955 狩り
「僕は、相性悪そうだね~」
崖下をのぞき込んでロクロスを確認したラキが、そう零して肩を竦める。
確かに……結構重量級の相手だ。これ、森の中にもいるの? 乗用車くらいあるから、結構身動き取りにくそうだけど。
そして、甲殻とはさみのあるトカゲと言えば、そうなのかもしれないけど。オレが想像していた亀っぽい姿とはちょっと違った。
甲殻って、甲羅じゃないのか。どっちかというと巻貝のようなとがったものが、背中に3つ、トゲのように並んでいる。
「わあ、大物だね。甲殻3つ持ちか! これはいい獲物だね」
プレリィさんの目がキラキラしている。魔物を見る目じゃあないね、それ。
「甲殻もはさみも切らないように、なるべく首を狙う……だよな?!」
「うん、それでお願いするよ! 結構素早いから気を付けて」
よし、と笑ったタクトがラキを小脇に抱えた。
「えっ? 何~? ちょっと待って~?」
「お前、1人じゃ下りられないだろ? 一緒に連れて行ってやるよ」
気にすんな! と笑ったタクトに、ラキの顔が引きつった。
「待――っ!」
「馬鹿、しっ! ロクロスに逃げられるだろ」
飛び降りる瞬間、哀れにも口を塞がれたラキの、声なき悲鳴が聞こえた気がした。
うん、ご愁傷様。
オレはひとまず、ロクロスの前後を挟める位置に下りようかな。
「チャト!」
ばっ、と助走をつけて崖の上に身を躍らせた瞬間、プレリィさんが目を見張った。
あ、ビックリさせちゃった。
「大丈夫!」
空中で身を捻って手を振った直後、ふわっとオレンジのもふもふに包まれる。
一気に高度が上がって、眼下に口を開けたプレリィさんが見えた。
そうか、チャトのことは知らないもんね。
大きく手を振って、オレたちはロクロスの正面側へと向かった。
「前後を挟むと言っても……真正面に下りたらバレバレだし。どうしようかな」
崖下は逃げ道が少なくて好都合だと思ったけれど、障害物がほとんどなくて見通しがいい。
ロクロスにとっては敵に気付きやすい、好立地なのかもしれない。
しばらくラキに怒られていたタクトも、行動を開始したらしい。ラキはその場に残って、万が一の援護……援護する気があるかは分からないけど、ひとまずロクロスの退路だけは絶つだろう。甲殻は素材になるらしいから。
オレは、ロクロスが背後を気にしないよう、陽動係の方がいいかもしれない。
しばらく周囲を探って、崖途中の木に隠れるように降り立った。
「チャト、ありがとう。ここからは大丈夫」
『ここからも何も、最初から自分で行けるだろう』
フン、と鼻を鳴らして、すぐさまオレの中に戻ってしまう。
まあ、確かにそれはそうだけど。上空から地形を見られるアドバンテージは大きいよ?
用心しいしい崖下まで下りると、岩壁に小さな体を貼り付けるようにしてこそこそ進む。
しっかり近づいてから引き付けないと、タクトたちから大分離れてしまう。
幸いロクロスは、こんなちっさい人間が近づいてくるとは思ってもいないらしく、のんびり何かを食べている。
ばり、ばり、と結構な音がしている。岩を食べるんだろうか……と不思議に思って真剣に観察していると、どうもそこらの岩をひっくり返して下の方に生えている何かを食べているらしい。
一見カメノテみたいに見えるから、陸生の貝みたいなもの?
もしかして、それ自体も食べられるかもしれない。興味津々で身を乗り出したのがいけなかったらしい。
ロクロスが、ぎろりとこちらに視線を動かした。
大きいな……とは思いつつ、最近すっごく大きいクラスの生き物をよく見るから、正直こんなものか、という感想しかない。
立派な3つのとがった甲殻、そして大きな1対のはさみ。顔は確かにトカゲっぽいけれど、はさみを除いて足は2対。これ、そもそもトカゲじゃなくない?
岩陰に身を潜めたものの、ロクロスは鼻をひくつかせて用心深くこちらを窺っている。
タクトたちは……
――もう、すぐそばに来てるの。ラピス、これあんまり美味しそうに見えないの。
不服そうな綿毛隊長が、残念そうにロクロスを見た。
だけどね、ラピス。見た目で味を決めるなんてこと、少なくともこの日本人の末裔たるオレだけは、やっちゃいけないことなんだ。
食べ物は、見た目じゃない。それは、オレの魂に刻まれた記憶。
『そんなくだらないことを魂に刻むな』
辛辣なツッコミも聞き流し、オレはキッと顔を上げて岩陰から飛び出した。
「バレてしまっちゃあ仕方ない! 正々堂々、勝負だ!」
勇ましい掛け声と共に、シャッと両の短剣を抜いて宙返りしてみせる。
オレの胴より太そうな足、オレなんて真っ二つにできそうなはさみ。比べて、オレの短剣の小さいこと。
トカゲの爪の先より小さな短剣と、小さなオレ。
なんて容易い獲物だろう、って思うでしょう?
