968 お目当ての店
「もう少し下の方まで行くよ、ここらはちょっと位置が高いから」
「位置が高いと、何なの~?」
首を傾げるオレたちに、プレリィさんがああ、と振り返った。
「位置が高いってことは、基本的に老舗ってことになるね。もちろん、そうじゃない場合もあるけど、結構高級なことが多いかな」
へえ……そういう事情があるのか。そして高い位置でも低価格で楽しめるように、というのがさっきの屋台広場みたいだ。
「腹減った……そういや、もうとっくに昼過ぎてるもんな?! まだ遠いのか?」
タクトにしては、気付くのが遅かったね。さすがに森人郷の物珍しさに、空腹具合も忘れられたんだろうか。
「遠くはないよ、そこを下りたらすぐ……のはず」
「「「はず?」」」
「さすがに、昔の話だからねえ……多分まだあると思うけど」
アヤシイ。プレリィさんの言う昔って、いつ?! 100年単位だったりしないよね?? 彼は一体何歳なのか……。
オレたちの胡乱な視線を気にするでもなく、しばらく歩いてつり革で一段下に下りた場所。
「あ、あったあった。ここだね」
ふんわり笑みを浮かべたプレリィさんが、少し目を細めた。
「へえ……なんかこの扉、鍋底亭に似てるな!」
「よく分かったね、ここは元々は僕が働いていたお店でね。鍋底亭の扉も真似て作ってみたんだよ」
本当だ、素朴で古めかしい感じも似ている。多分、実際すごく古いのだろうけれど。
だってここ、一段下りたとはいえ、高い方の位置じゃないだろうか。
もしかして、プレリィさんが修行していたお店、なのかな。
「みんな、まだいるかな? 僕のことを覚えているといいけど……」
くすくす笑いながら扉を開けると、カランと澄んだ音がした。
「いらっしゃ――」
テーブルを拭いていたりりしい青年が、笑顔で顔を上げて……ぽかんと口を開けた。
「あ、いた。リスリス、久しぶり」
軽く片手を上げたプレリィさんと、硬直している青年の温度差がすごい。あと、リスリスってその人の名前だろうか。
「リスリス、お客さ――は??」
青年の声を聞いて訝し気に顔を出した、厨房の数人が同じような顔で同じように固まった。
うん、おかしいのはプレリィさんだね。
ラキが、すっと両耳に手を当てた――直後。
「「「てっ……店長ぉおおおーーッ?!」」」
静かな店内に、絶叫が響いた。
……え、店長?
「――た、タルシュのサラダ、塩メメ添えです……」
ギクシャクした動きで、青年が木製のボウルをことりと置いた。
何なのか全然分かんないけど、とりあえずサラダだ! 塩メメって多分この生ハムみたいなやつだろう。
あれからまるでプレリィさんが墓場から蘇ってきたかのような騒ぎで、わっと駆け寄って来た森人さんたちが、泣いたり喚いたり大変だった。
だけど、全てをスル―したプレリィさんが、『とりあえず、食事をしたいな』なんてにっこり笑ったもんで……。
ごくり、と息を呑んだ彼らの視線は、上官を前にした兵士そのものだった。
「何がなんだか知らねえけど、美味い!」
「サラダなのに色んな味がして、美味しさが忙しいよ~!」
「わ、凄いね、甘みと塩気のトータルバランスが絶妙!」
「へえ、ラカナッツのドレッシングだ。思い切って甘くしたね、塩メメと合って美味しいな」
固唾をのんでこちらを見つめていた厨房の中の1人が、へなへなと座り込んだのが見えた。サラダ担当だろうか……どうやら緊張の糸が切れたらしい。
「あの、プレリィさんってここの店長さんだったの?」
もしゃもしゃサラダを頬張りながら見上げると、涼やかな笑みが返って来た。
「そうだね、そんな感じだった時もあるね」
「そ、そんな感じじゃないでしょ?! 紛れもなく店長ですよ?! なんでいきなり出てっちゃったんですか?!」
「いきなりじゃないんだけどねえ。それより、お腹空いてるんだよ」
「は、はい! あの、こちらモーモー鳥の――」
ふふ、と笑ったプレリィさんは、どう見ても穏やかだけど……怖い店長だったんだろうか? ことり、ことりとテーブルに皿を置く青年の顔が強張っている。
ひとまずメニューを見ても分からないので、プレリィさんにお任せで頼んでいるのだけど……さすが、プレリィさんのいたお店! 見た目もさることながら、料理が、ちゃんと料理だ……!
