965 上った先に
もしかして、森人郷にはこの蜘蛛さんがいっぱいいるってことだろうか。
中々……好みの分かれそうな場所だ。
「ねえ、よく見てよ。大人しいし怖くないよ!」
まだ幹に貼りついている草原の牙たちを振り返ると、恐る恐る立ち上がった。
「大人しい……なら、まあ……」
「怖くない、には同意できないけどねっ?!」
「断固拒否」
もしかしてリリアナは虫系が苦手だろうか? オレからするとG……ワースガーズだっけ? の方がよっぽど嫌だったけど。
『そんなに違いがあるかしら……』
『ゆーた、今はチャトがいるから大丈夫だよ! きっといっぱい捕まえてくれるよ!』
無邪気なシロの言葉と共に、微かに蘇る前世の記憶!
獲物を見せに来てくれたチャト。オレの目の前でその口からはみ出た物体が激しく動いて……。
ヒッ……。
よほど、オレの人生の中で衝撃だったんだろうな。他を覚えていないのに、そんなことは思い出すって。
そしてなんて余計なことを思い出させるんだ……心からいらないよ、そんな記憶。
げっそりしながら、この世界ではかの黒き魔物がデカサイズであることに心から感謝した。
本当にどうでもいいことに気を逸らしていたオレを他所に、まじまじ観察していたラキが不思議そうにしている。
「これ、ツリースパイダーに見えるけど~。でも、ツリースパイダーは普通の魔物だったはず~」
「あ、メリーメリー先生が言ってたな! 微妙に正しい情報なんだな……役には立たねえけど」
確かに。もっと理路整然と必要な情報を提供してほしい。そんな先生は想像できないけど。
「そう、ツリースパイダーの亜種っていうかね、もう元のツリースパイダーからは変異しちゃってるかな? 元は従魔だったみたいだよ」
どうやら、森人の従魔術師というのもたまにいるらしい。森人は大変寿命が長いので、その場合何代も従魔が入れ替わるわけで……。ツリースパイダーをお気に入りにしていた古の人が、従魔を交配させて生まれた子どもたちがまた……という形で、従魔ではないのに人慣れして変異していった子孫たちがこうなったのだとか。
自然と品種改良された結果なんだ……。長い寿命って素晴らしい。森人の寿命があったら、植物の品種改良とかも得意そうだ。
「とにかく、この子らは襲ってきたりしないから。こうして役に立ったら、ご褒美がもらえることを知ってるんだよ」
「とはいえ、最初に通路を作るような作業までできるわけじゃないのさ。そういうとこは、郷の従魔術師の役目だね。そいつがリーダーになってる感じだね」
へえ……じゃあ、必ず一人はツリースパイダーを従魔にしている人がいるんだね。
つぶらな瞳が段々ちゃんとかわいく見えてきたので、隙間から手を伸ばしてそっと触ってみた。
途端、ビクっとした蜘蛛さんが大慌てで逃げていく。
「ご、ごめんね……クモハラしちゃった」
もっとチクチクザラザラするかと思ったら、案外ふわさらっとして動物的な感触で驚いた。
「なにやってんだい……ほら、いつまでも腰抜かしてないで、行くよ!」
すーっと上から影が下りてきたと思ったら、あんまり遅いので迎えに来たらしい。
キルフェさんが、草原の牙を追い立てて通路を上がっていく。上にあるつり革は、魔力を流さず重力で伸ばして下りるらしい。当然、その降下速度は魔力調整仕様だ。多分オレ、下りる方は無理な気がする……。
ところで、通路の秘密はもう分かったけど、まだ上に行くんだろうか。
もしかして、あの空中を渡るつり橋に行けるんだろうか。
見上げた上空に、オーガンジーのような蜘蛛の糸に支えられた、長い空中通路が見える。なんとも頼りなげで、ロープの一本もないその不思議な光景は、わくわくと共にお尻がぞくぞくする。
「この通路ってどのくらい暴れたら、落ちるんだろうな」
「心配しないで~。そうなる前にタクトを撃ち落とすから~」
「べ、別に俺が暴れるって言ってねえだろ!」
「せっかく作った蜘蛛さんがかわいそうだから、オレも先にタクトを落とすかも」
「落とされる俺はかわいそうじゃねえのかよ?!」
タクトの文句を聞き流しながら、アリンコの気分で延々と木を登ることしばし。
「やっと着いた……怖えぇよお……」
「高すぎるのよぉ! どうしてこんな高いところで生活しようなんて発想が出るわけ?!」
「……」
リリアナは大丈夫だろうか。体力のなさは、相変わらず冒険者とは思えないレベルだ。
そして古今東西、権力者とかお金持ちって高い所に住みがちな気がするのに。草原の牙は、庶民派ということかもしれない。
「高い所、結構気持ちよくて好きだけどなあ」
随分近くなった梢が、ゆったり揺れてざわざわと大きな音がする。森が、来てるのかな?
