915 自業自得
「ユータちゃん、本当に大丈夫なの?! 私、イイコで待っていたわよ?! 詳細聞かせてくれるわね?! あとダンスもしてくれるわよね?!」
「マリーは、いえ、マリーもきちんと最後までお二人にお任せいたしました!!」
「嘘つけ……どんだけ抑えんのに手ぇ掛かったと思ってんだ」
「まさか、自らの呪詛で首を絞めているとは想定外でしたね」
ロクサレンは賑やかだな。
ソファに身を沈めながら、ローテーブルを囲む面々を見上げた。
帰宅直後の大騒ぎは過ぎ去ったものの、今日になってもまだエリーシャ様たちは、オレとセデス兄さんにつきっきりだ。
いつも通りと言えばそうだけど。
ちなみに、オレとセデス兄さんだけシロ車で先に帰宅して、アルプロイさんたちがカモフラージュとして空の馬車を護衛しつつ帰るという……とても申し訳ない状況になっている。
だって、ほら、悪人たちは早く運ばなきゃだし。オレたちは状況を説明したり……ね?
その代わり、夕食は毎日届けに行こうかな……せめてのお詫びに。
囓りかけのプチマフィンを頬張ると、柑橘と紅茶葉の香りが爽やかに鼻腔を通り抜けた。
「ざっくり把握はしたけどさ、結局どうしてあんな呪詛が行われたわけ? 明らかにあの長い詠唱と仕掛けは、凡人に成せる技じゃないと思うんだけど」
セデス兄さんが極力エリーシャ様たち二人と距離を保ちつつ、ゆったりティーカップを口元へ運んだ。
「現在聴取できた範囲では、呪詛返しが行われた後に、近付いてきた人物によるものだということですね」
主催者さんに、少しばかり同情する。あんな色々があった後にすぐ尋問に取りかかられたわけだ。
執事さんの尋問、考えるだけで震えが来そう。
オレは慌てて温かい紅茶を啜ってから、身を乗り出した。
「それ、聞きたかったんだけど! どういうこと?」
「どうって何だよ、まだ何も分かってねえよ」
次々プチマフィンを口へ放り込みながら、カロルス様が首を傾げた。
先日作っていた朝食を食べる機会がなかったもので、こうしてティータイムに山盛りのマフィンとして登場している次第だ。
色々中身を変えているんだから、もう少し味わって食べてほしいんだけど!
「そうじゃなくて、呪詛返しのこと! カロルス様、どうやって呪詛を返したの?」
当然の疑問に、周囲が『ああ……』と遠い目をした。
「知らねえよ、いつ返したんだよ」
訝しげな顔に、オレの方も『?』が浮かぶ。
「ユータちゃん、聞いても無駄なのよ……無意識だから」
「人から恨まれることも多いですからね、呪詛が向けられることは稀にあるのですよ。ただ、成功した試しはないですが」
エリーシャ様と執事さんが、額に手を当てて首を振った。
どういうこと? オレにはティアがいるから、オートで状態異常を弾くことがあるけれど……カロルス様は?
「ユータ様、マリーも覚えがあるのですが、『妙な気配』を感じる瞬間というものがあるのです。そういう時は、こう――このように」
キン、と空気が切れ味を増したような気配。
はっ! と鋭い呼気と共に、メイドさんのスカートが翻って揺れた。
華奢な足先が、次元ごと斬ったのではないかと思うような、美しい軌道。
同時に、確かに感じた、パンと弾ける感覚。
「え……何、それ?!」
「さあ……? 一撃で多くの矢を落とす時や、魔法を弾く時にこのように致します」
無意識なの?! 弾いたよ、今……周囲の魔素!!
というか、魔法って弾けるの?!
カロルス様も、うんうんじゃないよね?!
「あー、確かに、何で今? っつうタイミングで剣を抜く時があるな。鬱憤が溜まってんだと思ってたけどよ、手応えある時もあるんだよな」
つまり、手応えない時はただのストレス発散なの? じゃなくて!