焼いた肉! 煮た肉! みたいなやつじゃない。
こんがり香ばしく焼きあがった皮目も美しく、美しく薄切りされた塊肉がわずかにその断面を覗かせるように皿を彩っている。
添えられた野菜の瑞々しさは、ティアが合格点を出すほどで。
惜しみなくかけられたソースの上に、さらに薬味が乗っている完璧具合。
垂れそうになった唾液を拭って、オレたちはいっせいに手を伸ばした。
鳥、と言っていたけれど、まるでローストビーフみたいな色味。だけど、確かに皮目は鳥の雰囲気がある。
見事なロゼ色と、葉野菜の鮮やかな緑がなんとも。贅沢にお肉で野菜を包み込み、たっぷりとソースを絡めた。
「んんん!!」
「うっ……まあぁ!!」
「うわぁ~、すごい~!」
感嘆の声が、声にならない。銀のフォークがきらりと光るほどに、しっかりソースまで舐めとって、しみじみ幸せを嚙みしめた。
「美味しいね、難しいモーモー鳥の調理、下ごしらえがうまくいってるね」
ガタタ、と音を立てて厨房でまた数人がへたり込んだらしい。もはや、オレたちはそっちを見る余裕がないけれど。
「――ちょっとぉ?! 何先に行ってんのさ?! 感動の再会は?! あたし、見逃したじゃないか!」
ちょうど一心不乱に食事を貪っているところで、ばぁんと扉が開いた。
「何この美味そうな匂い?! あっ、お前らなんで先食ってんのぉ?!」
「あうあう~苦難を乗り越えた先に、こんな幸せが! ちょっとそれ、一口ちょうだい!」
「美味……!!」
速攻でプレリィさんからひと口奪ったリリアナ、さすがのツワモノだ。
ちなみにキルフェさん、感動の再会はまだなのか、スキップされたのか分からないけど、とりあえずなかったよ。
「え、キルフェちゃんまで?!」
「よく来たなあ、まだ店長にくっついてんだな!」
「余計なこと言わないでくれるかい?!」
どうやら、ここも知り合いなんだな。一気に賑やかになった店内で、慌ただしく料理が行き交い始める。
昼食時からズレた時間だったせいか、他の客がいないのが幸いだ。
デザートまできっちり平らげたオレたちは、物も言わずにガッツく草原の牙を眺めつつ、至福の時を過ごしている。
「キルフェちゃん~、店長が来るなら連絡くらいしてくれてもいいのに!」
「だって、そんなことしたら全員腹が痛いって休むだろう?」
「「「うっ……」」」
そんなやり取りを眺めるプレリィさんは、相変わらずふわふわした笑みで料理に視線をやっている。
「ねえ、プレリィさんって結構怖い店長さんだったの?」
思い切って直球で聞いてみると、ぱちっと瞬いたプレリィさんがくすっと笑った。
「僕は、変わってないと思うよ? どうかな、怖い?」
「全然……。でも、みんなとっても気にしているみたいだから」
「うーん、僕怒ったりしないから、大丈夫じゃない? 料理に関しては妥協できるものじゃないから、納得いくまで作り直したりしてもらったからかなあ?」
そうなのか……鬼の表情で罵倒するジフに比べれば、そのくらいと思うけれど。
「(うう……今でも時々夢に見るんだよ、5か月蒸し鶏作り続けた時のこと……!)」
「(俺なんか7か月だぞ! 朝から晩まで……)」
「(微笑んで首を振る、あの光景が目に焼き付いて……!!)」
こそこそ話す声が聞こえてくる。
うん、ちょっと思ったのと違ったかな。オレ、罵倒がかわいく思えてきたな!
……人間の恐ろしさって、奥が深い。オレはしみじみ感じながら、柔らかな笑みを見上げたのだった。