そんな気がして、手を振っておいた。
「なんかいいもんあるかと思って、頑張って上ったのにさあ」
「ここまで来たのに何もないなんて、許せないんですけどぉ!」
「完全、同意……」
そこはまあ……オレたちもちょっぴり同意だ。
到着した場所は、よく言えば葉っぱに覆われたテラスのようで、悪く言うなら階段の踊り場? さらに上に行けそうなつり革があるだけで、特に何にもない。
「まあまあ、こっちに来てごらん。あと少し頑張ったら、いい場所があるから」
「あたしがいた頃は、展望台ももうちょっと低い位置にあったんだけどねえ」
「「「展望台?!」」」
飛び上がったオレたちが二人を追いかけると、踊り場の崖っぷちぎりぎりあたりにつり革がいくつかぶら下がっていた。
「あとは、これで上がるだけ。ユータくん、気を付けてね」
プレリィさんが笑いながらつり革を掴み、ばさっと葉っぱの天井を抜けて行った。
うわあ、この上があるの?!
「じゃあタクト、行こうか~」
「お前、俺を救命具かなんかだと思ってるだろ」
「あっ、じゃあオレも二人と行く!」
だって、楽しいところは3人一緒の方がいい!
「そんなにぶら下がれる~?」
「ラキがつり革に手を添えるでしょ、タクトがしっかりつり革を持ってラキとオレをまとめて抱えればいいんだよ!」
「なるほど~! それなら僕の手も疲れない~!」
「なるほどじゃねえわ」
まあまあとスタンバイすると、ぎゅっと3人かたまって視線を合わせた。
「じゃあ、行くよ~!」
「うん!」
「おう!」
すすーっと、ゆっくり引っ張り上げられてタクトとラキの足が浮いた。オレの足は……最初から浮いてる。
「わーっ葉っぱのカーテン!」
「そんないいもんか?! べっ、口に入った!」
「これ、虫とか大丈夫~?」
頭から葉っぱの中へ突っ込んで、ばさばさと緑の中を潜り抜けていく。
目に入りそうで固く閉じていたまぶたの裏が、さあっと光で満ちた。
「抜け、た……?!」
「うおお?!」
「――っ?!」
浮いている……!
オレたち、空にいる。
今までオレたちを支えていた場所が、緑で覆われて見えない。
見えるのは、樹と、葉っぱと、右も左も広がる空間。そして――
「町ってこんな風になってたんだ!」
やや離れた位置に、密集した建物が見える。そして、どんどん小さくなっていく。
慎重なラキの性格を反映して、ゆっくり、ゆっくり上昇するオレたち。
「すげー!」
オレたちを抱えたタクトが足をばたばたさせるもんだから、つり革ががくがく揺れて悲鳴を上げた。空中に慣れているオレでも、この光景は足元からぞわぞわしてくる。
「タクト、怖いよ! 千切れちゃいそう!」
「暴れたら撃ち落とすって言ったよね~?」
「俺が抱えてんのに?!」
ラキの目が据わっている。
ラキだってよくタクトに抱えられて落下してると思うんだけど。
「――ねえ、凄いね。オレたち、森人郷にいる」
一面の緑。そして、その中に存在するささやかな人の住まい。
「おう。すげえ所だな!」
「ホント……僕ら、なんだかいつも凄い体験してるよね~」
「誰かのせいでな」
なぜか注がれた二対の視線に頬を膨らませる。
それって、最高なことだよね? 森人みたいに長くないオレたちの人生だもの、いっぱいいっぱい凄い体験をしておいた方がいい。
だって、きっと最期に思い浮かべるのは、財産でも地位でもなくて、きっときっと、色んな体験だもの。
誰と、何をしたか、だもの。
「うーんオレ、最後に思い浮かべることが多すぎて、中々あの世に行けないかも……」
「確かに」
「それはそう~」
笑うオレたちの声も、ゆっくりゆっくり、上昇して行ったのだった。