913 天使ですから?
え? 領主さんは、ロクサレンを狙ってるんじゃないの?
身代わりになるとでも言うような台詞に、混乱を極めて目を瞬いた。
何がなんだかわからない。けど、あの壁面。
あそこが渦巻く魔力の中心。彼らの話の通りだとすれば、きっとあの窪みに媒体を供えることで、呪いの対象が移るということだろう。
もし、セデス兄さんが呪われてしまったら……!
きっと、きっと強いから大丈夫。
そう思う一方、鼓動は早くなる。だって、相手は呪い。神獣だって蝕んだもの。
何が起こるかなんて、分からない。
そして、今この破裂寸前のように高まっている魔法を、途中で壊してしまうのが正解かどうかも分からない。
もし、万が一……この領地のみんなを巻き込むような事態になってしまったら。
何か、何か方法は。
必死に考えを巡らせていた時――
「あな、た……?」
「り、リアーネ?!」
まさか、領主夫人が目を覚ますとは思わなかった。
解呪の蝶々たちは、相当頑張ったらしい。
それとも、呪いの移行準備のために、本来の効果が薄くなっているのかもしれない。
『ゆーた!』
『余所見するな!』
ハッと振り返った先で、主催者が身を翻して……
止めようと走り出したオレの視界を、ローテーブルに転がった髪飾りが掠め――ほとんど無意識に掴んで、投げた。
「よしっ! ホールインワン!」
つい、ガッツポーズを取ったのもつかの間、部屋中の魔力が鎖のようにオレの身体を縛り付ける。
良かった、ちゃんと髪飾りにはオレ自身の髪も絡んでいたみたいだ。抜き取られた時、ちょっと痛かったからね! カツラだけだったら、どういう判定になるのか心配だったんだけど。
みるみる気分の悪くなる中、安堵して微笑んだ。
「ユータっ?! 馬鹿、僕で良かったのに!」
飛び起きたセデス兄さんが、『ハッ!』と気合い一発、両手の縄をぶっちぎった。
「……セデス兄さん? 身体強化できないんじゃ?」
足の縄も紙テープかのように手で引きちぎり、目を丸くするオレをそうっと抱き上げる。
「今気にするの、そこじゃないよね? ねえ、僕から横取りしたからには、大丈夫なんだよね?!」
ふう、ふう、と荒い息をつきながら、オレは笑った。
見つめるエメラルドの瞳が、溶けないうちに。
「ふふ……天使を、舐めないでもらいたいね?」
ティアとの繋がりに意識を集中しながら、祈るように両手を組んだ。
本当、舐めないでもらいたい。
神獣の受けた呪詛に比べれば、こんなもの。
さあ……全部、全部、オレの身体に集まればいい。
――好都合だよっ!!
浄化、浄化、そして濾し取って凝集を。
もう、何度も行った高度な浄化。オレの身体なら、なんてやりやすい。
そっと開けたまぶたの向こうに、光に煽られて息を呑む王子様の顔。
眩しそうだな、と人ごとのように考えて、原因がオレだと気付いた。
もうちょっと待ってね――
「はい、終わりっ!」
最後の一欠片まで、オレの中で浄化して両手の中に凝らせた。
同時に、オレの光も緩やかに消えていく。
にっこり笑って、片手では重いほどの結晶を振って見せた。
「ユータ……大丈夫、なの?」
「大丈夫だよ?」
ぴょんと腕の中から飛び降りて、大きく深呼吸する。
うん、嫌なものは残ってないし、少々疲れたけれど問題ない。
「な、なに……?」
腰を抜かしてへたり込んでいた主催者が、口をぱくぱくさせている。
ため息を吐いたセデス兄さんが、ゆっくり歩み寄って屈み込んだ。
「……それで? 僕を使ってロクサレンに呪いをかけようとしていた、のは把握した。けど、そもそもこんな高度な呪詛、君らだけでできるわけないよね? 詳しく、聞かせてくれるね?」
うわあ……怖い。
セデス兄さん、結構怖いんだな。普通のセリフが、こんなにごりごり相手を圧迫するものになるんだ。
これは……多分エリーシャ様の血。そして執事さんとマリーさんの教育だろうか。
気の毒なほど震え始めた主催者が、自分のポケットをまさぐって何かを探り当てた。
ほんの少し緩んだ表情を見て取って、セデス兄さんがうっすら口角を上げる。
「心配しなくても、戸口にいた男が呼びに行ってるけど?」
