944 セーフかアウトか
「気持ち良かったし楽しかったけど、なんだか僕がこれからお料理されちゃうような気がするよ」
心持ちお肌がつやつやしたセデス兄さんが、紅潮した頬で苦笑した。
『どなたもどうかおはいりください。けっしてごえんりょはありません』だね! オレも、下ごしらえは完璧に仕上がっている。
『ゆーた、色んな匂いがするね! お料理みたいだね!』
「そう? おいしそうかな?」
『美味しいよ! ユータは柔らかくて、とっても美味しいと思うよ!』
尻尾をふりふりオレの匂いを嗅いでは喜ぶシロだけど、オレは喜んでいいのかどうか複雑なところだ。
「お前はいつでも美味そうだ。けど、絶対デザートだと思うぞ。甘そうだ」
「そんなわけないでしょう!」
カロルス様は甘い香りを嫌って、ハーブやらワインやらばっかり浸かってたから、肉質的にかなり上質な仕上がりになってそう。
「父上は固くてマズそう……僕ならちょうどいいんじゃない?」
「確かに、頃合いだね! 柔らかくクセがなく、サシも適度に……」
「……それはそれで、肯定されても微妙~」
セデス兄さんは全種類浸かったので、何とも複雑な匂いがしているけど、花のお風呂ばっかり浸かってたら、まさに王子様って感じじゃない? 見た目の話で。
「Aランクの魔物とか、美味いのが多いらしいぞ? だったら、俺は極上のご馳走だろ? 食ってみるか?」
しっとり濡れた髪、はだけさせた夜着。にやっと笑ってみせる色気のダダ洩れ具合に、セデス兄さんと二人で慄いた。
セデス兄さんがフローラル風呂に入ったら王子様だけど、もしカロルス様が入っても王子様にはならないな……王子様って、こんなにワイルドお色気じゃないし。多分。
色々な効能のせいか、足の先までぽかぽか温かい。
お水を飲んでぼうっとしていたら、かくっと頭が落ちた。
「カロルス様」
「おう、寝るか。しょうがねえなあ、お前が寝るっつうから」
いそいそオレを抱えて部屋へ向かうカロルス様に、ちょっと胡乱な目を向ける。
もしかしなくても、きっと仕事が残っているんだろうな。
でも、オレも寝たいから。
カロルス様、オレが寝てからならお仕事してもいいよ。
ほかほか温かい身体で、ほかほか温かい腕に抱えられ、カロルス様から漂うハーブの香りを吸い込んだ。
すごいな、これ。
ものすごく安眠効果が高そう。
カロルス様付きだと、なおさら。
だから、そのせいでオレは部屋にたどり着く前に、ことんと眠ってしまったのだった。
とてもソフトにゆさゆさ体を揺らされて、これはこれで湖にたゆたうボートでお昼寝しているような気分。心地よいまどろみに浸っていると、遠慮がちな声がする。
「ユータ様、今日は午後から授業だとお話しされていたと思うのですが……。いえ、マリーは一向に構わないのです。ユータ様はいくらでもここでお休みになればいいと思いはするのですが……」
これは、マリーさんの声。
ほとんど目を開けないまま、渋々返事だけ返した。
「うん……だから、お昼に起きても間に合うよ……ギリギリまで寝てもいい……?」
「うふふふ、お可愛らしい。ええ、ええ、瞬き1回分の時間があれば、間に合いますよね」
それはマリーさんじゃないと間に合わないなあ。
あのね、オレが言うギリギリはもう少し常識の範囲内っていうやつで……え。
「あの……今って朝?」
「一般的にはお昼になりますね」
「えっと……もう既にぎりぎり?」
「一般的には、そうとも言うかもしれませんね」
バチッと目が覚めた。
ち、遅刻しちゃう?! オレ、いくらギリギリでも遅刻はしてないのに?!
「いいいいってきます!!」
寝ぼけ眼のまま一気に学校の上空へ転移!
「チャト!!」
『こんなことにおれを使うな』
ごもっともです! でも間に合わないから!
