941 没頭すること
「お前も、もうCランクか……」
手づかみでパイを食べながら、感慨深そうなブルーの瞳が、じっとオレを見つめて細くなる。
「僕からすると、まだCランク? って感じだけどね」
セデス兄さんが、パイを頬張りながらオレの頬をつついた。
せっかくなので、試験の様子をたっぷり話しがてら、ワームパイをもってきた次第だ。
ワームがいっぱいいたシーンの再現には、このパイがあったら分かりやすいかと思って。ブーイングの嵐が沸き起こったのは、ちっとも納得できない。
「で、でもまだ結果出てないんだよ?! まだ、Cランクにはなってないから!」
「そんだけやらかしてCランクじゃなけりゃ、誰がCランクなんだよ」
「やらかしたから、ペナルティってことも……あるかもしれないでしょ?!」
「あー」
納得しないで?!
「大丈夫よユータちゃん! そんなことがあるなら、ロクサレンの名にかけて! 私が抗議に行くわっ!」
「お供します! そのようなギルドなど、存在自体が不要っ!」
拳を握って立ち上がるエリーシャ様とマリーさん。完全にモンスターペアレントだから!
しかもモンスターレベルが桁違い!
「やめてね?! ウチとギルドの全面戦争とか洒落にならないからね?!」
セデス兄さん、領主になったら大変そうだなあ……。
パイに合わせてドライフルーツの入った紅茶を飲みながら、ソワソワしっぱなしの心を落ち着ける。
寮にいると、タクトがまだかまだかと言うから、ずっと落ち着かないんだもの! せっかく頭の片隅に追いやっているのに!
「結果のことばっかり考えちゃうから、今日は他の事をして気を紛らわせようと思って」
「じゃあ、何か作ってくれよ」
指を舐めたカロルス様が、いつも通りだ。でもそれ、今パイを食べながら言うセリフじゃないよね?
「作るのはいいんだけど……何か、もっとこう……全てを忘れさせてくれるような――」
「え、恋?!」
「戦闘ってことね?!」
「お任せ下さい! このマリー、ユータ様の記憶を消し去ってみせます!」
どれも違うね?! エリーシャ様はそれでいいの?! そしてマリーさん、それ絶対物理でしょう?!
セデス兄さんのセリフが一番マシに聞こえるのが不思議だ。
まあ、身体を動かすのは確かにいいよね。戦闘……じゃなくていいとは思うけど。
「忘れる、っつうと大体酒じゃねえのか?」
「それ、オレの参考にならないんだけど!」
そして、カロルス様がお酒を飲んで忘れたいくらい気になるものなんて、思い浮かばない。
「執事さんは? 何か忘れたい時とか」
「私ですか? ユータ様の参考になるようなものは……読書くらいでしょうか」
オレの参考にならないものには、何があったんだろう。あんまり、聞かない方がいいような気がして口を噤んだ。
そうか、読書は確かに没頭すると他を忘れられるね!
「じゃあ、色々試してみようかな!」
セデス兄さんが爽やかな王子様フェイスで頷いた。
「確かに、やってみるのがいいよね。つまり、酒を飲みながら恋して戦闘?」
「それ以外だよ!!」
もちろん、マリーさん案も却下だけど。
「セデス兄さん、ちょうど良さそうな本、持ってない?」
「色々あるよ! 『魔物の唾液分泌に関する地域差』とか、最近読んだ中では結構――」
うん、聞く相手を間違えた。
もう少し、オレと感性の近い相手を選ばなくては。
「ちょっとオレ、出かけてくる!」
「おう。何か作るのも忘れるなよ」
パイ食べたんだからいいでしょう。でも、もしかすると、作りたくなる本かもしれない。
感性の近そうな相手、と考えて浮かんだ人物を思い描き、くすっと笑った。
「こんにちはー!」
「ユータくん、いらっしゃい」
お昼を過ぎ、客足が落ち着いたらしい店内で、プレリィさんがふんわり微笑んだ。
プレリィさんとオレ、似てはいないけど、食に関する感性については共通するところもあると思うんだ!
