952 出発準備
さくさくさく、小さな口が、みるみるクッキーを吸い込んでいく。
口の中に消えたと思ったら、新たなクッキーがさくさくさく……。
ループ動画を見ているんだろうか。
今にも喉を詰めるんじゃないかと不安で、そっと飲み物を側へ置いておく。
「先生、食ってばっかじゃなくて話をしてくれよ!」
「食べるの早い~! これみんなで食べる分だから~!」
二人も負けじと口に詰め込みながら、牽制し合っている。
せっかく旅行用にとたくさん焼いたクッキーだけど、焼き直しが必要かもしれない。
「二人はいつも食べてるでしょ?! ここは先生に譲ってあげてもいいと思うよっ!」
「先生はオトナだろ!」
「大人だってクッキーは食べたいよっ!! じゃあさ、タクトくんはオトナになったらクッキー食べないのっ?!」
ハッとしたタクトが、クッキーを掴んだ手を止め、胸を打たれたような顔をする。
「そうか……俺が間違ってたぜ! 今食いたいもんは、オトナになっても食いたいに決まってるよな! 俺、大人になるってことをはき違えていたかもしれねえ……!」
「そう、タクトくんもついに理解できたんだね……。そう、大人っていうのは、今君たちが思っているような存在じゃあないの。今ここにある、君たちの明日が積み重なった姿。知ってしまったんだね、何かが、変わるわけじゃないってこと……」
神妙な顔をしたメリーメリー先生とタクトが、通じ合っている。
言ってることが、割りとまともなだけにツッコみにくいんですけど。
すごく真理に近づいたような顔をしているけど、絶対の絶対にこの二人の理解はそこにないでしょう。多分、今日好きなものは明日も好き、くらいの認識でしかない。
オレたちはクッキーでメリーメリー先生を誘い出し、なんとか役に立つ情報を聞き出そうとしていたのだけど。この分だと、ただのアフタヌーンティーになる気しかしない。
「先生、一旦お取り上げね~」
……と思っていたら、ラキの強権が発動した。
「ああっ?! ラキくん?! ひどい、そ、そんなの横暴だよっ?!」
すすーっとお菓子の乗った皿を引き寄せたラキが、圧のあるにっこり笑みを浮かべた。
「いい情報をくれたら、お菓子をあげるから~頑張ってひねり出して~?」
「で、でもっ! 先生、何がいい情報か分からないよっ!」
完全にクッキー皿に釘付けになったメリーメリー先生が、もどかしそうに口元を拭った。
「えっとえっと、ウチはお芋畑が大きくてさ、唐突に大量のお芋を送ってくれたりするよ!」
「その情報はいらないけど~、森人の町? は畑が多いの~? 森なのに~?」
「畑は多いよっ! 森だけど、棚茸があるから植えるとこはあるんだよねっ!」
「「「タナダケ?」」」
きらり、とラキの目が輝き、メリーメリー先生にクッキーが一枚。
嬉しそうにさくさくしながら、先生が当たり前のように頷いた。
「棚茸、知らない? あちこちに生えてるけど、そういえばここらでは見かけないね。こう……棚というか、階段というか……上が平になってて段々に成長するやつ! 色々使いやすいんだよっ!」
その『大きい』って、オレたちが想像するサイズじゃないような気がするんだけど。だって、その上に畑があるってことでしょう?
