912 制したのは
無造作に置かれた箱の影から、そっと顔を覗かせる。
冷たい土壁がむき出しの地下室で、わずかな明かりが、囚われの王子様を闇に浮かび上がらせている。
怪我をした様子もなく、無事なセデス兄さんを視界に入れて安堵した瞬間、こちらを向いたエメラルドの瞳とばっちり目が合った。
苦笑して逸らされた視線に、ちょっと肩をすくめる。
気配、消したつもりだったのに……バレバレじゃない。
少々、慌てすぎたらしい。
深呼吸して気合を入れなおすと、セデス兄さんからほど近い場所にもう一人。
しばらく様子を窺ってみたけれど、彼はオレたちにほとんど背を向ける形で動かない。
「あれってマウーロの領主だよね。今、どういう状況なんだろ?」
薄明りの中、この空間にはオレとセデス兄さんとマウーロ領主しかいない。
――あの人は、ずっとああしてご本を読んでるの。もう一人は、誰かを探しに行ったの。
「誰かって――あ」
もう一人って、きっと主催者さんだよね?
もしかしなくても、探しているのって……オレでしょうか。
そ、そうなると……子どもたちに迷惑がかかってしまうかも!
もう一度、セデス兄さんを見た。
儚げに目を閉じ、簡素なソファに力なく体を預ける様は、いかにも憔悴しているようで。
だけど――寝てるよね。多分。
ほら、今ちょっとカクッてなった。
大丈夫、だよね?
きっちり両手は縛られているけど、剣もないけど……大丈夫だよね?
『スオー、何ひとつ大丈夫じゃないと思う』
『大丈夫、とは』
チャトは鼻を鳴らして小馬鹿にするけれど、感じるじゃない? こう……大丈夫のオーラを!
だから、きっと大丈夫。
「……せっかく着替えたのに!」
オレは再び目立つユータリア衣装にチェンジして、村へ転移したのだった。
*****
カツカツ蹄鉄の音を響かせて、わずかな月明りに二つの影が並ぶ。
「小心者めが……こういう時ばかり用心深くなりおって。こんな暗がりで、ガキ一人が見つかるわけがない」
ブツブツ零す主催者の男は、探す気があるようには見えない。
「兵を出すよう進言いたしますか?」
代わりのように周囲を見回していた男が、主へ視線をやった。
「いらんよ。あのガキがいようがいまいが、私に関係ない。一回りして戻れば良かろう。明るくなれば勝手に出て――うん?」
静かな闇の中、不自然な物音に首を巡らせた。
「あっ……」
微かに聞こえた、幼い声。そして、翻ったスカートの裾。
「なっ、いたぞ!」
宵闇によく目立つ、光を拾う髪と、衣装。
あっちの物影、こちらの角……思いのほか素早く逃げる幼女の幻影を追って、二人は注意深く路地を走った。
「ちっ……どこへ行った?!」
奔走の末、二人は既に館の前まで戻って来ている。
見失った互いが顔を見合わせた時、ガシャンと大きな音がした。
「あそこだ!」
なんと、幼女が領主館の門にぶら下がっているではないか。
残念ながら、門番はいない。今の村の状況では、必要も余裕もないために。
向こうも見つかったことに気付いたらしい。小さな体で大きな門を越えると、そのまま門の内側へ落ちた。
あの門を、ドレスを着た幼女がどうやって登ったのだろうか……。
「りょうしゅさまに、報告するから!」
何とも勝気な捨て台詞に、呆気に取られていた二人がにまりと口角を上げた。
「まさに『愚者は陰に怯えて竜の巣に入る』だな」
「この場合は、我らにとって賢者ですな。手間が随分省けました」
素早く門を越えた二人は、必死に正面扉を叩く幼女へ、悠々と歩み寄っていく。
振り返った彼女は、もはや逃げることもできず、キッと彼らを見上げた。
「お嬢さん、領主に会いたいのかい?」
「うん、悪いことをしてるって言うからね!」
「おやおや、それなら連れて行ってあげよう」
一瞬、幼女の口元が笑みをかたどった気がして、伸ばした手が止まる。
なぜ、今笑った?