そういう意味では、ジフもだけど、ジフって本読みそうにないじゃない。顔が。
「今日は何か相談かな?」
「えっと、相談と言えばそうだけど、ちょっと違うんだ」
流れるような動作で入れてくれたお茶が、いい香り。
「これ、何の香り?」
「ふふ、さすがだね? これはね、ミユラっていう樹脂素材なんだけどそのままだと癖が強いから――」
試しに素材そのものを嗅がせてもらうと、結構強い。このままだとクセが強すぎて無理かも。
「さすがプレリィさん! 全然、気にならずに飲んだよ!」
惜しんで最後まで残したひと口分を飲み干して、確かに香る柑橘の香りを探った。蜂蜜の甘みと柑橘の爽やかな香りをブレンドすることで、こんなにも奥深い香りになるのか。
「興味があるなら、スパイス系の本がここらに確かあったはず――」
「あっ……! そう、そうだよ! オレ、いい本がないか聞こうと思って来たんだよ! その本、借りてもいい?」
「そうなの? いいけど、ほとんどレシピみたいなものだし、読書に向く本ではないと思うけど……」
没頭できればそれでいい。むしろ、オレには向いているかもしれない。
とりあえず本を借りて寮に戻って来ると、二人とも部屋にいた。
「あれ? ロクサレンに行ったんじゃねえの?」
「うん、それで、何か没頭できることを探して本を借りて来た!」
「没頭するなら、加工が一番だよ~?」
確かにね?! ラキが全然気にしてないのは、加工していたら全てをシャットアウトしているからかも。
「討伐とかの方が良くねえ?」
「タクトはロクサレン系だもんね……オレは、もっと楽しそうな運動とかがいいよ」
「楽しそうな運動ってなんだよ」
そ、そう言われるとパっと思い浮かばないけど! スポーツ系だとこっちにはないだろうし……ドッヂボールとか死人が出そうだし……。
「お、鬼ごっことか……」
「なんだそれ?」
こっちの世界にはないのかな? 単純な遊びだから、どこにでも派生形がありそうだけど。
「学校とかでやらない? クラスみんなで広いとこに出て、鬼……えっと魔物役? から逃げ回るの。タッチされたら、今度はその人が魔物に交代したり、魔物が増えたりするんだ」
「魔物なら、討伐するんじゃねえの?」
そんな野蛮な遊びじゃないの! 説明を聞いていたタクトが、にっと笑った。
「じゃ、それやろうぜ! オニコッコ!」
あれよあれよと連れ出され、訓練場に集まったクラスメイトたち。
「えー、けどそれってさ、ユータとタクトは捕まえられないし、二人に追いかけられたらすぐ捕まっちゃうじゃん」
「おう! だから、なんかハンデつけようぜ! 俺も面白くねえし!」
「それはそれで、腹立つな……」
なんか、大がかりになっちゃったな。ただの鬼ごっこなんだけど。
「だったら、ユータは単純に重り付きでいいんじゃないの?」
「ええ……オレ動けなくなっちゃうよ! ちゃんとほどほどにしてよ?!」
「じゃあ俺も重りでいいか?」
「ダメに決まってんだろ! 訓練場が壊れるわ!」
うう……重い。これ、明日筋肉痛になるやつでは。
ずっしりくる重りを腰に装着し、これで逃げられるだろうかと不安に駆られる。
「ところで、何で俺が追いかける役決定なんだ……?」
「タクトでいいんだよ! その方が面白そうだから」
ぢゃらり、と鎖を鳴らしたタクトが、不服そうな顔をする。
「けどこれ、俺走れねえんだけど?!」
「そのためのモンだよ! 引きちぎるなよ!」
左右の手、左右の足を枷と鎖でつながれたタクトが、その可動域を確認している。
「まあいいや。用意いいか?」
サッとクラスメイトが身構える。静まった周囲に、誰かがごくりと喉を鳴らす音が響く。
「じゃ、行くよ~! 用意、スタート~!」
自分は参加しないラキが、空に向かって派手な音を鳴らした。
「わはは! 待てぇー!」
「ぎゃああ! 怖ええ! 普通に怖えええ!!」
「ひいいっ! 無理無理ぃっ!!」
……あのさ、オレ子どもの遊びを提案したわけで、こんなデスゲームみたいな雰囲気を欲していたわけじゃないんだけど。
普通に走るのは無理があると悟ったタクトが、鎖をじゃらじゃら鳴らしながら、なんと四つ這いで駆けてくる。
き、器用だな……。というか、速ぁあっ!! 怖いから!!
解き放たれた魔獣VS逃げ惑う子どもたち、みたいな構図になってしまった。
あっと言う間に訓練場は阿鼻叫喚のカオスと化したのだった。