959 至上の一杯
ごくり、喉を鳴らしたオレたちは、目の前に置かれた小さな器を見つめていた。
「超高級品~?」
「これが…………そんなに」
「そんなに…………美味いのか?」
タクトの頭に疑問符が浮かぶのも、無理はない。
器の中で揺れるのは、何の変哲もない、琥珀色の澄んだ液体。
具のひとつも入っていない。
なんというか、あの、誤解を恐れずに言うなら……コンソメスープ?
『……さすがにそれは、誤解を恐れてほしいわ』
はい……ごめんなさい。
それはさすがに歴代の王様にも失礼かもしれない。
このスープ、『王権の滴』なんて大層な名前がついているらしい。
飲めば寿命も延びるとかいう、極上の献上品だとか。
確かにそういう薬効を求めてのことなら、味はともかく、なんてのもあるし。
気の持ちようっていうプラシーボ効果もあるわけだし。
……だって、苦労したとはいえ、ここらで手に入る食材がメインだよ? そこまで凄いものだとは思えないんだけど。
「俺はそっちの肉のほうが、よっぽど美味そうに見えるんだけど?」
「じゃあちょうだい! 美容に良さそうだし!」
「美容なら、スープより他を優先すべき」
草原の牙面々も、スープより他の料理に目移りしている。
だって、プレリィさんの料理だもの……どれも見た目からして最高級! そっちに視線が持って行かれるのはどうしようもない。
「はあ……本当にこの子らに飲ますのかい? もったいない……作っちまったものはしょうがないけどねえ。あんた、使った素材どうすんのさ」
「そのために、里に行くんじゃない? 結構年代ものだったから、今使えてよかったよ」
「まあねえ、ここに保存庫がいるからナシ寄りのアリではあったけども」
……どうやら、ここらで獲った素材だけの話ではなさそう。
「プレリィさん、貴重な素材を使っちゃったの?」
おずおず尋ねると、爽やかな笑みが返って来た。
「うん、でも貴重な品って使う機会があんまりないから。だから、今まとめて使えて僥倖ってとこだよ! 乾物だからっていつまでももつわけじゃないから」
一応、聞いてみたけども、何かしらの貝やらキノコやら、聞いたことのない素材名が並んでいた。
「あの……確かに護衛代は食事でまかなう話だったけど、これだとものすごく過剰になっちゃうんじゃ……」
「そりゃそうさね! あんた、『王権の滴』だよ? 勝手に作った人が悪いから、まあ……しょうがないねえ。残りをあんたが保管してくれるってんなら、いいんじゃないかい?」
苦笑したキルフェさんが、割と強めにプレリィさんの背中を叩いた。
そ、そんな貴重な品をずっと持っておくのイヤなんだけど……できれば、里で販売してくれればいいんだけど。
「だってさ、僕だって、腕試しの最高級を作りたい時があるよね」
しれっと言ったプレリィさんが、楽しかったー、なんて生き生きしている。
「なあ、もう食っていいか?!」
しびれを切らしたタクトに急かされ、プレリィさんが微笑んだ。
「うん、どうぞ。せっかくだから、『王権の滴』を最初に味わってね」
「金貨の一滴、なんて言われるスープだよ! 味わって飲みな!」
ひ、ひええ……。一滴も零せない!
震えそうになる手で盃のような小さい器を支え、視線を交わしたオレたちがスプーンを沈める。
鼻を近づけても、そんなに特徴的な香りがするわけでもない。
「うおおお?!」
「なにこれッ?! えええー!」
「……!!」
じっくり見た目から味わっていたところで、悲鳴が聞こえた。
「あんたら……! 味わって……飲めっつっただろ!!」
躊躇なくくいっといったらしい草原の牙が、呆然自失の様相で頭をはたかれている。
「なになに?! どんな味なの?!」
「見た目通りの味ではないってことだね~?」
「そんな美味いのか!」
一気に高まった期待で、鼓動が速くなる。
銀のスプーンに、とろりとひとすくい。思ったより、とろみがあるんだな。
零さないよう、お口の方から迎えに行って、そうっと咥えた。
ゆっくり舌の上に、口の中にふくんで。
――っ、すご、い。
一気に染み渡る、何か。快に繋がる味覚が、全部沸き立った。
何と言う味か分からない。
これは……新たな味覚。きっと、美味いという味そのもの。
アルコールを飲んだように、ふわっと身体が熱くなる。
ぞわわわ、と快と不快の境目みたいな感覚が全身を巡って、細胞が興奮している。
ああ、これは……至上の一杯。
若返り、寿命が延びる、そう信じるに足る効能がある。
生命の魔素を満たしたような……多分、それに近い感じ。
これは、この器で十分。これ以上は、身体から溢れてしまいそう。
とろり、満足に濡れた瞳に、イタズラっぽい顔が映った。
「『奉りて、永久の恵みを乞う』……だね」
プレリィさんが、恭しい仕草で片膝をついて、頭を下げる。
「え、え? 何、それ」
「ふふっ、元はね、神々への一杯だったんだよ。その後、お下がりを権力者がいただくっていうね」
姿勢を戻したプレリィさんが、目を細めて笑った。
「そ、そんな凄いものなんだ……」
「凄いかどうかは分からないけど、そういう役目のものってだけだよ。美味しいものは他にもあるでしょ。ユータ君に捧げたら、いろんな恵みがありそう」
「ないよ?! 何にもないよ?!」
慌てて全身で否定したけれど、プレリィさんは『保管庫に、新レシピに、アイディアに……』なんて指折り挙げている。割りと現実的な恵みだな……そのくらいなら、まあ。
『天使様の恵みがあるかもしれないわね~』
『主ぃ、張り切ってお恵みするんだぜ! 天使教のトップだろ?!』
やめて?! 何にも御利益ないんだから!! 唯一、破壊神がたまにやってくるくらいで!
盃一杯のスープをじっくり楽しんだら、なんだか身体が満足している気がする。
食事が少なめだな、と思ったのはこのためだったのか。
満ち足りている、という気持ちが食欲も満足させているのかな。
それでも、美味しそうな料理につい手は伸びる。
まっしぐらに肉へ向かった他のメンツをよそに、オレは気になっていた水餃子のようなものを頬張っていた。だって、あの肉はロクロスだ。プレリィさんの腕で美味しくなってるだろうけど、他の方が美味しいに決まってる。
「こ、これ何! おいし……?!」
思わず上げてしまった声に、みんなの目が水餃子もどきに向かってしまった。
「バレちゃった? それはね、スープに使った具材だよ」
「ええ?! 高級品?!」
「そう、ただスープに美味しい所は全部出てるけどね」
いやいやいや、めちゃくちゃ美味しいですけど?!
つるぷに、とした皮の中に、雑多な具材が細かく刻まれて詰め込まれていた。
じゅわ、と溢れるスープが極上なのは道理だ。
スープの時に唯一足りなかった噛みしめる歯ざわりが、あらゆる食感を伝えてくる。
なんだこれ……おいしい。
美味さという絵を一枚、また一枚重ねて、重ねて、まったく別の絵が出来上がるように。
料理という、重ね合う味の美学が今、ここに集結している……そんな気がした。
「ほうら、やっぱりユータくんに出して正解だった」
「確かにねえ……。そんな顔されちゃ、料理も喜ぶってもんさ」
「僕も、ね」
森人料理人二人が顔を見合わせて笑うから……恍惚と味わっていたのが恥ずかしくて、頬を膨らませたのだった。
こんなに長く書くつもりは……すみません、楽しかったです