911 最初の人
転移の光の中、油断なく構えて周囲を見回した。
目立つユータリアカツラと衣装を脱いで、黒の髪、黒の瞳に黒の衣装。気分はルーモードだ。この格好だと、ますます兄弟じみて見えるよね!
……なんて気を散らしている場合じゃない。
やはり漂う、外よりも重く淀んだ嫌な気配。
明かり1つない室内は、しんと静かで人の気配は感じない。
ここは、使われていない客間か何かだろうか。
「モモ……?」
警戒を解いて、小さくモモを呼ぶ。
『ここよ!』
視界の端で弾んだモモが、そのままオレの方へ跳んできた。
「モモ、お疲れ様、ありがとう!」
『どういたしまして。そっちも色々分かったみたいね』
両手の中で、ふわふわ柔らかな身体が揺れる。大丈夫、どこも怪我をした様子はないし、柔らか産毛が禿げていることもない。
「うん、『神殺しの穢れ』を思い出して……。誰かが人為的に起こした結果かもって! もしかして呪いの一種なんじゃないかって」
薄く、継続的に広げられた邪の魔素による、生命の魔素過剰消費状態。それによる動植物への影響。
植物が減り、次いで動物が減り、飢饉が起こる。
そうしてついに人に影響を及ぼすことで、さらに邪の魔素が増えた状態。
『ふうん? それがどうして人為的、ってことになるのかしら?』
「そこは……まだ、ちょっと諸説ありまして。だけど、特別病弱でもないし高齢でもない奥さんが、ここらで一番に罹患するって変だよ。領主っていう立場の人間を標的にしたんじゃないかなって」
領主が狙われたとばっちりが、奥さんに行ったんじゃないか――そう思ったんだけど。
それなのに、ラピス情報だと、根源はこの領主館地下にありそうなんだもの。
「……だから、訳が分からなくなっちゃって」
降参するようにへらりと笑うと、モモがひょいと手の平から飛び降りた。
『ついてきてちょうだい。ユータなら、何か感じられるかしら』
真っ暗な廊下に出てしばし、いかにも他と違う大きな扉の前へやって来た。
当然、鍵が掛かっている。
「人がいるね? 弱ってる……? それよりも、ここ、すっごく嫌な感じ!」
入りたくない……入りたくないけど、明らかに入らなきゃいけない場所。
液体のように扉の下から中へ滑り込んだモモが、中からオレを呼んだ。
『OK、入っていいわよ』
意を決して転移したオレは、生ぬるい霧の中にいるような不快感に顔を顰めた。
「あ……この人って、もしかして」
駆け寄ったベッドに横たわる、貴族らしい女性。
位置的に言っても、ここは領主夫妻の部屋だろう。
「つまり……最初の『邪の魔素病』患者!」
それならむしろ、今生きているのが不思議なくらいで。
早く治療を! 慌てて触れた手を、思わず引いた。
「なんか……違うかも。他の人とは違う感じ」
両手で触れ、慎重に体内を探るように魔素を流した。
他の人と違って、明らかに『嫌なもの』がある。
さっき、『神殺しの穢れ』を思い返していたからだろうか、それに似ている気がする。
この人に溶け込み、浸食している『嫌なもの』。
だけど、残念だね? ここにオレがいるんだよね。
「浄化、いくよ!」
神獣の穢れが浄化できて、この程度に苦戦するはずがない。
彼女の負担にならないよう、ゆっくりと。
体内に巣食う邪の魔素と、浄化した魔素を入れ替えていく。
オレの体をフィルターに、嫌なものが凝っていく。
丁寧に除去と浄化を施して、弱りきった体には点滴魔法を。
「……ふう。人の身体から、こんなものが出てくるなんて」
手の平に転がすのは、浄化された大きな呪晶石。
こんなものが体内に巣食っていたら、そりゃあ嫌な気配も漏れだすってものだ。
この小さな人の体に、こんなにも。
むしろ、不思議だ。
極力この人自身へ影響を及ぼさないよう、気を付けていたかのよう。
『えー! 主ぃ、呪晶石って、人から取れるのか?!』
「そんなことない……と思うけど。これは呪いのせいで、この人の身体に邪の魔素が凝縮された結果だと思うよ」
だけど、こんなにたくさんの邪の魔素はどこから――そっか、周囲にいくらでもあるもんね。
今は使い果たした体力を回復すべく、健やかに眠る女性を見つめた。
――と、ふいにその表情が苦悶に歪む。
そして、みるみる周囲の淀みが減っていく。
慌てて触れた体には、再び邪の魔素が渦巻いていた。
まるで周囲から吸い込むように、女性の身体が魔素を吸収したみたい。
そして、おそらく飽和した状態で安定したのか、今は再び邪の魔素を漂わせる状態となっている。
「どうして……? うん?」
フッと消えかかった気配は確かに、どこかに繋がっていた。
「もしかして、これが呪い? この繋がりの先に核となるものがあるのかな」
まるで、こっちはアンテナ兼受信機のよう。
「今、治療してもまた同じようになるよね……」
オレがここで回復強化状態になって、邪の魔素を浄化しまくっていればいいのかもしれないけれど。
「でもセデス兄さんが……。浄化の蝶々をたくさん配置したら、なんとかなるかな?」
だけど、こんな短時間で邪の魔素が補給されてしまえば、蝶々が押し負けそう。
だって、いくらでも邪の魔素が発生している状況なんだもの。
手の中にある、結晶に視線を落とした。
これほどの結晶になる魔素に、対抗するには……。
「そっか! オレも持ってるじゃない!」
取り出した生命の魔石。オレがコツコツ作り貯めた、召喚用の魔石。
途端に、呼吸が楽になる。
うん、効果は抜群だ。
これを使って……以前のお守りのように。
「呪いに負けないで、押し返して!」
ふわっと魔石から湧き出した蝶々が、女性を包むように舞う。
もしかして、呪いもこんな風に作るんだろうか。
お守りの、反対の願いを込めて。
消えても消えても、いくらでも湧き出す蝶々が光の渦を巻く。
さあ、オレが根本を浄化するまで……ここは頼むよ!
「よし、行くよ!」
普通に考えて、核となるものがあるのは、あの地下室だろう。
だけど、それを浄化しちゃうと悪事の証拠が消えたりしない? だってまだ『誰が』『何のために』っていう肝心な部分が分からないのだけど。
他に証拠を探す必要があるんじゃないだろうか。
「オーソドックスに、金庫とか……?」
うーむと首を捻ったところで、モモアタックがオレの頬に着弾した。
「モモ?」
『移行させる、って言ってたのよ! 全て移行させれば、心労は消えるだろうって。もしかして……この呪いのこと? 対象を移せるの?! だったら……』
だったら……格好の移行先が、そこに。
大丈夫、オレが浄化できるから!
いくら邪の魔素が集まってきたって、オレがなんとかするから!
だけど、だけど相手は奥さんじゃない。
どんな方法があるのか分からないけれど、効果が同じとは限らない。
セデス兄さんは強いけれど……でも、呪いに対抗する術は、持っていないのでは。
『こっちが、主催者側の目的だったってわけね?!』
セデス兄さんが『アンテナ』になれば、もしかすると邪の魔素が広がるのは、ロクサレンになるのだろうか。だから、『全てを移行』なのか。
――こっちなの!
ラピスの案内するまま、人気のない館内を走って、階段を駆け下りる。
地下室を抜け、飾り棚の奥に空いた穴から、さらに奥へ。
ふいに人の気配と明かりを感じ、弾ませていた息を潜めて気配を消した。