「な、な……」
ああ、もしかして兵を呼ぶ魔道具とか? そういえば、オレを捕まえていた人がいなくなってる。
ちなみに、領主さんと奥さんは、重なり合うように倒れていた。
領主さんは突き飛ばされた衝撃で、夫人は解呪の影響だろう。
これから起こることを予測して、オレは二人にシールドを張っておく。
「ユータも、そこにいてくれる? 僕、結構怒ってるからさ」
そうでしょうね……ひりひりする気配で、オレの産毛が総毛立ちそうだもの。
つまり、そう、鬱憤を晴らしたい。
これから起こるのは、きっとそういうこと。
怒号とともに近付いてきた足音は、思ったよりも多い。元気がいいのは、きっと主催者側の兵だからだろう。
この気配を感じて、回れ右してくれれば、とどれほど思ったことか。
オレの願いも空しく、なだれ込んできた兵が、セデス兄さんと相対した。
「あのーセデス兄さん、剣渡そうか?」
「いらないよ、加減したくないから」
そ、そう。
戦うの好きじゃない~なんてふにゃふにゃしている優男とは打って変わって、沸き立つ血を必死に押さえる戦闘狂がそこにいる。
何やら問答があったようななかったような。
最初から決裂していた交渉は、すぐさま武力行使と相成った。
丸腰の相手と見て、当初捕らえようとした者たちが瞬時に吹っ飛ばされ、そこからは剣を抜いての乱戦が始まる。……1対多数でも乱戦って言うんだろうか。
なるほどね、加減したくない、ね。
思い切り突き出された拳は、兵を貫きやしないかと不安になるほどで。しなやかな蹴りで、壁に激突した兵が鈍い音をさせて。
そうだね、多分命までは、多分、たぶん大丈夫。
身体強化は使っていない。だからこそ、手加減なしで。
あ、笑った。
これは、カロルス様の笑み。
いいな、と思う。
だって、こんなにも二人に似ている。
オレは、似たりしないんだもの。
『そうかしら』
『主、結構ロクサレンだと思うぜ!』
……それはそれで、あんまり嬉しいことじゃないような。
だけど、くすっと笑みが浮かぶ。
そっか、オレ結構ロクサレンだもの。
――やがて、静かになった部屋では戦闘狂が一人立ち尽くし、物欲しそうに周囲を見回していた。
不服そうな瞳は、若い頃のカロルス様ってこんなだろうな、と思わせるもので。
オレは燃えるエメラルドの瞳を見上げ、熱い身体に飛びついた。
「セデス兄さん、お疲れ様」
「……うん。僕、結局活躍しなかったけどね」
あのね、それはちょっと世間の認識とズレると思うけど。
累々と折り重なる兵たちを眺め、苦笑して彼らに軽く回復魔法を施しておく。
「……どうして敵側を回復するのかな?」
「だって、セデス兄さん怪我してないじゃない」
「してるよ、ほら、拳がちょっと痛い」
そりゃそうでしょうよ、相手は鎧着てるのに殴ってたよね?
「身体強化できるなら、すればいいのに」
「苦手だって言ってるじゃない? できないわけじゃない、くらいなんだけど」
仕方ないなとセデス兄さんにも回復を施しつつ、ちょっとため息を吐いた。
「ねえこれって、この本とオレたちの証言しか証拠がないような気がするけど、どうすればいいの?」
部屋全体に仕込まれていた魔力はオレが消しちゃったし。知らぬ存ぜぬで押し通されたりしない? この世界で指紋とか聞いたことないんだけど。
「え? 僕たちの証言があれば十分じゃない? それに、黙っていられるほど根性はないと思うよ」
ちら、と見下ろした先には、失神した主催者の姿。
逃げようとしたから、セデス兄さんが兵を吹っ飛ばして激突させていたっけ。
「そういうもの?」
「そういうものだよ」
そう言ったセデス兄さんは、やや表情を変えてもう一方を見やった。
「あと、その人は多分、全部話すんじゃないかな」
そっか……オレも、そんな気がする。
オレたちは倒れ伏した二人へ視線をやって、少し複雑な顔を見合わせたのだった。
もふしら18巻、読んで下さった皆様ありがとうございます!
いっぱい書き下ろし入れるよう頑張りましたが、どうでしたかね……?!
18巻まで来ても、やっぱり不安には苛まれるもので。
レビューや感想などいただけると、とっても嬉しいです!!