オレたちの瞳が、きらきら輝いた。
「乗ったりできるくらい、でっかいキノコなのか?!」
「そりゃあそうだよ! 大広間も、棚茸なんだよっ! どんどんでっかくなっちゃうから、時々焼き落としをしなきゃなんだけどね!」
大広間ってなに? それ、絶対屋内のことじゃないよね。
「えっと、大広間は、みんなが集まるところだよっ! お祭りも、踊りも、集会も、大体大広間でやるよっ! だってあんまり広いところがないんだよねっ! 大体が通路だから」
「通路ってどういうこと?」
「だって、森だもん。木と木の間をひたすら繋いであるんだよねっ! えーと……ツリースパイダーの巣みたいな?」
「「「……」」」
ファンタジー空間が、突如おどろおどろしい蜘蛛の巣だらけの森に変わってしまった。
ツリースパイダーって、そんなに大きくないけどもちろん人も食べるし、集団生活するんだよね。それで、森の一部が真っ白になるくらい巣を張ってさ……。宵闇の中、木々の間でレースのように揺れる光景は、幽霊のドレス、って言われて恐れられる所以だ。
つまり――
「そ、そんな恐ろしげなところなの?!」
「俺、妖精の国みたいなの想像してたんだけど?!」
「完全なる風評被害だね~」
一気に行きたくない気持ちになったけれど、そうか、これはメリーメリー先生の感想だから。
ひとまず森人の町には巨大キノコの上に畑があって、木々の間に通路が結ばれていると。
……蜘蛛は置いておこう。
「あーもう、オレ早く行きたくてうずうずするんだけど! 何か、他にすることないかな?!」
メリーメリー先生との、意味があったんだかなかったんだか分からないお茶会を終え、オレは寮のベッドで身もだえている。
なぜ大した収穫がないと知りつつ、メリーメリー先生と話をしたかと言えば、オレたちがもう耐えられなくて! 何か準備という名の行動を起こしていないと、プレリィさんたちを置いて行きたくなっちゃう。
「俺も! 向こうついたら何食うか、考えとこうぜ! プレリィさんたちに聞いてさ!」
「道中の魔物とか、もっと調べておいた方がいいんじゃない~? 採れる素材を無駄にしちゃったら大変だし~」
「素材のことは、ラキが十分調べてるじゃない……。あとプレリィさんに聞くなら、道中でいいじゃない」
そうだ、こういう時はロクサレンに行こう。
ジフとばっかり話していたけど、みんなにお土産は何がいいか聞かなきゃ。そもそも、長期依頼に出ることを言っておかなきゃ。
さっそく転移してきたオレは、『それなら充電が必要です!』なんて言うマリーさんとエリーシャ様に捕まって、どうやら二人を充電している最中らしい。
「いいなあ、森人郷に行けるなんて」
「セデス兄さんは、どうして森人郷に行きたいの?」
「そりゃもちろん、興味深いじゃない! その居住区を見て見たいのもあるし、そこに共存している魔物も見たいし」
「美食の郷だろ? そりゃ行ってみてえな」
カロルス様もそう言って、クッキーの残りをつまんだ。
「でも、美食の郷って言うなら、今はロクサレンの方がそうじゃない?」
「そうだな。他人事みたいに言うんじゃねえ」
別にオレのせいでは……なくはないか。
『完璧に100%主のせいなんだぜ!』
『そうね。間違いなくあなたのせいね』
言い方! オレの『おかげ』でしょう!
だけど、美食を追求する人たちなら、もしかするとロクサレンにも興味津々かもしれない。ジフとか連れていけば、案外交流が生まれるかもしれないね!
充電完了したらしい二人がツヤツヤ輝いているのを確認して、オレはカロルス様の腕の中へ体を収めた。
今度は、オレも充電するから。
左右の腕をオレの腹に巻き付けるように設置すると、自動でぐぐっと締まった。
背中が温かくて、窮屈だ。包み込むように下がってきた顔が、オレの頬の横にある。
垂れた金の髪が、オレの鎖骨をくすぐって身じろぎした。
お返しにオレのふわふわほっぺをカロルス様にすりつけると、ふっと笑った気配がする。
「……ねえカロルス様、このまま寝ていい?」
充電完了まで、もうちょっとこうしてなきゃいけないから。
「お、今日は寝る前に聞くのか。ダメっつったらどうすんだよ」
そんな可能性を考えてなかったオレは、言葉に詰まった。え、ええと……。
「ダメなら…………いいって言わせてみせるよ!」
既にぬくぬくと温かくなった手で、カロルス様の首に縋りついてチャトのようにすり寄った。
あふ、と零れたあくびが、カロルス様の耳を掠めていく。
「ねえ、今なら、一緒に寝られるよ? カロルス様も、寝たいでしょう」
オレ、知ってるよ。
オレの睡魔が最強ってこと。
睡魔に乗っ取られかけたこの体は、ぬくぬく柔らかくて、こうして触れていればどんどん眠気が感染していくってこと。
カロルス様が、あふ、と同じようにあくびを零した。
「ああ、違いねえ。まいった、俺の負けだ」
大きく笑った顔に満足して、オレはその腕の中に身を落ち着けたのだった。