958 響く悲鳴
「なんだ……?」
「悲鳴~?」
「こっちに来る……!」
微かな振動まで感じる気がする。
明らかに近くなってくる悲鳴。
尾を引く悲鳴が近づいてくるという体験は、初めてな気がする。
悲鳴って彗星と同じで、消えていくから様になるのであって――
『あうじ、今はそえろころじゃないのよ』
『主ぃ、そういうのは今考えることじゃないんだぜ!』
……はい。大変ごもっともです。
気を取り直して身構えたところで、大きな影が見えた。
どっしどっし、地面が揺れるような音を響かせながら、何かが近づいてくる。
「「「ぎゃああああ~!」」」
オレたちは静かに視線を交わして、素早く手元の串焼きを証拠隠滅した。
間近く迫った魔物は、ロクロスのよう。
ただし、既にこと切れているようだけど。
ズン、と目の前に着地したロクロスの上には、若干数名が乗って……いや、乗せられていた。
『何食べてるのーー?! ただいま!!』
ぴかぴかの笑顔を浮かべて尻尾を振っているのは、言わずと知れたシロ。
何がどうなってそうなったのか、サッパリだけど……ひとまず。
シッと唇に人差し指を当て、オレは残った1本の串をシロに差し出した。
心得たシロが無言でぱくっと咥える。しゅっと串を引き抜けば、もうお肉は全てシロの口の中。
残る串は一気に燃やして、灰にしておく。……よし!
『よし、じゃないのよ』
ぽん、とオレの胸元に飛び込んできたモモを受け止め、改めてロクロス……と、草原の牙を眺めた。
身体はそこそこ大きいけど、甲殻はオレたちが見つけたロクロスより小さい。
「ひ、酷い目にあった……」
よろよろとロクロスから滑り下りてきたのは、キルフェさん。
「これ、キルフェさんたちが討伐したの?」
だったら、Cランクもイケるんじゃないかと目を輝かせたのだけど、苦笑が返って来た。
「そうだったら良かったんだけど、ねえ?」
キルフェさんにバシバシ叩かれて、ロクロスの上で目を回していた3人も下りてくる。
「た、助かった……」
「色んな意味で、ね……」
「九死に一生……」
そのまま地面に伸びてしまった3人を尻目に、キルフェさんはテキパキ甲殻を落としてプレリィさんへ渡している。オレたちが見つけた甲殻が、小さいものでも米袋サイズ、シロが持って帰って来たロクロスだと、ちょっとしたコブみたいだ。大きくてドッヂボールといったところか。
「あ! はさみも持って帰ってきてくれたんだ! 助かる! 逃がしちゃったから、惜しい事したなって思ってたところなんだよ!」
「はさみ? ……うわ、あんたこんな野外で何作ってんだい?! 王族でももてなすのかい?!」
「うふふふ、バレちゃった? だって、こんな立派な甲殻……存分に使ってみたいじゃない?」
「もったいない!!」
キルフェさんが頭を抱えているところを見るに、もしかしてあのスープ、相当高額なお品なのでは……。
「それで~? そっちは何があったの~?」
ラキの視線が草原の牙から、シロの方へ移動した。
ぺろり、ぺろりと口の周りを舐めて余韻を楽しむシロが、ちょっとばかり申し訳なさそうな顔で耳を倒した。
『あのね、ぼく、いい匂いがしたから……我慢できなくなっちゃった』
いい匂い? ロクロスのお肉は、あんまりいいものじゃなかったような。
『ロクロスを追いつめたまではいいのよ。キルフェさん中心に、なんとか逃がさないよう頑張ってたんだけど……』
モモが、まふまふ伸び縮みして溜息を零した。
小さく尻尾を振りながら、シロが申し訳なさそうに後を続ける。
『でもね、全然ゆーた達来ないし、みんな中々倒してくれなくて』
「え? オレたち?」
『そうよ、最初から足止めって話だったでしょ?』
