で見ていると料理がおいしくなくなりそうな気がするけれど。
「じゃあ、宿も大丈夫そうか?」
残ったら食べる気満々のタクトが、チラチラ草原の牙のテーブルを狙っている。残らないんじゃないかなあ……あの3人だと。
「宿? わざわざとるつもりだったの? 僕と同じところで良ければ、共同住宅がまだあるんじゃないかな?」
プレリィさんが尋ねるように視線を巡らせると、リスリスさんが頷いた。
「もちろんですよ! ありがたく使わせてもらってますけども……」
「いいよ、そのためにあるんだから。でも、僕らが泊まる部屋はある?」
「はい、あれ全部は埋まらないですよ!」
やり取りを聞いていた草原の牙が、一気に食いついて来た。
「え?! つまり泊まるところある感じ?! すげえありがてえ!」
「やったー! お得!!」
出遅れたオレたちも揃って見上げると、二人の頭をはたいたキルフェさんが苦笑交じりに頷いた。
「あんたらはともかく、護衛してくれた君らは当然、泊めるつもりだったさ」
「随分留守にして長いから、どうなってるか分からないけどね」
「いいの?! でも、お金とか……」
さすがに無料は申し訳ないな、ともじもじすると、プレリィさんがいたずらっぽい顔をした。
「だったら、頼んじゃおうかな? 素材の収集。せっかくだから、この機会に作りたい料理や保存食がいっぱいあるんだよね。ここまで来るの面倒だし、100年分くらい作り貯めておかなきゃ」
プレリィさん、100年分作り置くより、ここへ取りに来る方が簡単だと思う……。
「それって、この森で食材探すってことか? やったぜ!」
「僕も、興味あるな~!」
「あ、そっか! この森でとなると……オレたちで大丈夫かな?」
わくわくが隠せない瞳を交わすオレたちに、プレリィさんが微笑んだ。
「君らなら、大丈夫。危険を避ける腕もあると見るよ」
「そうさね。少なくとも、あんたらは無理だろけどねえ……」
一方のキルフェさんが溜息を吐いて、こくこく頷いているニースをぺしりとやった。
「あ、あの、店長……どういう意味ですか? この子らを外に……?」
「うん、そういう意味だよ。だからこの子たち、一緒に素材狩りに連れて行ってくれる?」
途端、リスリスさんの顔が強張った。
「そ、それは……この子らを守り抜く力なくして、料理人は務まらないと言う卒業試験的な……」
「おや、リスリス、まだ卒業してなかったの? それは困ったなあ」
プレリィさんの穏やかな声に、ヒッと息を呑むリスリスさん。あの、プレリィさんって本当に、本当~に怖くない? 執事さんとも違う『何か』を感じて仕方ないんだけど。
「邪魔にならないようにするから……大丈夫だと思うよ?」
「そう、だといいな……」
厨房へ引き返していく、リスリスさんの背中が暗い。そして、ややあって厨房から悲鳴があがったから、オレたちを引きつれていくメンバーが決定したのだと思う。
完全に、ただのお子様だと思われている気がする。
キルフェさんが、声を潜めて苦笑した。
「人が悪いねえ、この子らの実力をきちんと伝えてやればいいのに」
「ふふ、その方が面白いかなと思って。たまには、そういう緊張感も必要でしょ?」
わざとだったのか……。そういう緊張感、料理人さんに果たして必要かなあ? 料理の腕だけでいいような気がするけど。
「そもそも、素材収集って料理人さんが直接行くの~?」
「だって、そこに食材があるんだから獲りに行く方が確実じゃない? 目利きも必要だし、適当な素材を適当にとって来られても困るんだよね」
肩を竦めたプレリィさんが、シロみたいなことを言っている。シロにとって『外』は広大な新鮮お肉貯蔵庫みたいな感覚だし。
「ちなみに素材収集って、いつ行くの~?」
「その日の担当が行くから、必要な素材次第だけどね。深夜と早朝は……辛そうだから、朝から参加でいいと思うよ」
今度はオレが顔を強張らせたのを見て、くすくす笑われた。
「俺、別に深夜でも早朝でもいいのに」
タクトだけがブツブツ言っているけれど、1人で行こうとしないあたり、本当に実力がついてきたんだな……なんて気がした。だって、まだオレたちにとって未知の森だもの。最初は、3人でね!
3人いれば、なんとかなる。そう思えることが、くすぐったくて、力が沸き立つような……そんな感じ。
『あなたは1人でも、なんとかなると思うわよ』
『主はおひとりさまパーティだしな!』
おひとりさまって言わないで?!
それと、それは1人って言わないでしょう。オレは1人でもみんなと一緒ってことだ。
そして、残念だけどオレって、1人だと結構頼りないと言うか……なんだろうな、しっかり立てていない気がする。
オレって昔からそうなのかな? 大人だったころのオレ、どんなだったかな。
『よく寝て、ほやほやしてたわよ』
『ゆーたはね、ぼくとよく遊んでくれたんだよ!』
『スオー、変わらないと思う』
『今と大差ない』
え、あの、今オレ幼児なんですけど……変わりないってどういうこと?! 大差、あるよね?!
「――ここが、共同住宅だ」
密かに傷心を抱えながら、同じように影を背負ったリスリスさんに案内されて、いつの間にか大きな建物の前に来ていた。
ちょっとした長屋かシェアハウス的なものを想像していたオレは、立派な建物を見上げてぽかんとした。
え……宿より、立派じゃない? 貴族館みたいだけど、いいの……?
「ここも、店長が有り余る私財を投げ打って作った場所だな。元々はたまにお忍びで来やがるお偉方が泊まるための場所、らしいが」
「プレリィさんって、お金持ちだったんだ~!」
「そりゃそうだろ、当時王族が来るほどの料理人だったんだし」
「「「えええ~!」」」
な、なんでそんな凄い人が、あんなうらぶれた店をやってるの……?!
「なんで出て行っちゃったの?!」
「さあな……? もっと普通がいい、なんて言ってたっけか。勿体ねえ」
普通……。
ふいに思い出した、カウンターで寝こけたプレリィさんの、木目の跡がついた頬。あくびする気の抜けた顔。
楽しそうに話す、新作料理について。
さりげなく出してくれる、おいしいお茶。
カウンターに頬杖をついて、オレの話をにこにこ聞いてくれる姿。
もしかしてあれが、プレリィさんがここでは得られなかった『普通』だったりして。
ゆったりした彼の醸し出す空気が馴染む、古いお店。
好きなんだな、そう素直に感じられる、あの空間。
後悔、してないんだろうな。
なぜか、それだけははっきり感じられたのだった。