ふふっと笑みを浮かばせた時、魔物が雄叫びを上げた。
さあ、来い!
上に飛ぶか、横に避けるか。それとも下を抜けるか。
ぐっと姿勢を低く力を蓄えた時――
「え、ちょっと」
ロクロスがくるっと方向転換した。それはもう、見事な素早さで。
そして、そのまま離脱を……
「え、は?!」
オレへ攻撃した瞬間を狙おうと飛び出していたタクトが、真正面から顔を合わせてぎょっと目を見開いた。
タクトに気付いたロクロスは一瞬怯んだものの、そのまま駆け抜けられると踏んだか、はさみを叩きつけて方向を変え、すり抜けようとした。
「タクト! 捕まえて~!!」
「え?! はあっ?!」
ガッ! と鈍い音がした。
「うおおぉ……咄嗟に捕まえちまったじゃねえか! こっからどうすんだよ?! おわ、あぶねえ!」
……何してるの。
がっちり首根っこを抱き込んで、あたかも相撲のようにぎりぎり押し合っているタクトに、生ぬるい視線を送った。
大きなはさみを振り回すものの、ロクロスに密着するように抱え込むタクトにはギリギリ当たらない。まあ、多少当たっても大丈夫だろう。
やれやれ、と言わんばかりの顔で歩み寄って来たラキが、にこにこしながらロクロスを見上げた。
「いい甲殻だね~。さあ、どうしようか~」
ふふ、と微笑むラキに、ロクロスとタクトが双方ビクッとした気がする。
「でも、タクトがそこにいると、切れないよ」
「う~ん、タクトだから大丈夫ってことは~」
「ねえよ?! やめろよ?! つうか何で捕まえさせたんだよ?!」
「だって、僕の方に来たら危ないし~逃がすのはもっと嫌だし~」
余裕、あるね。タクト、自分でなんとかできないの?
だけど、さすがに片手でなんとかなる相手ではないよう。剣が抜けないとどうにも、だね。
「叩きつけていいか?!」
「だめ~、甲殻傷ついちゃう~。何のためにロクロス狙ったか分かんなくなるじゃない~」
「くっそぉ! ユータ、何とかしろ!」
「何とかと言われても……割とタクトが邪魔で。あと、結構危ないよ」
だって、ロクロス大暴れしているもの。ビッチビチ暴れてはさみを振り回している。
重量が全然違うのに、それを押さえ込んでいる意味が分からない。物理法則が狂っていないだろうか。
「嘘つけ! どうとでもなるだろ! こいつ、結構力強いんだぞ!」
うん、見たら分かる。
「――すごいね、まさか捕獲できるなんて」
オレたちがのんびり言い合っている間に、いつの間にかプレリィさんがそばに居た。どうやって下りてきたんだろう……。
「そうなんだけど、ここからどうしようかと思って」
「僕は甲殻の中身があれば、まあいいかなと思うんだけど、ユータくんたちははさみとお肉も欲しい?」
「僕は甲殻の外側があれば~」
はさみ? と思ったら、ロクロスのはさみも食用と薬用になる素材で、一応肉も食用らしい。肉レベル的には中の下らしいけれど。
「それがもしいらなかったら……あ、そうか、甲殻だけ?」
「うん、甲殻のコブだけもらって、逃がしてあげてもいいんじゃない? ロクロスってとっても臆病だから、大きな害はないしね! せっかく貯め込んだ栄養をもらうのは心苦しいけど」
これって栄養?! ラクダのコブ的扱いなのか……。そもそも臆病だったなんて、凶悪な見た目に騙されて、完全に戦闘タイプだと思っていた。そういえば食べていたのは貝だったな。
どっちにしろ、討伐するつもりではあったんだけど。でも、甲殻だけですむならその方がいい。
「じゃあ、そうするね!」
「だけど、甲殻はそれなりに固いから……」
『けっ、そんなもん、俺様にかかればバターも同じよお!』
『そうなんらぜ! おやぶ、動かないまももは怖くないんらぜ!』
シャキーンと飛び出した微妙に締まらない二匹にくすっと笑って、可哀そうなロクロスの上に飛び上がった。
「悪いけど、もらうよ! その代わりに、命は取らないからっ!」
ひゅ、と。一回転、二回転、三回転。
風の鳴る音と共に舞って、スタッと着地する。
ごろり、ごろごろり、3つの突起は、見事に落ちて転がった。
タクト「それで?! それで俺はどうすんだよ?!」