オレンジの背中に受け止められ、そのまま下降して窓から飛び込んだ。
「きゃっ……なんだあ」
「うわ?! ……ユータか」
小さな悲鳴が聞こえたものの、ここは我がクラス。突如窓から幼児が飛び込んでくることなどで、いちいち驚いたりしない。
「せ、セーーフ!!」
ふう、と額の汗を拭って席に着く。
「おー間に合ったな。寝坊か? いつも通りだな」
「そんなことない! いつもは余裕で間に合ってるでしょう!」
「そんなことないね~。僕らが寝てても連れてきているだけで~」
それは、不正確とは言いづらい不都合な真実。
「昨日は、色んな薬湯に入ったから……効能がすごくって」
『それを薬湯のせいにされちゃあ、薬湯も浮かばれないわね』
ふよん、と揺れたモモの声は聞こえなかったことにする。
こんなに安眠効果があるなら、ロクサレンで売り出せばまた大人気間違いなしだよ。
「ラキたちも今度試してみようね! 秘密基地のお風呂を日替わりにしよう!」
「すげえ! 今日からやろうぜ! っと、そうだ!」
「楽しそう~。まあそれはいいとして~」
二人が何か言いかけた時、クラスメイトが満面の笑みでオレの頭を撫でた。
そして、別のクラスメイトも駆け寄って来て頬を潰す。
「来るの遅いんだよ! まとめて祝わせろよな?! こんなチビのくせに~! けど当然ってのも分かる! おめでとう!」
「まあユータたちだからなあ。羨ましいぜ、Cランクおめでと!」
ぽかん、と口を開けた。
「え? ……え?」
クラスメイトたちが、そういえばユータにはまだ言ってなかった! と次々おめでとうをくれる。
ぎくしゃくとラキたちの方を振り返った。
「あー遅かったか」
「ま、そういうことだね~」
苦笑した二人が、頷いた。
「Cランク……そっか、そうだった……。え、本当に?!」
「おう! 俺たち3人ともCランク、だぜ!」
「昨日の夕方に通知が来たんだよね~。ギルドでも今回のランクアップ者が張り出されてるから、みんなも知っててね~」
じりじり頬が熱くなってくる。
うずうず、胸が騒ぎだす。
「わ、わあーっ!! すごい! 本当に、本当にCランクになっちゃった?!」
身体中の血が沸き立つようで、じっとしていられない。天井ぎりぎりまで飛び上がって、3回転1回捻りを繰り出した。残念ながら採点係のラピスはいなかったけど、最高得点をたたき出したはずだ。
「うわわわっ?! ユータなんだこれ?!」
「目、目がちかちかするう! きれいだけど、だけどーっ!」
トランポリンのごとく回転技を繰り出しながら、部屋中に小型花火の大サービスをした時、教室の扉が開いた。
「わあ~綺麗っ! すごいねっ! ユータくんが来てるって感じ!」
動じない。さすが、我が担任は動じない。
慌てて花火と回転をやめて席へ戻ると、弾みながら教卓までやってきたメリーメリー先生がにっこり笑った。
「お祝いしてたんだよねっ?! もし『希望の光Cランク』祝賀お食事会をやるなら先生も呼んでね! ホント、すごいよ3人とも! おめでとう!!」
小さな手が渾身の拍手を繰り出し、わっと教室中が拍手の渦に包まれた。
えへへ、なんて照れ臭く笑って顔を見合わせたオレたちは、あの時できなかったハイタッチを交わした。
ああ、どきどきする……。
これから、オレたちCランクって名乗っていいんだ……。
「さて! じゃあみんなもユータ君たちに負けないよう頑張ろうね!」
高揚した気分のまま、席でにまにましていると、先生がにこにこしながら視線を巡らせ、オレで止めた。
「ところでユータ君、今日はいつもと違う寝間着だね! やっぱりCランクになったから?」
ラキとタクトが吹き出した気配がした。
「……? 寝間着?」
首を傾げたところで、さあっと青くなった。
「な、なななんで言ってくれないのっ?!」
オレはCランク早々、真っ赤になって机に突っ伏す羽目になったのだった。
クラスメイト「何を言うんだよ……お前いつも寝間着で来るだろ。今日は着替えねえんだなとは思ったけど」
うん、ユータくんは割とタクトに寝間着のまま連行されて、教室で着替えてるからね……。