……そう言えば。
オレは気まずい笑みを浮かべて、労うようにシロとモモを撫でた。
そんなこと、すっかり忘れていた。むしろ、草原の牙の存在すら忘れていたかもしれない。
*****
「くっ……信号は届いてるはずなのに! あいつめ、もしや食材に夢中になってるかも……いや、何なら既に料理に取り掛かってたりして」
キルフェは戦闘の合間に魔道具を確認し、舌打ちをした。
「ちょ、いやああ! 怖いっ! 固いっ! やだやだせっかく研いだばっかなのにぃ!」
「ぎゃあああ?! 無理無理! 俺はさみ一本で精一杯ですけどぉ?! 二本あんのズルくねえ?!」
「我、関せず……」
「リリアナだけ遠くてズルいのよぉ!」
「援護しろよぉおお!!」
非常にうるさい。やかましい。
……つい、キルフェの視線がぬるくなった。
「余裕があるならもっと気張りなあ!」
「「ないって言ってんのぉ!!」」
「気張りなー」
危険な攻撃だけを防ぎながら、シロが小首を傾げた。
『ねえモモ、どうして早く倒さないのかな』
『倒せないのよねえ……』
『じゃあ、ゆーたたちを呼ぶ?』
あまり、危機的状況には見えないのだけれど。
『何というか……ユータたちとはまた違うんだけど、余裕ねえ。シリアスが裸足で逃げていく、この感じ。多分、まだ大丈夫そうだし、多分魔道具で知らせてるんじゃないかしら』
『そっか、じゃあぼく待ってるね!』
しっぽを振りながら、シロは辛抱強く待っていた。
『……なかなかだねえ。どうして倒さないのかな』
『倒せないのよねえ……』
そして、ユータたちも来ない。しびれを切らしたモモが、管狐通信を使おうかと考えた、その時。
シロのしっぽが、ぴたっと止まった。
気の抜けていた耳が、ぴんと立つ。
魔物そっちのけで全神経を集中させた様子に、モモにも緊張が走った。
『どうしたの?! 何か、脅威が?!』
無言で鼻づらを空に向けたシロの姿が、ふっと消えた。
「も、もーイヤだ。もーー逃がそうぜ、どうせあいつらがロクロス見つけてるって!」
ニースが今にも戦闘放棄しそうになっていた、その前に飛び出した白銀の獣。
「ウォウッ!」
「え、シロちゃんどうしたの?! あぶっ、危ないよ?!」
「援護する」
リリアナの弓がきりり、と引き絞られた。
「俺らん時も援護しろよぉ?!」
「矢が無駄になる」
「私らの命が無駄に散っちゃうよおぉ?!」
騒ぐ3人をちらりと見たシロが、一気に間合いを詰めた。
振られたはさみを難なくくぐって、右側からひと噛み。
「「「「……あ」」」」
そのまま滑るように駆けた後に、どっと吹き出した赤と、崩れ落ちた魔物。
ぽかんと口を開けた草原の牙は、振り返った白銀の獣が、そのままの勢いでこちらへ向かってくるのを目にして、悲鳴を上げた。
*****
「あーそっか、いい匂いに気付いちゃったんだね」
苦笑して、反省しているシロを撫でた。
「――ちょっとあんた、なんであたしの信号無視してんのさ?!」
「いやあ……ちょっと……忙しくて」
「そんなだから、護衛が必要な事態になるんだろ!」
そして、向こうで怒られているプレリィさんを見て、大体の事情を察した。
なるほど。全てはプレリィさんのせいということで。
『ぼく、ちゃんとみんなが倒すまで待ってるつもりだったんだけど。でもね、でも、すっごくいい匂いがしてきちゃったから、我慢できなくて。悪いことしちゃった』
しゅん、と項垂れたシロを目いっぱい撫でる。
「ううん! 結果的に良かったよ!」
「ちゃんと飯に間に合ったしな!」
「どうせ倒せないと思うしね~」
辛辣なラキのセリフは、しっかり草原の牙に届いていたらしい。『うっ』と呻いた3人は、這いつくばって泣いていたのだった。