「ユータ様……この方々は特殊なので……」
「助かってはいるんだけどね……意味不明よね」
疲れた顔の二人にしみじみ頷いた。本当、人外はやっぱり人外だ。
マウーロの領主さんも主催者さんも、標的をセデス兄さんに変えて、場所を移したのはいい判断だったんだな。この二人がいるロクサレンで、セデス兄さんに呪詛をかけられるわけがないよね。
「そこで常識人みたいな顔してるけど、ユータが一番人外だからね?」
やれやれとため息を吐いたところで、セデス兄さんが横から頬をつついてきた。
「ねえ、ロクサレンの天使様? 呪詛を弾くことはまあまあ、あったとして、浄化はそうそうできることじゃないんだから」
「魔法も使えないのに弾く方が、よっぽどできることじゃないと思うよ?!」
憤慨しながら頬張ったマフィンは、カリリとナッツが香ばしい。
「んー、まあそれはそれとして。天使の奇跡を振りまいてきちゃったからね~」
「そうねえ……ますます天使教が盛んになってしまいそうな気配ね」
「そんなことしてないよ?!」
身に覚えのない言いがかりに頬を膨らませると、方々でため息が聞こえた。
「まー、天使教は広がっちまってるから、諦めることだな。早く教会を他に建てねえと、ヤクス村に人が溢れるぞ」
「ハイカリクの教会案は進んでいますので、他の町からの要望にも応えますか?」
「そうね……天使像は、ユータちゃんに任せた方がいいのよね?」
唐突に舵を切られ、戸惑いつつ頷いた。
「そ、そう。ラキが作りたいって!」
思わぬところで希望を伝える機会に恵まれ、慌てて主張しておく。
「ラキ君なら、ユータちゃんのことをよく知っているし、上手い具合にやってくれそうね!」
「マリーもそう思います!」
ラキもそんなことを言っていたけど、そのオレを知っているって条件必要? オレとしては魔石を封入するために、ラキに作ってもらう必要があるけども。
「それではラキ様ともご相談の必要がありますので、またお連れ下さいね」
先日ダンスの時にラキも来ていたのに、すっかり忘れていた。
そんな用事なら深夜でも喜んで飛んでくるだろうな。
「あちこちの町に天使教の教会ができるの……?」
「そんなにポンポンできないだろうがなあ……要望は多いな」
なぜ……なぜこんなことに。
嘆いても始まらない。オレは天使像職人手伝いとして頑張るのみだ。
ただそうすると、生命の魔石も追加生成していかないと、いつまでたってもストックができなくなっちゃう。
「あれやると、すっごく疲れるんだよね……癒やしが必要だなあ」
やりすぎると、『邪の魔素病』になっちゃうね。
頑張る代わりに、いっぱい癒やしを得られるようにしよう、なんて考えて口元を緩めたのだった。
*****
まだこけた頬の村長は、芽の出た畑にこの上ない安堵を覚えて、天を仰いだ。
「大地が、息を吹き返しつつある。我々は、助かった……」
木陰に移動した一行は配給のパンを頬張りつつ、あの時のことを思い出していた。
コムと言ったか、あれは美味かった。
平民なら、などと言っていたが、とんでもない。あんなに美味いもの、貴族だっておいそれと食べていないのじゃないだろうか。
「ねえ村長、本当にその像が……?」
畑を案内してくれた若者が、遠慮がちに村の中央へ視線をやった。
「ああ、そうとも。あの天使像を賜った後から、皆の体調は回復していったろう? もしかすると、あの幼子の祈りが天使に届いたからかもしれんな」
何しろ、子ども贔屓の天使様だと聞いているから。
「本当にあるんだ、天使の奇跡……」
「こんな小さな奇跡で何言ってるんだよ、本村の話を知らないのか?」
付き添いの若者は、得意満面で話し始めたのだった。
「――あの子、本当に迎えが来るのかな?」
振り返り、振り返り秘密の地下室を離れた兄妹は、自宅の窓からそっと建物を見張っていた。
せめて、無事に彼女が立ち去るところを確認できれば。
万が一、また攫われるようなことになれば、自分たちが目撃者にならねば。
その一身で凝らされていた目は、実は二対だけでもなく。
「あっ、あの子、出てきちゃった!」
ふいに、闇夜に浮かび上がるような幼子の姿が現れ、二人はハッと窓辺に齧り付いた。
周囲に、迎えの姿などないことに焦りが募る。
「どうしよう、きっと不安になったんだよ」
地下室は、薄暗くて、かび臭くて、とても怖い場所なのだから。
再び家を抜け出そうか、と視線を交わしたところで、二人は息を呑んだ。
「飛ん、だ……?」
確かめるように佇んでいた人影が、ふわりと。
衣装と髪を翻し、ふわ、ふわと妖精のように屋根まで飛んだ。
……自分たちは、今、すごいものを見ている。
息を殺して見開いた瞳の中に、光が湧いた。
屋根の上で手を伸ばした幼子の手から、清水のようにあふれ出す光。
ゆっくりと空へ広がった光に、うっとりと気を取られていた、次の瞬間。
「えっ、消えちゃった?!」
ここに二人揃っていなければ。
こんなに腹が満たされていなければ。
全ては幻だったと思えるほどに――そこには、もう闇夜しか存在しなかった。
「だから、名前……言っちゃダメなんだ」
ぽつり、呟いた兄の言葉に、妹が目を輝かせる。
「天使様の名前、絶対、絶対秘密だよ?! 天使様は、天使様なんだから!」
「もちろん。僕らが知っていいことじゃないよ」
その日を境に謎の疫病は徐々に消退し、村は息を吹き返した。
後に判明した呪いについて、領主が捕らえられるという衝撃も覚めやらぬ中、その噂は瞬く間に広がっていった。
天使が、村を呪いから解放した――。
その姿を見た者がほとんど子どもであったことが、また天使の噂に拍車を掛けたのだった。