不自然に下を向いた幼女を、傍らの部下が乱暴に掴んで扉の鍵を開ける。
「さあ、入るんだ。領主のところへ行くんだろう?」
頷いて大人しく従う様子は、悪意を知らないただの馬鹿な子どもでしかない。
訝し気に見下ろしていた貴族の男は首を振って、そのまま連れていくよう命じた。
呼吸ひとつ乱していない違和感に、とうとう気付くことなく。
「ふむ、ちょうど頃合いのようだ」
地下には、魔道具でも抑えきれない圧迫感が漂っている。
隠し通路を抜けた先の部屋は、一変していた。
「え……何これ?!」
幼子から、小さな呟きが聞こえる。
詠唱を読み終えたマウーロ領主が、疲労の滲む顔でこちらへ視線を寄越した。
そして、目を見開く幼女を視界に収め、喜色を浮かべる。
「セデス兄さん?!」
「ユータ……リア!」
駆け寄ろうとしたユータが、セデスの制止するような声にハッと足を止めた。
「ようこそ、お嬢さん。お兄さんが頑固で、困っていたんだよ」
下手な仮面を貼り付け歩み寄る領主を、ユータが睨み上げた。
「ねえ、セデス兄さんに何をしてるの?! これ何?!」
思いのほか強い瞳に気圧されつつ、彼は言葉を続ける。
「魔法の契約だからね、ああして光るのだよ。何も痛いことはない、綺麗だろう?」
彼らの周囲一帯、床も、天井も、壁さえも。
浮かび上がった複雑な文様が光を帯びて明滅している。
マウーロ領主の笑みに、貴族の男は皮肉気に肩を竦めた。かの男にとっては随分と美しい光景に見えるだろう。自分たちを苦しめていたものから、ようやく解放されるのだから。
「移行準備は滞りなく?」
「ああ、媒体を入れ替えるだけだ」
簡潔に応え、マウーロ領主はユータの肩に手を置き、セデスの方へ向けた。
「ほら、セデス殿もあまり頑ななことを言わない方がいい。彼女までお越しいただくことになってしまった」
「彼女は、関係ないよね?」
両手に加え足まで縛られたセデスは、不自由な身体を必死に起こしてユータを見つめた。
「我らになくても、君にはあるだろう。私とて、こんな美しいお嬢さんに手荒なことはしたくない」
ぐ、と小さな両肩に置かれた手に力が籠もる。
「お嬢さんからも言ってくれるかな? お兄さんが書類にサインするなら、縄も解いてやれるし、彼も君も怖い思いをすることはない」
「……嘘だよね? だって僕、君たちの顔を見ているからね。サインはしないよ? それに、その子は養子だよ、ウチの全てをその子と引き換えにすると思う?」
怪しく笑ったセデスは、全てを拒否するとでも言うように目を閉じた。
「この薄情者が……! ならば、こいつがどうなってもいいと?! 『天使の守護する地』が、聞いてあきれる!」
憤るマウーロ領主が、どうしてくれようかとユータを見下ろしたところで、貴族の男が割って入った。
「ここで時間を食って、場を破綻させるわけにはいかないだろう。それに、確かにロクサレンの系譜にこのような女児はいなかった。予定通り、移行を」
腹立たし気に貴族の男とセデスを睨みつけた領主は、気を取り直したようにセデスへ手を伸ばした。
気配に気づいて身じろぎした動作とは反対に、髪がその手に触れる。
「!!」
素早く握った髪を引かれ、マウーロ領主の手中には、無造作に引き抜かれた髪が残った。
「……いいだろう。これは、君が望んだ結果。私は……君が、サインさえすればよかったのに」
ぽつり、呟いた言葉が、今までと違った響きを持って零れ落ちた。
訝しむ緑の瞳が領主を見上げ、領主は微かに笑った。
「君、本当は馬鹿じゃないだろう。感づいているんじゃないか? なぜむざむざその身にこの呪いを受けようとする? ロクサレンにとっても、金が1人息子より価値があるとは思わんが」
「カスパール殿?! 何を……早く、魔法を完結させよ!」
貴族の男が声を荒げ、彼は鷹揚に頷いた。
「ああ、そうしよう。いいか、この髪を媒体とすれば、この領地を覆う呪いも、私の妻を蝕む病も。それら全て君が、ロクサレンが背負うことになる」
マウーロ領主は、セデスをまっすぐ見て言った。
「サインすることだ。そうすれば――こうしよう」
セデスの髪を右手に。そして……左の手で己の髪を掴み、引き抜いた。
「さあ、どうするね? 契約書はほら、君の前にある」
ゆっくりと部屋の奥まで歩んだ領主は、文様の集中する壁面前で振り返った。
「何を言う?! それでは話が違うではないか! 一体何を考えて――」
貴族の男が憤怒の形相で詰め寄ろうとした時、思いもよらない声が響いた。
「あな、た……?」
「り、リアーネ?!」
怪しい光の満ちる地下室の入り口に、今にも倒れ伏しそうな麗人が佇んでいる。
時折視界を掠めるのは、光の蝶だろうか。
「まさか、まさか、こんな……ぐっ?!」
駆け寄ろうとした領主が、思い切り突き飛ばされて転がった。
悲鳴を上げる領主夫人と、奥の土壁へ走る男。
その手に握られたのは、間違いなくセデスの髪。
壁面のくぼみへ手を伸ばした男が、勝利の笑みを浮かべた瞬間。
その手を弾くように飛来した、何か。
途端、部屋中の光が増し――そして、明滅が止まった。
「よしっ! ホールインワン!」
思わず振り返った男の視線の先には、投擲の姿勢からガッツポーズをとった幼女の姿。
そして、壁面には、まるで最初からそこにあったかのように髪飾りが設置されていた。
『どっちかと言うと、ストライクじゃないかしら?』
呟いたモモは、我ながらどうでもいいな、と思ったのだった。
あっと言う間に!もう18巻発売日ですね!!
発売日は12月7日ですよ!!
表紙良すぎやしませんかね……口絵のあの二人も(´;ω;`)
いつも通り書下ろしたっぷりです! そして特典SSはラキ好き必読~!!
どうぞよろしくお願いいたします!!